category  [京都府南部 ]

古写真・園部町全景

園部町遠景002
戦前に出版された地誌の1ページの断片に載せられた園部町の全景写真です。
手前の建物は分かりませんが、奥に写る白いビルは昭和3年に建てられた旧園部銀行本店と思われ、近年まで京都銀行園部支店として使用されていました。(2009年取り壊し)。同じページに載っている福知山市街の全景写真のキャプションに「福知山市」とあることから、この園部町の全景写真も福知山市が市政を開始した昭和12年以降の戦前の撮影と思われます。
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古絵葉書・芦生演習林事務所

芦生演習林事務所001
芦生演習林は現在の京都府南丹市美山町にある京都大学の研究林で、大正10年、当時の京都帝国大学が初めて設けた国内演習林でした。
この建物は大正12年に完成した演習林事務所で、同年の京都帝国大学農学部設置に伴い建てられたものと思われます。
演習林事務所はロッジ風の建物で、昭和6年に建てられた京都大学構内にある国指定登録文化財の農学部演習林事務所は、この芦生演習林事務所と共通の意識をもって建てられたように思われます。
この芦生演習林事務所は現存しており、現在も事務所として使用されています。

古絵葉書・園部城跡(大正時代頃)

園部城跡001
園部城は1619年(元和5年)に小出吉親により築かれた園部陣屋を始まりとし、以後江戸幕府260年間に渡り代々小出氏が園部藩の藩主を務めました。
慶応4年、京都に近く山陰道の守りの要だった園部陣屋は幕末の動乱に対応するため、既存の陣屋をより城郭としての防御力を持たせるための改修を新政府に申し出、許可されると普請を開始。明治2年に櫓門3か所、巽櫓、小麦山の三重櫓が完成。日本における最後の城郭建築となりました。
明治5年、現存する本丸櫓門・付属番所・巽櫓・土塀を除き多くの建物は移築されるか取り壊されました。
その後、本丸敷地は船井郡立高等女学校の敷地として利用。この絵葉書は女学校時代のもので、大正時代に撮影されたものです。
絵葉書には現存する櫓門・番所・土塀・巽櫓が写ってますが、櫓門の奥に屋敷のような建物が写ってます。船井郡立高等女学校の校舎ですが、もしかしたら、旧園部城の本丸御殿を再利用したのかもしれません。
また、現在は失われている多聞櫓風の建物が左手前に写ってます。絵図によると「鐘場」とあり、奥にある剣道場と繋がる建物だったようです。
園部城跡2
現在の園部城跡。現在園部城の本丸跡地は園部高校の敷地となり御殿建物は完全に失われてますが、櫓門は高校の校門として利用され、巽櫓・番所・土塀も当時のまま保存されています。櫓門の手前にあった「鐘場」は残念ながら失われ、現在はテニスコートになっています。

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古絵葉書・船井郡立高等女学校

古絵葉書・向日町教会

向日町教会001
京都府向日市にある向日町教会は昭和11年に設立した教会です。教会の正門脇の掲示板に「園児募集」「向日町幼稚園」の文字がありますが、設立当初から教会内で幼稚園も運営されていました。この絵葉書は完成間もないころの向日町教会を撮影したものと思われます。現在この建物は存在していませんが、まこと幼稚園と名称が変わった幼稚園内に向日町教会が存在する形で存続されています。

古絵葉書・京都府立須知農林学校 女子部新設養蚕室落成記念

京都府立須知農林学校001
京都府立須知農林学校は明治6年設立の京都府農牧学校を始まりとする農業学校で、現在の京都府立須知高校の前身でもあります。この絵葉書は新設された女子部と養蚕室の落成を記念して製作された絵葉書セットです。
京都府立須知農林学校002
須知農林学校の正門と校舎。左手前に奉安殿が見えます。大正7年、京都府立種畜場廃止により敷地建物を無償で譲り受け船井郡立実業学校が設立。大正12年に須知農学校と改称しさらには昭和7年に併設された林業科に伴い須知農林学校へと改称されました。
京都府立須知農林学校003
キャプションがなく不明ですが、この建物が女子部及び養蚕室の建物と思われます。
女子部は昭和16年に設立されましたので、この絵葉書もその頃に発行されたものでしょう。
現在外袋に入ってるのは2枚のみですが、もしかしたら本来は内部の絵葉書が2~3枚と建築概要を記したものが入っていたのかもしれません。

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古絵葉書・京都府種畜場

古絵葉書・郡是製糸株式会社園部工場

郡是製糸園部工場001
京都府綾部市に誕生した郡是製糸株式会社(現・グンゼ株式会社)は徐々に事業を拡大し本社のある綾部市内だけでなく京都府内の各所に工場を設立していきました。
現在の京都府南丹市園部町にも明治43年に郡是製糸園部工場が設立。最盛期である大正期には500人の従業員を抱える大工場でしたが、昭和に入り生糸の価格が下落。次第に経営難となり昭和16年に閉鎖されました。
郡是製糸園部工場002
絵葉書の袋の裏にある社訓と社歌。
この絵葉書は昭和初期頃の発行と思われるもので、最盛期を過ぎた頃ですがまだ盛んに操業していたころを物語る絵葉書です。
絵葉書は8枚のセットとなっており、工場の外観や操業の様子、寄宿舎などが写されてます。
中身の絵葉書は「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・中和束尋常高等小学校

中和束尋常高等小学校001
現在の京都府相楽郡和束町にあった尋常小学校で、平成4年に東和束小学校・西和束小学校・湯船小学校とともに統合され、和束小学校となりました。この中和束尋常高等小学校があった中和束村は昭和29年に西和束村と東和束村との合併により和束村が誕生したため消滅しています。この絵葉書は大正期頃に撮影されたと思われるもので、奥に新築された校舎が写っています。
中和束尋常高等小学校002
中和束事情高等小学校本館。
中和束尋常高等小学校003
中和束尋常高等小学校講堂。
この2枚の絵葉書は昭和初期から10年代の様式を持ち、絵葉書の写真もその頃に撮影されたものと思われます。
本館・講堂ともに同じデザインの外観で昭和戦前期の様式のデザインであることから、昭和10年代までに新築された校舎だと思われます。

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古絵葉書・中和束村役場

古絵葉書・岩吹堰堤

岩吹堰堤001
京都府南丹市美山町の美山川にある堰堤です。昭和10年代の撮影と思われます。
現在では何の変哲もない堰堤ですが、完成した当時は山奥の村落にとって一大工事だったと思われ、絵葉書になるほど名所として扱われたのでしょう。
現在も岩吹堰堤は存在し釣りの名所となっているようですが、川魚の遡上に障害を生じているようで、
魚道の設置が計画されているようです。

古絵葉書・京都府立亀岡農学校

亀岡農学校001
大正12年に郡制廃止により南桑田郡立実業学校は京都府に移管され、京都府立亀岡農学校となりました。
この絵葉書は京都府移管後のもので、絵葉書の様式から昭和初期頃と思われます。
亀岡農学校の本館は南桑田郡立実業学校時代のものをそのまま引き継いでますが、本館の前に新たに建物が造られています。
亀岡農学校は戦後に亀岡女学校を前身とする京都府立亀岡高等学校と合併し、現在の京都府立亀岡高等学校となりました。

※関連記事 南桑田郡立実業学校

古絵葉書・南桑田郡立実業学校

南桑田郡立実業学校001
大正8年に現在の亀岡市に開校した学校です。
大正12年の郡制廃止により京都府に移管。京都府立亀岡農学校となりました。
戦後、京都府立亀岡農業高等学校となりましたが、昭和23年に亀岡女学校の前身である京都府立亀岡高等学校と合併し、現在の京都府立亀岡高等学校となりました。
この絵葉書は郡制廃止前の実業学校時代のもので、この本館はそのまま亀岡農学校へと引き継がれています。

※関連記事 古絵葉書・京都府立亀岡農学校

古絵葉書・保津川乗船場

保津川乗船場001
現在でも観光名所として知られる保津川下りの明治後期から大正期頃と思われる乗船場の絵葉書です。
保津川下りは元々江戸時代初期の慶長11年に豪商・角倉了以によって開削され保津川の舟運が行われたことが始まりですが、
観光としての保津川下りは明治28年より行われました。
以後100年以上に渡って京都の代表的な観光として続いています。
保津川下りの乗船場は終点である嵐山の上流にある京都府亀岡市にあり、そこより乗船しますが、現在の乗船場もこの絵葉書の乗船場の位置と同じ場所にあります。
乗船場に至る橋はさすがに架け変えられていますが、絵葉書の橋もトラス橋という近代的な作りになっています。

古絵葉書・園部常設家畜市場

園部常設家畜市場001
大正2年に園部町若松地区にて開設された家畜市場です。
毎月9日にはせりが行われ、その日は周辺も含め活気づいたそうです。

古絵葉書・須知町安井航空機研究所(安井飛行場)

須知町安井航空機研究所001
現在の京都府京丹波市須知にかつて民間の飛行場がありました。
飛行場を設立したのは安井荘次郎。京都市西陣の出身で飛行士となったあと関東大震災の際には各務原から大阪間の郵便飛行を行いました。
この安井飛行場は後身の飛行士育成のために作られた飛行場でしたが、当時飛行機は珍しく近隣の人が見学に多く詰め掛けたようです。
しかし、昭和2年に飛行機が観客へ突っ込み1人死亡という事故を起こし、安井荘次郎も昭和3年に大阪木津川尻飛行場にて墜落し死亡。その後安井飛行場は閉鎖されたようですが、昭和13年に再び飛行場として陸軍に献納する案が須知町議会で提案されました。しかし、どうやら実現せずその後は畑地へと転用されたようです。

古絵葉書・周山森林測候所

周山森林測候所001
現在の京都市右京区周山にあった測候所です。
詳しいことは分かりませんが、神戸大学電子図書システムの「京都日出新聞 大正6年5月2日」に周山森林測候所の記述がありました。
それによると、大正○年(年判別不能)に農商務省山林局が北桑田郡周山村字周山小字城山に設置したとあります。
周山小字城山は明智光秀築城の周山城跡のある一帯の山。城跡のどこかにあったのでしょうか。
調べてみましたがこれ以上の具体的な情報は分かりませんでした。

古絵葉書・京都府種畜場

京都府種畜場001
京都府種畜場は明治39年に京都府船井郡高原村(現・京丹波町)に設置されました。
家畜の交配や品種改良などを行う施設でしたが、大正7年に改組により高原村の種畜場は廃止されました。
この絵葉書は大正7年に廃止になるまでの京都府種畜場を写した絵葉書です。
正門から奥の種畜場を望んだ写真です。門は木製の門柱を建てただけの扉も無い簡素な造りです。
京都府種畜場002
京都府種畜場の様子。左端の洋風の建物が本館でしょうか。
京都府の施設でありながら乳牛や黒牛が歩き、のどかな風景となっています。
大正7年に廃止された京都府種畜場の跡地は払い下げられ、その場所に京都府立須知農学校が建てられました。
それが現在の須知高校です。

※関連記事
古絵葉書・京都府立須知農林学校 女子部新設養蚕室落成記念

古絵葉書・船井郡立高等女学校

船井郡立高等女学校001
船井郡立高等女学校は現在の京都府立園部高校の前身となった学校で、明治41年に設立。
その後京都府立高等女学校となり、大正15年に旧制中学である京都府立園部中学校、
そして、戦後の昭和23年に現在の京都府立園部高等学校となりました。
園部高校はかつての園部城跡の敷地内に存在していますが、
明治期に設立した船井郡立高等女学校も園部城跡に造られたと思われますが、
絵葉書の校舎はかつてのお城の建物では無く、新たに建てられた校舎のようですね。

古絵葉書・須知小学校(4枚組)

須知小学校001
須知小学校は現在の京都府京丹波市須知地区にあった小学校で、
創立が明治6年。明治20年に須知小学校と改称されました。
この絵葉書は昭和10年10月5日に完成した新校舎を記念して作られたと思われるものです。
ちなみに、須知町役場の絵葉書にも昭和10年10月5日の完成したとあり、
町役場と小学校は同じ予算で同時に建設されたものではと思われます。
※関連記事・須知町役場
須知小学校は地元住民の手により建設し、地元の熱意によって完成しました。
デザインは良く見る地方の木造校舎ですが、建材は檜の上等な部材を惜しげもなく使用したと言われています。

今回、須知小学校の完成記念絵葉書と思われる古絵葉書は4枚入手しました。
残りの絵葉書は「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・須知町役場(現・京丹波町)

須知町役場001
現在、京丹波町須知地区にあった町役場の庁舎です。
旧須知町は明治34年に須知村が昇格して誕生しました。
その後戦後まで須知町として機能しましたが、昭和30年に近隣の村との合併により丹波町が成立。
そして平成17年に瑞穂町と和知町との合併により現在の京丹波町が誕生しました。

この絵葉書の役場は昭和10年10月5日に完成したと書かれています。
後に紹介する須知小学校の絵葉書も同日なので、一括して建築されたものでしょうか。
旧須知小学校の校舎は現存していますが、旧須知町役場は現在駐車場になっています。

関連記事・須知小学校

古絵葉書・中和束村役場

中和束村役場004
中和束村は現在の京都府相楽郡和束町で、明治22年に中和束村が発足。
昭和29年に西和束村・東和束村とともに合併しました。
この絵葉書は大正期に作られたものと思いますが、役場の建物は明治期のものと思われます。
役場の前に掲示板と思われるものがありますが、石造りらしき洋風のデザインの凝ったものになってます。
村に少しでも洋風の物を取り入れようと地元の名士が寄付したものでしょうか。

古絵葉書・堰堤上の宇治川ライン口(モーターボート乗場)

宇治川ライン
宇治川ラインの誕生は大正13年。大峯ダム建設に伴い整備された道路で、
ダム湖ではモーターボートや遊覧船の運行も行われました。
この絵葉書はモーターボート乗場の様子で、左側は遊歩道用な感じで公園化していますね。

古絵葉書・亀岡農学校昭和記念館

亀岡農学校講堂
亀岡農学校は、現在の京都府立亀岡高等学校の全身で、大正12年に幾つかの学校が合併して創立しました。
この建物は昭和記念館という建物で、恐らく大礼記念として建てられた講堂ではと思われます。

古絵葉書・亀岡駅より見たる天恩郷

亀岡駅前より
京都府亀岡市の亀岡駅付近から北方面を撮影した絵葉書です。
奥の高台は旧丹波亀山城跡。明治後に大本教の所有となり、諸施設が建てられています。
現在の風景は大型店舗やビル群などが建ち並び市街地としての賑わいを見せていますが、
この絵葉書の写真が撮影された当時は、一面に田んぼが広がり、まだ藁葺き屋根の民家が点在する
風景だったようです。唯一、田んぼの中に建てられた電信柱が街の中らしさを
表しているといったところでしょうか。

古絵葉書・亀岡尋常高等小学校増築落成記念

亀岡尋常高等小学校袋
亀岡尋常高等小学校は、現在京都府亀岡市にある亀岡小学校の前身です。
明治5年設立の歴史ある小学校で、市内最大の小学校でもあります。

この絵葉書は、昭和8年4月に落成した新校舎を記念して発行された絵葉書セットであります。
亀岡尋常高等小学校1
新校舎外観。今となっては見かけなくなった懐かしの木造校舎ですが、
当時は木の香りが漂う最新の設備だったのでしょう。
亀岡尋常高等小学校2
作法及び裁縫室
畳敷きの和室で、部屋の名前から女子の礼儀作法や裁縫の授業が行われていたのでしょう。
亀岡尋常高等小学校3
理科室。
黒板前の沢山の引き出しのある棚や、右奥のよく分からない機械がいかにも理科室らしいですね。
机も棚もすべて木造であり、どことなく懐かしさを覚える教室です。

古絵葉書・丹波亀岡 忠魂碑

亀岡忠魂碑
京都府亀岡市に建てられた忠魂碑の絵葉書です。
忠魂碑のてっぺんは砲弾を模した飾りで、忠魂碑の基壇は石積み、
さらにその周りにも広めにとられた石積み基壇が設けられており、
かなりの立派さです。
絵葉書の様式は大正期頃のもので、忠魂碑は恐らく日清・日露戦役における
戦死者の慰霊を目的として建てられたと思われます。

この忠魂碑の場所ですが、絵葉書を見ると公園か学校の敷地のような広々とした
場所に建てられていることが分かります。
現在、千代川にある忠魂碑がこの絵葉書と非常によく似ており、恐らく同一のものと
思われますが、絵葉書の碑文の部分にプレートが付けられていたり、
碑の周りの柵がなかったりと改変が見られます。

古絵葉書・京都 亀岡 大本教シオン館

亀岡市 大本教シオン館
京都府の亀岡市と綾部市を活動拠点にしている宗教団体の大本教が運営する
出版社、天声社の社員が宿舎にしていた建物が、この亀岡市安町にあった
シオン館です。
3階建ての建物は絵葉書を見ても分かる通り、伝統的な町家の立ち並ぶ亀岡の街並みの中では
目立つ存在であり、当時は安町の洋館と呼ばれていたようです。

このシオン館に関する情報は本当に少なく、上記のことしか分かりませんでしたが、
大正15年に亀岡支社が設立した時にこの建物が宿舎として使用されたこと、
この建物の様式から、建設年は大正後期頃と考えていいと思います。

また、この建物は現存しておりませんが、他の写真や資料を見つけられてないので、
いつ頃取り壊されたのかも不明です。
もしかすると、昭和10年ごろの大本事件により大本教の関連施設は強制的に売却され、
天声社の印刷工場なども取り壊されているので、シオン館もその時に破壊された可能性があります。

古絵葉書・新設八木町大堰橋

大堰橋
京都府八木町を流れる大堰川に架かる鉄橋です。
街の中心地のあたりに架けられ、街の中心と対岸を結ぶ
幹線の橋として現在も使用されています。

大堰橋は八木大橋とも呼ばれ、昭和10年に架けられた
歴史的な橋梁で、鉄橋のトラス上部は山型に細工するなど、
意匠的にも工夫が見られます。
大堰橋現在
これが現在の大堰橋。
欄干とかに改修が見られますが、本体部分は当初のまま使用されており、
近代土木遺産としても貴重な橋だと思います。

関連・大堰橋(八木大橋)まちかどの西洋館

古絵葉書・亀岡 大本教(旧丹波亀山城跡)

大本教1
京都府亀岡市には大本教という宗教団体の本部があります。
戦前から続く宗教団体で、過去2回ほど弾圧を受けましたが現在も続いています。
その亀岡市の大本教本部は元々丹波亀山城の跡地で、明治の廃城と
山陰本線の工事で城の建物はおろか、石垣まで破壊されました。
大正8年、教祖が城跡を購入。その後信者等によって下3段のみ残った
石垣をもとに石垣を修復。しかし、その後昭和10年に弾圧によって石垣は破壊され
その後再び修復されると言う状態になっており、丹波亀山城当時の遺構は
ほぼ皆無と言っていいかもしれません。この絵葉書は昭和10年の破壊以前のものと
推定されますので、多少は丹波亀山城時代の雰囲気は残っているかもしれません。
今回は、その丹波亀山城の城跡と言う点を中心に紹介していきます。
以下、他の写真と私なりの解釈と解説をしていきますので、
続きを読むからご覧下さい。
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古絵葉書 宇治川中島の十三重塔

宇治川十三重塔

宇治川の中島にある石造十三重塔の絵葉書です。この塔は鎌倉時代の大きな石造塔で、
重要文化財指定されていますので、現在も同じ場所にそびえています。
しかしそれより注目したいのは、右手に浮かぶ帆船。当時はこんな船が行き来していたんですね。
奥にはまるで、機関車トーマスのワンシーンのような機関車と貨車のシルエット。
今のように周りに建物も少ないので、非常に牧歌的な風景になっています。
ちなみに絵葉書では「多宝塔」と書かれていますが、それは間違いで、この塔は多宝塔とは全く別物です。

古絵葉書・宇治発電所

宇治発電所

宇治川の流れを利用して、大正2年に完成した発電所で、
煉瓦造の大きな建物です。現在も現役で使用されています。
この絵葉書は、建設途中の写真のようです。

現在の姿はこちら
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