category  [身内関係の資料 ]

古写真・昭和17年頃の軍旗祭の出し物「地球の大掃除」(祖父のアルバムより)

地球の大掃除001
祖父の軍隊アルバムにあった昭和17年ごろの軍旗祭の出し物の古写真です。
恐らく敦賀の連隊時代に撮影したものと思われます。
地球儀の上に左からムッソリーニ、東条英機、アドルフ・ヒトラーが乗っかり竹箒をふるって地球を掃いており、
地球儀の下には「地球の大掃除」のプレートが置かれています。
日本・ドイツ・イタリアの3国での軍事同盟である日独伊三国同盟が締結されたのが昭和15年。それ以来3国は枢軸国としてアメリカ・イギリス・オランダ等の連合国と対立することになっていくわけですが、この軍旗祭での出し物は枢軸国として世界を統治する意気込みを現したものでしょう。
当時の世相を物語る興味深い1枚かと思います。
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雑記・築100年になる実家。

実家古写真
築100年となる実家の話です。
他界した祖父が存命中に聞き及んだ話によりますと、私の曽祖父が分家した際、元々地主の屋敷だった建物を3分の1の大きさに縮め、大正4年頃移築したとのこと。なので、元々は明治もしくはそれ以前の建物なのかもしれませんが、棟札も無いので詳しくは分かりません。
実家の建物は典型的な農家建築で、かつては写真のような茅葺き屋根でした。現在は瓦葺きに改めていますが、玄関や廊下、窓の位置は戦前に撮影されたと思われるこの写真と同じで、内部も表と呼んでいる床の間と仏壇のある部屋や1階の間取りは当時のままです。ただし、台所やトイレ、風呂場などの水回りやかつては物置になっていた2階部分は私が子供の頃に部屋に改造されました。
大幅な改造がされているので文化財としての価値はありませんが、それでも大黒柱や梁などの構造体の材木の太さを見れば、旧家なのだなと感じさせられます。
実家には当時の出納帳が残されています。
実家資料1
大正3年の年号がある帳面です。ただし昭和9年のものなどもあり、一つにまとめている感じです。
実家資料2
その中に実家の建物の普請見舞いと大工人夫等の覚書の帳面があります。
大正2年の年号のある帳面で書かれている本家の佐助の二男の蔵冶が私の曽祖父で分家して実家ができたわけです。
祖父は大正4年と話してましたが、帳面には大正2年とあり祖父が生まれる前でもありますので記憶違いなのかもしれません。
大正2年の1913年は、桂太郎内閣が総辞職した大正政変、徳川慶喜死去、戦艦金剛が竣工した年であります。
また、翌年には重要文化財に指定されている東京駅が竣工しました。

昭和14年の日記にある重大事件の記述(祖父の日記より)

日記1
実家に私の祖父(2009年1月3日逝去)の遺品である古い日記がありました。
祖父は死ぬ間際まで日記を毎日書き続け、その数は数十冊になります。
年が欠けずに残されているのは昭和30年代からですが、
戦前から戦後すぐの日記もわずかながら残っており、
昭和12年・昭和14年(軍人日記)・昭和22年・昭和23年が遺品としてあります。
戦中の時も付けていたと思いますが、戦中・戦後の混乱期の間に失われたものと思われます。
今回は遺された日記の中で一番古い昭和12年の日記の中で記載された重大事件を
紹介したいと思います。

「続きを読む」からご覧ください
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祖父の死

20060304151502.jpg
私事ではありますが、今年1/2に祖父が亡くなりました。88歳でした。
ずっと寝たきりで、自宅での死去となったのですが、
正月ということもあって、家族や親類全員が立ち会えることができ、
特に祖母が死の瞬間に立ち会っているので、
死に方としては幸せだったのではないかと思います。

祖父は志願兵で陸軍に入隊。途中仙台陸軍教導学校で下士官の教育を受け、
職業軍人として6年軍隊に所属し、最終階級は准尉という叩き上げの軍人生活を
過ごしました。

祖父はずっと内地勤務で連隊本部とかにいたようで、戦地での過酷な経験は
しておりませんが、戦中・戦後の苦労は大変だったものだと思います。

まだ元気だったころ、祖父からいろいろな話をしてもらいました。
軍隊時代の訓練の話や地元に伝わる昔話など。これらの話は
記録にとどめ、残していきたいと思っています。
また、私が小さい頃は各地の城郭などいろいろ連れて行ってもらった記憶があります。

最後に、昔の祖父の写真を紹介して締めたいと思います。
祖父
祖父と祖父の部下たち。前列中央左が祖父です。
20060305133042.jpg
祖父と祖母の結婚式の写真。自己紹介のサムネにも使用している写真です。

これらの写真で着ている軍服はまだ蔵の中に一式あります。
戦中の資料として、写真とともに受け継いでいこうと思っています。

古写真・祖母の修学旅行

祖母の修学旅行

祖母が現在で言う中学2年生のときに、大阪朝日新聞社のビルを見学した記念に
撮影したものです。もちろん、祖母も写っています。
このビルは、昭和6年に建てられたとてもモダンなビルで、
現在でも増築はされていますが、朝日ビルディングとして現存しています。
時代で言えば、昭和13年か昭和14年ごろですが、しかし、女の子はみんな真ん中分け&
お下げで統一してますねw流行だったのか決まりだったのか分りませんけど。
写真見てると、男子生徒より女子生徒のほうがちょっとだけ大人びて見えるのは、
今も昔も同じと思うのは私だけでしょうか?
そして、もちろん夜は布団に潜りながら好きな人告白大会ですよw

古写真・祖母の小学校同窓会

祖母の小学校同窓会

祖母が卒業した小学校で昭和16年に行われたクラス同窓会の写真だそうです。
祖母が17歳の頃のもので、他の級友の方を見ると、進学している人、
就職しているような感じの人、海軍に入り、水兵になっている人などさまざまですね。
祖母もこの中に写っていますよ。
昭和16年でも、まだまだ田舎では着物が主流です。さすがに先生は背広ですが、
サングラスかけてますよね。当時としては珍しかったのでは?
電燈のついている門柱も中々ハイカラなものだったのでしょう。

古写真 仙台陸軍教導学校・雪中での演習

スキー演習1

私の祖父のアルバムにあった古写真で、仙台陸軍教導学校の時の
仙台近辺と思われる場所での雪中演習の様子を撮影した写真です。
雪中での演習では、このようにスキーを使い行軍をしていました。
この方は将校の方のようですね。ストックも竹そのものといったシロモノです。
他にも紹介してますので、「続きを読む」からご覧下さい。
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古写真・17歳の頃の祖母

祖母

以前、私の爺ちゃんを晒しましたので、今度は婆ちゃんを晒すことにしますw
アルバムには、「昭和十四年八月一日十七才 トモヱ写真館にて」
と書かれています。
祖母は今も元気にしておりますが、今からは想像も付かない若さで(当たり前)
結構オシャレしてたんですね。
しかし、現在の祖母と比べると面影全然ないです。まるで別人ですねw

古写真・松島での演習

松島での演習

祖父の古いアルバムにあった写真。仙台陸軍教導学校当時のもの。
ただでさえ今にも沈みそうなボロ船なのに、こんなに乗って
よく沈まないものです。某物置もビックリの人数。

古写真・ 忠霊塔(敦賀陸軍墓地 支那事変戦没者忠霊塔)

忠霊塔1

私の祖父の古いアルバムにあった写真です。
Kanさんからの情報によれば、福井県敦賀市にある敦賀陸軍墓地の忠霊塔とのこと。
祖父は戦中に敦賀の連帯に赴任していましたので、建立されてから間もない頃の写真ではと思われます。
忠霊塔2

別角度です。
忠霊塔3

やや、遠景から。手前に砲弾型の石碑等がありますが、
これらは合葬碑のようです。

現在、敦賀陸軍墓地は岡山公園という市民公園となりましたが、この忠霊塔を始めとした石碑群は
現存し大切に管理されています。
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