古絵葉書・由良要塞 加太地区 深山第一砲台

由良要塞・深山第一砲台001
日本と清の緊張が高まった明治22年に建設が決定した由良要塞は大阪湾へ侵攻してくる敵艦隊を紀淡海峡で迎え撃ち進入を阻止する要塞でした。その重要性から由良要塞は淡路島東部と和歌山県西部にまたがる由良地区・友ヶ島地区・加太地区の三つの地域と明治36年に編入された鳴門地区に合わせて21の砲台と8つの堡塁を備えた大規模な要塞地帯でした。
この絵葉書は加太地区にあった深山第一砲台を撮影したものです。
深山第一砲台は和歌山市加太地区にあった砲台で、明治32年竣工。終戦まで機能し終戦後は廃止されましたが、由良要塞の砲台跡で一番保存状態が良いことでも知られ、現在は整備・保存されています。
絵葉書は砲座に設置された28センチ榴弾砲が写されています。奥の2門は最大仰角で構えており、敵艦を砲撃するときはこのような仰角で曲射弾道つまり放物線を描く弾道になるほう砲撃し、敵艦の甲板を打ち抜く砲撃をしました。
砲の横にある数字は射角や距離を示したものでしょう。当時の大砲はまずは1発か2発撃って着弾点を確認し観測。目標との誤差を計算して砲撃という方法でした。
キャプションの深山重砲兵連隊は加太地区の砲台を管轄していた陸軍の部隊で、加太地区の各砲台の運用もこの連隊が行っていました。
ところで、戦前の日本の要塞地帯には軍事機密を守るため、明治32年を制定された「要塞地帯法」という法律がありました。要塞地帯法は要塞地帯に指定された地域内では無許可での写真撮影やスケッチなどの記録は厳しく制限され、新聞に知らずに掲載された背後の山が実は砲台のある山で軍から差し止めを食らったという話もありました。
なので、この深山第一砲台の絵葉書のように砲台そのものが撮影され絵葉書となって販売されることはありえないのですが、この絵葉書が発売されたのは恐らく昭和10年代。その頃は航空機が発達し沿岸砲台の戦略的価値が低下しており、そのため砲台の絵葉書が発売されるくらいまで緩和されたのでしょうか。
ただ、深山砲台に関しては大正10年頃より演習砲台として使われたようで、機密としての重要性はなくなったのかもしれません。
ともあれ、戦前の現役当時の砲台の運用の様子を今に伝える興味深い絵葉書資料です。

※関連記事・古絵葉書・鳴門要塞 門崎砲台もしくは行者ヶ岳砲台か
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コメント

ご無沙汰しております。
絵葉書なのですが、現存している深山第一砲台は胸墻がレンガで出来ているのですが、絵葉書は石積みですよね・・・
キャプションは深山第一砲台ですが、違う砲台と思います。

Re: タイトルなし

kan様

お久しぶりです。コメントありがとうございます。
該当の絵葉書を深山第一砲台としたのは、現地の案内板にこの絵葉書と同じものが「当時の砲台の写真」として使われており、判断いたしました。こちらのサイトに説明版の画像があります。 ttp://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-820.html
  • [2016/11/20 08:10]
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