古絵葉書・鳴門要塞 門崎砲台もしくは行者ヶ岳砲台か

鳴門要塞・門崎砲台もしくは行者ヶ岳砲台
鳴門要塞は明治30年に着工した要塞で、当初は独立した要塞地帯でしたが、明治36年に由良要塞と合併したあとは由良要塞所属の鳴門地区砲台として運用されました。
鳴門要塞には門崎砲台・笹山砲台・行者ヶ岳砲台の砲台が3つ。柿ヶ原堡塁砲台の堡塁が1つあり24センチ榴弾砲などを設置していました。
絵葉書には24センチ榴弾砲が砲座に設置されている様子が撮影されています。
由良要塞は由良地区・友ヶ島地区・加太地区の三つの地域と鳴門地区に21の砲台と8つの堡塁を備えた大規模な要塞地帯でしたが、24センチ榴弾砲を設置していたのは鳴門地区の門崎砲台と行者ヶ岳砲台だけだったようで、深山重砲兵連隊が運用していたかはわかりませんでしたが、この絵葉書の砲台は上記の理由からそのいずれか2つの砲台だった可能性があります。

ところで、戦前の日本の要塞地帯には軍事機密を守るため、明治32年を制定された「要塞地帯法」という法律がありました。要塞地帯法は要塞地帯に指定された地域内では無許可での写真撮影やスケッチなどの記録は厳しく制限され、新聞に知らずに掲載された背後の山が実は砲台のある山で軍から差し止めを食らったという話もありました。
なので、この深山第一砲台の絵葉書のように砲台そのものが撮影され絵葉書となって販売されることはありえないのですが、この絵葉書が発売されたのは恐らく昭和10年代。その頃は航空機が発達し沿岸砲台の戦略的価値が低下しており、そのため砲台の絵葉書が発売されるくらいまで緩和されたのでしょうか。
現在、門崎砲台や行者ヶ岳砲台は鳴門大橋の工事やその他の道路工事等で大きく損壊し、一部を残してほぼ失われているようです。この絵葉書が門崎砲台もしくは行者ヶ岳砲台のいずれかを撮影したものであれば、今は失われた砲台の戦前の現役当時の砲台の運用の様子を今に伝える興味深い絵葉書資料です。

※関連記事・古絵葉書・由良要塞 加太地区 深山第一砲台
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コメント

横墻に数字板がある、胸墻が低い、即用弾置が無いことなど推測ですが、演習砲台ではないかと思ってます。

kan様

由良要塞のいくつかは要塞整理で廃止され、演習砲台になったようですね。この絵葉書もその一つの可能性があります。
  • [2016/11/20 08:12]
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