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古写真・国家総動員服工場

国家総動員服工場002
建物に大きく「国家総動員服工場」と書かれている写真です。
国家総動員法が制定されたのは昭和13年4月1日。以後日本国内は官民問わず戦時下体制をとることとなりました。
この工場も元々は服飾関連の工場だったのでしょうが戦時下体制により国家総動員服工場へと転換したと思われます。
工場の前には線路が通り、もしかしたら専用の引き込み線を持つ大きな工場だったのかもしれません。
国家総動員服はいわゆる国民服のことだと思われます。日本における国民服に関する法律「国民服令」が制定されたのは昭和15年11月1日。戦時下の物資統制による合理化のために制定されました。いわゆる軍服色であるカーキ色をした国民服は終戦後まで使用され続けました。
国家総動員服工場003
工場の敷地内のグラウンドで体操をしている写真。始業前の朝礼でしょうか。
体操をしている人々を見たら学生服を着ている10代の若者に見えます。当時の旧制中学や女学校の生徒でしょうか。
軍需関連の工場への学徒動員が戦争も末期に近い昭和19年。ただその頃は女子学生はいわゆる戦時下の女性の服装として知られているモンペを着用していたと思われるので、これは工場の企業が運営する工場内もしくは企業内の学校か青年学校の生徒かと思われます。女子学生のモンペは戦争中期の昭和18年ごろまではスカート着用が多かったようで、実際昭和17年に制定された女性の国民服である婦人標準服はワンピースのようなスカート姿でした。
戦時下の女性にモンペが広まり女子学生の制服にモンペが採用されたのが昭和19年。都市空襲の脅威が身近に感じられるようになったころからでした。
この2枚の古写真の撮影された場所、国家総動員服工場については場所等不明ですが、時代的に昭和14年頃から昭和18年頃までのものと思われ、戦時下の様子を知ることのできる資料です。
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古写真・戦前の海水浴(昭和初期か?)

戦前の海水浴001
戦前の海水浴の様子を撮影した古写真です。子供たちの集合写真であることから、学校の林間学校か遠足でしょうか。
女の子はワンピースの水着と水泳帽を被っていて今と変わりませんが、男の子は全員坊主頭で褌姿という今じゃ見られない姿ですね。
背後には海の家が建ち並び賑わっています。ブランコも設置してあり結構メジャーな海水浴場だったのかもしれません。
中央の海の家には「明治チョコレート」のでっかい看板が掲げられています。
明治ミルクチョコレートは明治製菓が大正15年より発売されているチョコレートで現在も発売されているロングセラー商品です。
明治ミルクチョコレートの販売時期を考えて撮影時期は昭和初期と思われます。
海の家には多くの看板が掲げられ、当時の商品の様子をうかがい知ることができます。
戦前の海水浴003
※クリックで拡大します。
「浪波楼食堂」と書かれた看板。1枚目の写真の奥に写る食堂と思われます。
検索しても判明しませんでしたので現在は無い食堂なのかもしれません。
戦前の海水浴005
※クリックで拡大します。
その浪波楼食堂の看板です。海の家でも規模の大きな店舗だったようです。
軽食ではなくしっかり食事できるメニューを取り揃えていたのでしょう。
戦前の海水浴004
※クリックで拡大します。
手前のテントに書かれた商品名。〇〇ンサイダーと読めますが、最初の2文字が不鮮明ですが、2文字目が「ワ」か「リ」と読めそうです。
それを頼りに戦前に発売されたサイダーを調べましたところ、佐賀県小城市の友桝飲料が昭和初期頃より販売していた「スワンサイダー」が1件見つかりました。このテントに書かれた商品名がスワンサイダーだとすると佐賀県内の海水浴場かと想定てきますが、確証がありませんので断定はできません。

古写真・白美館火災写真(昭和14年12月28日出火)

昭和14年白美館火災001
白美館という百貨店の火災状況を撮影した古写真です。
激しく燃え上がる百貨店の右隅に「ハクミ館」という看板があります。
百貨店は4階建てのように見え、もし地方都市のデパートであれば街の中心的な商業施設だったと思われます。
写真の下の方には駆け回る消防士の姿が写され、緊迫した状況を伝えています。
昭和14年白美館火災002
写真の裏には当時か書かれたと思われる書き込みがあります。
書き込みによると白美館の火災は昭和14年12月28日午前9時30分頃出火とあります。
歳末の大売り出しの時期での9時30分は、現在の一般的なデパート開店時間の10時と同じと考えるなら開店前の忙しい時間帯で、もしかしたら時期的に開店時間を早めていた可能性を考えると、その状況でこれだけの火災となると相当な被害が出ていたと思われますが、これだけの火災と書き込みのようなかなり詳細な情報があるにもかかわらず調べても白美館火災に触れた記事は見つかりませんでした。
ともあれ、戦前の火災被害の瞬間を記録した貴重な資料であることは間違いありません。
お心当たりのある方はご教授願います。

古写真・戦前(昭和10年代?)の海軍関連のパレード  詳細不明

海軍関連のパレード1
戦前の記念行事を撮影した古写真です。
「護れ海国日本」の文字が書かれた軍艦を模した山車が行進に加わっていることから、
海軍関連の記念行事か何かのパレードと思われます。
海軍関連のパレード008
2枚目。海軍の兵隊さんが行進している様子です。

これら2枚の古写真、時期は昭和10年代頃と思われますが、場所等詳細は不明です。
写真から得られるヒントとしては、
海軍関連のパレード2
※クリックで拡大します。
奥に写る商店らしき建物の店名。
海軍関連のパレード3
手前の大きな建物に掲げられた幕らしきもの。
※クリックで拡大します。
海軍関連のパレード011
※クリックで拡大します。
パレード奥の潜水艦?らしき山車に書かれた文字。
「祝 ○○工友」
どれも不鮮明で判別しかねる感じです。

何か詳細の分かる方はご教授願います。

古絵葉書・希望社

希望社
希望社という注釈のある建物です。
建物の感じと検索結果からどうやら教会関係の組織のようですね。
ただ、詳しくはわかりませんでした。
希望社で検索すると結構いろんな会社が出てきますが、
たぶんこれとは無関係と思います。

古絵葉書・明治期の不明擬洋風建築

明治の謎の擬洋風建築
明治期発行と思われる絵葉書です。典型的な擬洋風建築で
左手前の建物の角にガス灯も見えます。
この洋館は、明治初期から明治20年代の建築と思われますが、
絵葉書自体になんの説明もないため、どこのどういう建物かわかりません。
建物の入口に表札らしきものが見えるのですが、これも字が細かく判読不能。
てがかりとしては、建物の外観と右上に写る講堂のような内部写真でしょうか。
町の公会堂か役所のような公共施設だとは思いますが、まったくわかりません。
心当たりのある方は教えてください。

古絵葉書・宮田病院本館

宮田病院本館
宮田病院という病院の本館の建物が新築に待った際の記念絵葉書です。
建物のデザインから見て、建てられた時期は昭和初期~昭和10年代と思われますが、
宮田病院のあった場所等は情報がないためわかりません。
建物の規模、感じから見て町の診療所か開業医のような感じです。

番外編・大正時代の遺跡発掘記事

遺跡発掘の記事
今回も番外編。考古学ブームの続く昨今、連日のように遺跡発掘の記事が新聞に載りますが、
大正時代にも遺跡発掘の記事が載ることがありました。
私が所有する大正2年2月の神戸新聞から紹介してみます。
*画像をクリックすると大きくなります。

「太古の跡」伊勢より土器発見。一は石器時代遺跡か。
伊勢国渡会郡西外城田村小学校校舎は予て新築中の処、此の程落成せるより運動場の一隅に運動具を建設すべく敷地を発掘中地下数尺の所より土器石斧等を発見せしが古来同地附近には黄金の鶏の塚と云うのがあるとの伝説あるより目下数十名の人夫は盛に発掘中なるが今回発見したる土石器は石器時代の遺物らしいといふ 又同郡四郷村北中村にては両三日前同村丸山の山路を修理中一の古墳を発見し 石廓中よりは刀身、鏃、水晶切子、玉砥石、高杯、提瓶其の他数十点を発掘したるが石廓は長さ二十尺幅三尺八寸ないし四尺五寸あり入口は巨岩を以って覆われあり同所にては去る明治二十三年十月大古墳を発掘したることありて由緒深き土地なるが、右は倭姫命の御陵墓なるべしと伝えられ居れり。


記事によればどうやら縄文時代の遺跡と横穴式石室の古墳の調査の記事のようですね。
記事に神話の話を用いているのがいかにも時代を感じますが、戦前の大正期の
遺跡発掘記事として興味深いものと思います。
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