古写真・東京辰ノ口 江戸城和田倉門

辰ノ口和田倉門
江戸城和田倉門は現在の丸の内にあった門で、関東大震災で倒壊するまで
存在していた櫓門でした。
この写真は明治初期〜明治前期に撮影されたと思われる鶏卵紙印刷のもので、
右奥には洋館が見えます。位置からして、初代大蔵省かと思われるのですが、
いかがでしょうか。

*カテゴリは関東地方に含まるのですが、貴重な明治前期の写真ですので、
貴重資料のカテゴリに含めました。

古絵葉書・大本営の看板がかかる広島城二ノ丸表御門

広島城二ノ丸表御門
広島城に大本営がおかれたのは、明治27年の日清戦争の時でした。
城内にあった第五師団司令部の建物が使用され、城の入口になっていた二ノ丸の
表御門が大本営そのものの表門になっていたようです。
大本営解散後広島城は天守・表御門・櫓・大本営の建物など保存されましたが、
原子爆弾によってすべて破壊されました。
最近になって表御門と脇櫓が復元されましたが、この絵葉書の脇櫓は現在の
復元された脇櫓と姿が違います。現在の復元脇櫓は旧状に戻した姿なのでしょう。

古絵葉書・呉海軍病院

呉海軍病院
呉海軍病院は、明治22年に設立された海軍専用の病院で、
戦後は国立病院として使用されました。
現在は海軍病院時代の建物は現存していません。

参照・舞鶴海軍病院

古絵葉書・騎兵第3連隊

騎兵第三連隊
名古屋市にあった騎兵第3連隊の営門の絵葉書です。
第3師団所属の連隊で、名古屋城内に駐屯していました。

古絵葉書・京都 連隊本部(第9連隊?)

連隊本部
連隊本部と思われる建物ですが、注釈も何もありません。
ただし、宛名面の切手を張る位置に「Kyoto」の文字があるので
京都にあった連隊本部だと思われます。
京都市の連隊本部と仮定すると、伏見の深草にあった歩兵第9連隊が当てはまります。

古写真・明治〜大正期ごろ?の造船の様子

造船1
明治から大正期のころではないかと思われる造船所での造船の様子を撮影した
古写真です。木造などではなく、リベットを打った鋼鉄船ですので、
大型の商船でしょうか。船体にはチョークのようなもので色々書かれています。
造船2
こちらは舵の付近の写真。関係者の人が記念に写っています。
実はもう一枚出品されていて本来は3枚セットだったのですが、
惜しくも残り1枚は入手できませんでした。
しかしながら、この2枚でも明治〜大正期の船体の構造などが
分かるのではないかと思います。

古絵葉書・天理中学校・天理小学校(現・天理高校・天理中学校)

天理
天理市にあった天理中学校と天理小学校の絵葉書です。
両学校は、天理教の経営する天理大学の付属の学校として設立されました。
神道系の天理教が経営しているためか、両者とも和風の校舎になっています。
現在、両校は戦後の学制改編により天理高校と天理中学校になっています。

古絵葉書・岐阜中学校(現・岐阜高等学校)

岐阜中学校
現在の岐阜県立岐阜高等学校の旧制中学時代の絵葉書です。
この校舎は空襲で焼失したようで、現在はありませんが、手前の門柱は残っているようです。
岐阜中学校中庭
中庭の様子。池やら飼育小屋らしきものや花壇もありますね。
昔の学校って確かにこんな感じでした。
岐阜中学校廊下
校舎の廊下。昔懐かしい板張りの廊下です。
この絵葉書はおそらく複数枚のセットだったと思われますが、
バラの状態で入手しましたので、他にもあると思います。

古絵葉書・希望社

希望社
希望社という注釈のある建物です。
建物の感じと検索結果からどうやら教会関係の組織のようですね。
ただ、詳しくはわかりませんでした。
希望社で検索すると結構いろんな会社が出てきますが、
たぶんこれとは無関係と思います。

古絵葉書・栃木町大本営

栃木町大本営
大本営とは、戦中に陸海軍の最高統帥機関として置かれたものですが、
平時でも天皇が行幸した大演習の時は、演習先に大本営がおかれました。
これは大正7年に栃木市で行われた大演習の時のもののようです。

古絵葉書・京都森田牧場 御料牛乳調進所全景

京都森田牧場
京都にモリタ屋という老舗の肉屋さんがあるのですが、この森田牧場がその前身の牧場です。
明治2年に創業した森田牧場は、陸軍に牛肉を納入する卸売りをしていましたが、
大正元年の大正天皇即位式のときに牛肉と牛乳を献上して以来、宮内省からの御用達も受けました。
この絵葉書には「御料」の文字が見えますので、宮内省御用達にされた大正以降のもので、
絵葉書自体も大正期のものと思われます。
さて、この牛乳の施設ですが、検索して調べた結果、どうやら現在の南区にあったようなのですが、
決定的な情報ではないので、詳しいことはわかりません。

古絵葉書・舞鶴 萬代橋

舞鶴 萬代橋
東舞鶴に架けられたコンクリート製の橋です。現在は架け替えられ鉄橋になっています。
右端に見える洋館は、舞鶴警察署。

古絵葉書・明治期の不明擬洋風建築

明治の謎の擬洋風建築
明治期発行と思われる絵葉書です。典型的な擬洋風建築で
左手前の建物の角にガス灯も見えます。
この洋館は、明治初期から明治20年代の建築と思われますが、
絵葉書自体になんの説明もないため、どこのどういう建物かわかりません。
建物の入口に表札らしきものが見えるのですが、これも字が細かく判読不能。
てがかりとしては、建物の外観と右上に写る講堂のような内部写真でしょうか。
町の公会堂か役所のような公共施設だとは思いますが、まったくわかりません。
心当たりのある方は教えてください。

古絵葉書・手彩色 吉原遊郭

吉原遊郭
江戸時代に開設された吉原遊郭は昭和32年に売春防止法が施工されるまで
日本でも長い歴史の持つ最大規模の遊郭街でした。
明治期に入っても衰えることはなく、東京の名所として絵葉書等に紹介されました。
この絵葉書は外国人向けの手彩色絵葉書で、注釈は英文で書かれています。
明治の吉原らしく、人力車が止まり、奥には洋館も建っています。

古絵葉書・由良要塞司令部

由良要塞司令部
大阪湾防衛の目的で紀淡海峡周辺に設けられたのが由良要塞地帯で、
その司令部として洲本市に明治29年設置されたのが由良要塞司令部です。
この絵葉書は司令部の正門の写真です。敷地内には木々が植えられ、
軍の施設とは思えないのどかな環境のいい雰囲気になってます。
この司令部はもう存在しませんが、煉瓦造の要塞施設は現在もいくつか現存し、
特に友ヶ島の要塞は残りもよく見学することができます。

古絵葉書・第六師団司令部

第六師団司令部
熊本城の中にあった第六師団司令部の庁舎です。
この絵葉書には写ってませんが、すぐそばに熊本城の本丸があり、
アングルによっては石垣が写っている写真もあるようです。
第六師団は、明治5年に設置された熊本鎮台をもとに編成された師団です。

古絵葉書・工兵第十六大隊将校集会所

工兵第十六大隊将校集会所
工兵第十六大隊は、かつて伏見にあった工兵部隊で、同じ京都の伏見に司令部を置く
陸軍第十六師団の所属でした。現在は市営団地になっています。
この建物は、この大隊に所属する将校たちの倶楽部施設ですが、かなり質素な建物ですね。

古絵葉書・東北帝国大学臨海実験所水族館

東北帝国大学臨海実験所水族館
大正11年に青森県浅虫町に開館した東北帝国大学付属の水族館です。
大学の研究機関ですが、一般にも公開され、人気を博したようです。
昭和59年、老朽化のために閉館しましたが、代わりに現在は浅虫水族館が存在します。

古絵葉書・近衛歩兵第一旅団時計台(旧竹橋陣営兵舎)

竹橋陣営
明治4年、天皇の警護を目的に設立された御新兵は、旧江戸城北の丸に駐屯しました。
その御新兵の兵舎として建てられたのが竹橋陣営で、明治4年にお雇い外国人であった
ウォートルスの設計によります。
完成した竹橋陣営の時計塔は西洋化の象徴として新たな名所となり、錦絵にも描かれるほどでした。
ウォートルスは、明治の近代化の象徴ともなった大阪造幣寮や銀座煉瓦街も手掛けています。
この地は後に近衛歩兵第一・第二連隊となりますが、ウォートルス設計の歴史ある時計塔の兵舎は
そのまま使用され、昭和20年まで残っていたそうです。
この絵葉書は、絵葉書の様式から大正期のものと思われます。
近衛歩兵1・2連隊
こちらは、過去に紹介した近衛歩兵第一・第二連隊の絵葉書。
後方に旧竹橋陣営の時計塔が写っています。

古絵葉書・歩兵第二十連隊 炊事場

歩兵二十連隊 炊事場
京都府の福知山市にあった陸軍歩兵第二十連隊の炊事場内の様子です。
当時、陸軍の連隊内では兵士が当番制で炊事を担当していました。
2000人近くが生活していた連隊内の食事を担当するのは大変なもので、
それだけに煮炊きをする鍋は相当大きなものですね。
炊事の担当兵は白い炊事用の服に着替えて作業をしていますので、
衛生面に気を配っているようですが、帽子だけは頭巾ではなく軍帽をかぶってます。

関連記事・福知山歩兵第二十連隊絵はがき(5枚セット) 陸軍歩兵第20連隊

古絵葉書・西能勢村役場

西能勢村役場
大阪府の北西端、京都府の亀岡市と隣接している能勢町は、
昭和31年に歌垣村・田尻村・東郷村・西能勢村が合併してできた町です。
この絵葉書は合併前の戦前のもので、昭和10年代ごろのものと思われます。
小さな村の役場らしく、村役場も1民家のような小ささです。
西能勢村役場などで調べてみましたが、はっきりとしたことはわかりませんでした。

古絵葉書・福知山城跡

福知山城跡
福知山市のシンボルである福知山城の昭和10年代ごろと思われる絵葉書です。
城山に建つ白壁の櫓は銅門番所で、元々二ノ丸にあった多門櫓でしたが、
明治初期に天守群が取り壊された後、旧天守台に移築されました。
その後、昭和60年に大天守・小天守が復元されるまで天守台の上に建ち、
天守復元後は、本丸の天守前の位置に再移築されています。
かつては本丸のある城山から向かって右手に二ノ丸の台地が続いていましたが、
鉄道建設や切通し工事で完全に消滅しました。

古絵葉書・王子製紙 千歳第四発電所

千歳第四発電所
王子製紙が苫小牧工場に電力を供給するため戦前に建設した5つの発電所のうち、
4番目に完成した発電所です。
大正8年に完成した発電所は、煉瓦の発電所・背後に写る石積みの堰堤とともに
現在もそのまま使用されています。

古絵葉書・王子製紙 千歳第一発電所

千歳第一発電所
製紙会社最大手の王子製紙は、北海道苫小牧に工場を建設するにあたり、
千歳川に電力を供給するための堰堤と発電所を建設しました。
一番最初に完成したのが、大正5年に完成したこの千歳第一発電所で、
当時としては大出力の発電量を誇る発電所でした。
その後昭和16年まで5つの発電所が建てられました。
この赤煉瓦の発電所の建物は現在もそのまま使用されています。

古絵葉書・宮田病院本館

宮田病院本館
宮田病院という病院の本館の建物が新築に待った際の記念絵葉書です。
建物のデザインから見て、建てられた時期は昭和初期〜昭和10年代と思われますが、
宮田病院のあった場所等は情報がないためわかりません。
建物の規模、感じから見て町の診療所か開業医のような感じです。

古絵葉書・辻紡績本館(旧京都綿ネル本館)

辻紡績本館
京都市の壬生の地、JR嵯峨野線沿いに広大な敷地を持つ工場があります。
そこがかつての京都綿ネルの工場で、明治31年に工場が作られました。
大正4年、辻紡績に譲渡されるのですが、この絵葉書はその辻紡績時代に
撮影されたものです。ただし、この絵葉書の本館を含め、工場の施設は
京都綿ネル時代のものをそのまま使用しています。
その後、昭和18年に島津製作所が譲り受け、さらに戦後の昭和23年に
現在の日本写真印刷が所有しました。
現在、敷地内には京都綿ネル時代の赤煉瓦の工場施設が現存し、
貴重な近代化遺産群となっています。この本館も現存しているのですが、
外壁や窓周りに張られた石材が取り除かれており、当初よりも賑やかさは
なくなっています。

古写真・明治初期撮影の横浜本町1丁目通り。

横浜本町1丁目
明治初期に撮影された横浜本町1丁目の古写真です。
葉書大の鶏卵紙にプリントされ、台紙に貼られています。
向って左手奥の塔屋が目立つ建物は、明治7年竣工の横浜町会所で、
現在赤れんがの横浜開港記念会館が建っている場所です。
向って右手前が明治8年竣工の横浜郵便局。その奥に少し見えている小さめの洋館が
明治5年竣工の横浜電信局です。
これら3つの洋館のうち、右2つの洋館は明治22年に赤煉瓦造の建物に建て替えられていますので、
この古写真はそれ以前のもしかしたら明治10年代の撮影なのかもしれません。
長崎大学の古写真データベースにほぼ同じアングルの古写真がありましたので
併せて紹介しておきます。こちらです。

*この古写真の地域に関しては関東地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。

古写真・明治初期の大阪商業倶楽部

大阪商業倶楽部
大阪商業倶楽部と注釈のある建物の名刺大古写真です。
擬洋風建築のような洋館で、灯台のような塔屋を設けています。
写真を見るに、結構規模の大きな建物のようです。
この建物に関して、いろいろと検索して調べてみたのですが、ほとんど情報がなく、
何も分からない状態です。写真の状態から、明治20年以前の撮影のものと思うのですが。
この大阪商業倶楽部に関して何かご存知の方はどうぞ教えてください。

6/16追記 近代建築MLのTさん・Nさんよりこの建物は「今宮商業倶楽部」であるという
情報をいただきました。
今宮商業倶楽部は明治22年に完成した、商品陳列館的な性格を持つ建物で、
レジャー施設としての性格もあったそうです。
しかし、今宮商業倶楽部も10年ほどで消滅したようです。

*この古写真の地域に関しては近畿地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。

古写真・大阪天満橋

大阪天満橋
明治18年の水害で、淀川に架かる市内の橋の多くは流されてしまいました。
これを機に、洪水にも強い近代的な橋に架け替えられることになり、
明治21年トラス式の鉄橋が完成しました。基本的なデザインは前出の天神橋とよく似ています。
この橋も戦前に掛け替えられて現存してませんが、橋の上に掲げられていた橋名のプレートは
保存されています。
この古写真は、名刺大の鶏卵紙にプリントされたもので、鉄橋完成間もないころの
明治20年代頃のものと思われます。

*この古写真の地域に関しては近畿地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。

古写真・明治20年代頃の大阪天神橋

大阪天神橋
淀川に架けられた橋の一つ、天神橋は江戸時代から親しまれてきた橋でしたが、
明治18年の水害を機に近代的な鉄橋へと架け替えられました。
この古写真に写る鉄橋は、明治21年に架けられたトラス式の鉄橋です。
橋の上には「天神橋」と書かれたプレートが掲げられ、行きかう人々の目を引いたことだと思います。
この古写真は、名刺大の鶏卵紙にプリントされた古写真で、天神橋の完成後間もないものと思われます。
この古写真の天神橋は20年ほどで再び架け替えられましたので現存はしてませんが、
掲げられたプレートは保存されています。

*この古写真の地域に関しては近畿地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。