category  [九州地方 ]

古絵葉書・長崎 出師橋(手彩色絵葉書)

出師橋002
明治後期頃撮影の長崎市の出師橋の手彩色絵葉書です。
出師橋は明治37年に出島の海側を埋め立てて造られた長崎港湾第2期改良工事にて同時に造られた鉄橋でした。
出師橋の名前の由来は日露戦争に第6師団が出島からこの橋を渡って出征したことにちなみます。
絵葉書にあるように橋名を掲げたトラス式の鉄橋は明治期の日本において全国で造られました。
左側に見える大きな洋館は明治24年竣工の長崎税関。煉瓦造ですが長崎大学所蔵の古写真を見るとモルタルらしきものを外壁に塗っているためこの絵葉書に着色された赤煉瓦庁舎のような赤い壁ではなかったはずですので、着色時に煉瓦という情報だけを聞いて実物を見ていない職人がイメージで赤く塗ったのかもしれません。この長崎税関は昭和3年完成の新庁舎完成まで使用されました。
出師橋は昭和33年に区画整理により取り壊されました。
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古絵葉書・小倉偕行社

小倉偕行社001
現在の北九州市小倉区にあった偕行社です。
偕行社は陸軍将校の親睦会で各師団に存在し将校用の各種軍装品、飲食施設や宿泊施設も備えていました。
小倉の第12師団は大正15年の宇垣軍縮での移転により小倉城にあった師団施設は廃止。
歩兵第14連隊はそのまま存続しましたが、関東大震災により壊滅した陸軍造兵廠東京工廠の移転先として14連隊の敷地が当てられ、14連隊も小倉区の北方へと移転しました。
この小倉偕行社の絵葉書には「小倉市北方歩十四連隊前」と書かれており、歩兵第14連隊移転後に新設されたものでしょうか。
建物も昭和初期らしいモダンなデザインとなってます。

古写真・九州製紙株式会社(明治38年9月撮影)

九州製糸株式会社
※画像をクリックすると拡大します。
九州製紙株式会社は熊本県八代市坂本地区にあった明治36年に設立された製紙会社で、
現在の日本製紙の前身会社の一つでもあります。
(現在存在する九州製紙株式会社はこの明治期の九州製紙株式会社とは関わりはないようです。)
当初は明治31年に設立した肥後製紙株式会社でしたが、改称後の九州製紙株式会社が第1次大戦での好景気で業績を伸ばし、自前の発電所を建設するなど施設の拡充も図りました。しかし、大正15年に4社合併により樺太工業株式会社となり社名は消失しました。
その後、戦前戦後を通じて合併や吸収された会社の子会社など多くの変遷を経て、昭和42年に十條製紙株式会社(現・日本製紙)の子会社の西日本製紙株式会社として発足しましたが、昭和62年に親会社の十條製紙株式会社が西日本製紙株式会社の廃止を決定。100年にわたる坂本村の製紙工場は歴史の幕を閉じました。
この3枚につないだ古写真は明治38年に撮影された九州製紙株式会社時代のもので、油谷川沿いに工場の煉瓦の建物が建ち並び、恐らく村のランドマークにもなったであろう巨大な煉瓦の煙突が堂々とそびえています。
煉瓦の建物の前では休憩でしょうか4人が入口前で座っています。
右端の平屋棟には木材が積まれていますが、紙の原料でしょうか。
工場の左側には藁葺き屋根の農家っぽい民家も見えますが、社宅と思われる住宅も何軒かあります。
手前の住宅には日章旗が掲げられており、山の麓の石垣の上に建つ民家には人が集まっています。祝祭日だったのかもしれません。
山の斜面には水の流れる水路があります。右側には水圧鉄管らしきものもあり、恐らく工場内に発電所があったのでしょう。
九州製糸003
台紙の裏側には「明治三十八年九月吉日之写 九州(州の字は崩し字)製紙株式会社」の書き込みがあります。
左横に「坂倉清四郎務先」と鉛筆書きがあり、坂倉さんが勤務していた記念に撮影したか貰ったもののようです。
この九州製紙株式会社の坂本工場は現在完全に更地と化しており、写真に写る煉瓦の建物は全く残されていないようです。
旧九州製紙株式会社坂本工場の現状については「九州ヘリテージ」さんのHPにレポが紹介されております。
また、当記事を書くにあたって参考にさせていただきました。
 

古絵葉書・大阪朝日新聞九州支社

大阪朝日新聞社九州支社001
昭和12年に現在の北九州市小倉帰宅砂津に建てられた支社ビルです。
設計は竹中工務店。支社ビルの外壁はなぜか迷彩柄になっています。
下関要塞地帯ということもあったのかもしれませんが、建設途中に日中戦争が勃発したため、
陸軍の指導により迷彩を施したそうです。
敵機の空爆に対しての迷彩効果を検証する実験的なものだったのかもしれません。

古写真・昭和10年代の九州地方の変電所工事写真8枚

九州地方の変電所1
元の所有者によると、「昭和10年代撮影九州地方の電力関連工事」とのことで、
それ以上の情報はありません。
写っている人物や施設や写真の感じから、昭和10年代に撮影された
九州のどこかの変電所工事写真と思われます。
写真は全部で8枚。変電所の建物や変圧器などが撮影されています。

残りの7枚は「続きを読む」からこ覧ください。
続きを読む

古絵葉書・佐世保要塞司令部

佐世保要塞司令部
日本にあった4つの海軍の鎮守府のうち、佐世保鎮守府軍港防備のために設立したのが
佐世保要塞司令部で、明治33年に設置されました。
佐世保要塞自体は明治30年から建設が開始され、明治34年にすべての要塞が完成。
守備は陸軍の第12師団の佐世保重砲兵大隊が担当しました。
佐世保要塞は、昭和11年に長崎要塞に吸収合併されました。

関連記事・由良要塞司令部

古写真・貝島邸建築写真か

貝島邸
購入先の方が「貝島炭鉱貝島邸建築写真」と称していた古写真です。
貝島炭鉱は、明治16年に貝島太助によって創業された鉱山で、
後に貝島財閥となりました。

この建築中の屋敷は、和館2棟に付属の洋館1棟というかなりの豪邸ですが、
邸宅名の記載がないので貝島家の邸宅かはわかりません。

ただ、台紙の裏に「筑前鞍手郡宮田村旧大之浦学校前 写真師 廣田千畝」
の記載があります。

鞍手郡宮田村は貝島炭鉱があった場所です。

古絵葉書・曽木発電所

曽木発電所1
鹿児島県大口市の名所、曽木の滝の上流にまるで古代遺跡のように煉瓦の壁だけ残された建物があります。
その建物は旧曽木発電所遺構で、現在はダムの貯水により冬季は水没し夏の渇水時期のみ姿を表す
インパクトのある遺構であるため、その価値が最認識され国指定登録文化財に指定され、
保存整備されることになりました。

この絵葉書は操業していた当時のもので、現在も残る煉瓦造りの発電所建屋や建屋上部のヘッドタンクの他に、
水圧鉄管や木造の建物なども見えます。

曽木発電所は明治42年に「曽木第二発電所」として完成した発電所で、鹿児島県内でも最初期に位置する
大規模な発電所でした。
曽木発電所は明治39年に野口遵によって設立した「曽木電気株式会社」の操業で、当初は牛尾鉱山・大口金山への電力供給と近郊町村への電力・電灯の供給を目的とした電力会社で、創業当時は現在の曽木第二発電所の上流に第一発電所がありました。
その曽木電気株式会社は、水俣市にあった日本カーバイド商会と合併。「日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)」となり、
この曽木第二発電所は、大口市の鉱山と日本窒素肥料の工場に送電するために作られた発電所でした。

昭和36年、下流にできた鶴田ダムにより、曽木発電所は廃止され、煉瓦の建屋はダム湖に沈むことになりました。
しかし夏の渇水期は水位が下がり発電所の煉瓦建屋の躯体が姿を表し、その古代遺跡のような幻想的な姿が話題となり、国指定登録文化財に指定され保存整備されました。

曽木発電所2
10年ほど前に撮影した整備前の曽木発電所遺構です。
曽木発電所3
整備前の状況は発電所建屋が半分くらい土砂に埋もれていましたが、
現在は土砂が撤去され掘り起こされています。
曽木発電所5
湖面に面した部分は比較的当時の姿を保っています。
曽木発電所3

曽木発電所6
煉瓦の建屋遺構は、まるで欧州の古城跡か古代遺跡のよう。
曽木発電所4
建屋上部にあるヘッドタンクの遺構。
絵葉書も写ってますが、このアーチ状の穴から建屋へ水圧鉄管が伸び、水を通して発電をしていました。
現在はこのヘッドタンクと水圧鉄管のあった導水路部分も掘り起こされ、再整備しています。

現在の曽木発電所遺構を紹介したサイトです。

古絵葉書・豊後沈堕ノ滝ト発電所(沈堕発電所)

沈堕発電所
沈堕の滝は、大分県大野市にある滝で、古くから知られた景勝地でした。
明治42年、大分~別府間を走る鉄道のために作られた発電所が沈堕発電所です。
大正12年、下流に新たに発電所が作られたあとは役目を終えました。
現在石造の発電所建物が残されており、河畔に建つ旧発電所の遺構はまるで欧州の遺跡のように見えます。

※参考サイト・沈堕発電所跡

古絵葉書・大淀川第二発電所堰堤(高岡ダム)

大淀川
宮崎県高岡町の大淀川に作られた発電用のダムで、昭和7年に完成した重力式コンクリートダムです。
現在の高岡ダムで、下流にある昭和6年竣工の大淀川第二発電所とともに現役で使用されています。

古絵葉書・第六師団 熊本偕行社

熊本偕行社
熊本城内に設立された第六師団の偕行社です。
偕行社とは、陸軍師団の将校の親睦団体のことで、全国の師団司令部内に
施設が設けられました。
この熊本偕行社の建物は、デザインから昭和10年代の建築ではないかと思われます。
第六師団司令部
こちらが熊本城内にあった第六師団司令部です。

関連記事・第六師団司令部

古絵葉書・第六師団司令部

第六師団司令部
熊本城の中にあった第六師団司令部の庁舎です。
この絵葉書には写ってませんが、すぐそばに熊本城の本丸があり、
アングルによっては石垣が写っている写真もあるようです。
第六師団は、明治5年に設置された熊本鎮台をもとに編成された師団です。

古絵葉書・長崎県庁

長崎県庁
明治44年に建てられた3代目の長崎県庁です。
ルネッサンス様式の華麗な建物ですね。
この建物を見たとき、ある洋館を思い出しました。
現在重要文化財に指定されている京都府庁旧本館で、明治37年に完成した
ルネッサンス様式の建物です。(参照1参照2
明治35年に建てられた旧兵庫県庁とともにこの長崎県庁は
それらを参考にして建てられたものと思われます。

古絵葉書・門司風景(16枚組) 

門司絵葉書袋
門司地区の名所を紹介した絵葉書セットです。
16枚組になっていますが、今回は近代建築の写った6枚を紹介します。
続きを読むから御覧下さい。
続きを読む

古絵葉書・佐世保防備隊

佐世保防備隊
防備隊とは、鎮守府管轄の軍港の防備や掃海作業を担当した部隊です。
これは、佐世保鎮守府所属の防備隊の建物ですが、かなり立派ですね。
以前紹介した舞鶴防備隊の記事はこちらです。
参考にどうぞ。

古絵葉書・熊本市役所前通り

熊本市街
熊本市役所前の通りから、官庁街方向を見た写真です。
路面電車は今でも市内を走っていますね。熊本市街の中心地だけにさすがに
近代的な建物が並んでいますが、このあたりは昭和20年の空襲で被害を受けています。

古絵葉書・九州帝国大学医学部

九州帝国大学医学部
帝国大学らしく明治の立派な洋館の施設です。
この絵葉書を作られた時期はおそらく昭和期だと思います。

古絵葉書・浦上天主堂

浦上天主堂
昭和20年8月9日、長崎市に落とされた原子爆弾は、
一瞬の内に浦上地区を壊滅させました。
浦上地区のシンボルであった浦上天主堂もあっという間に瓦礫へと変わってしまいました。
現在、浦上天主堂は被爆前の姿に再建され、再び同地区のシンボルとなっています。

古絵葉書・箱崎サンキューアパートメントホテル

箱崎サンキューアパートメントホテル
福岡市箱崎にあったホテルです。
写真を見たところ、ホテル自体は小規模に見えますが、
南欧風の外観、完全洋風のロビーなどかなりオシャレでハイレベルなホテルです。
今で言うちょっと高級なビジネスホテルみたいな感じだったのでしょうか。
このホテルが気になってネットで調べてみたのですが、全く情報がなく
不明のままです。建物の感じから、昭和初期~10年代の建築と思われるのですが。

古絵葉書・九州帝国大学工学部

九州帝国大学工学部
旧帝大でもある、九州大学の工学部本館です。
大正3年に完成した煉瓦造の本館は、その後火災により焼失しましたが、
大正15年に焼け残った壁や躯体をそのまま使用し、改修しました。
その後はそのまま使用され続け、現在も残っています。

古絵葉書・福岡県庁

福岡県庁
戦前の福岡県庁の本館です。この手のデザインは大正期に多く建てられ、良く似た建物に
旧鹿児島県庁があります。また正面に塔屋とバルコニーを配し、左右に翼部を広げ
角に核となる部屋を設けるデザインは、明治後期から昭和初期に至る府県庁舎の典型的な姿です。

古絵葉書・福岡名所 福岡ホテルより博多湾を望む

福岡名所2
引き続き福岡の街並みを。こちらも中州のようです。
洋館がところどころにあるとはいえ、まだまだ日本家屋の割合が多いし、高い建物もありませんね。

古絵葉書・福岡名所 東中洲ヨリ天神町方面

福岡名所1
屋台のラーメンで有名な福岡の中州ですね。さすが大都市らしく洋館が建ち並んでいます。
右端に少しだけ写っているドーム屋根は、おそらく旧日本生命福岡支店。
現在の赤煉瓦館で、重要文化財に指定されています。

古絵葉書・箱崎水族館

箱崎水族館
箱崎宮で有名な福岡市箱崎にあった水族館です。
門柱に「箱崎水族館」と縦書きされた板の表札と右手の券売所以外は
どこかの役場か何かに見えますね。今の水族館のイメージからは
かけ離れた本格的洋館です。

古絵葉書 城山より見たる鹿児島市街と桜島

鹿児島遠望

鹿児島は3年ほど居たことのある思い出の街です。
鹿児島の遠望の写真は、ほぼ必ず城山からの遠望ですね。
おかげで各時代の比較検証がやりやすく街の移り変わりがよく分ります。 
「続きを読む」をご覧下さい。
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古絵葉書・三菱ガンドリグレン(長崎名所)

三菱ガントリークレーン

*好きな人にはたまらない物件。
絵葉書の注釈にある「ガンドリグレン」は、ガントリークレーンのことで、船台の上に設けられ、造船や積み込みのときに使用される大型のクレーンです。
このクレーンは、長崎の三菱長崎造船所に設置されていたクレーンで、
大正時代に作られたものです。
このクレーンは多くの船を生み出し、かの戦艦武蔵も建造したとのことです。
しかし、このシンボル的な存在だったクレーンもつい最近解体されたそうです。
貴重な近代化遺産、産業遺産だったと思うのですが・・・

古絵葉書・城山より眺望の鹿児島市街と桜島

鹿児島市街と桜島

西郷隆盛が自決したことで有名な城山から鹿児島市街と
桜島を撮った絵葉書。以前紹介した昭和10年代の鹿児島市街の写真と比べると、この絵葉書にも
鹿児島市公会堂と山形屋、南日本銀行の建物が写ってますので、
同じく昭和10年代頃の撮影と思われます。

古絵葉書・松崎謙和堂

松崎謙和堂

見学させていただいた後日に送っていただいた、
松崎謙和堂医院の新築当時の絵葉書。昭和9年築の建物で、
鹿児島県伊集院町にあります。現在の姿と比べると、
当時は、ベランダがあったようです。

古写真・鹿児島天文館

鹿児島天文館

現在も鹿児島市内の繁華街である天文館の戦前の写真。
昭和10年代頃の撮影。
右の幟には「日活共同 帝国館」と書かれています。

古写真・鹿児島商業学校

鹿児島商業学校1

鹿児島商業学校2

かつて、鹿児島市内にあった商業学校。
この写真は本館の写真です
鹿児島商業学校3

鹿児島商業学校4

内部の写真。明治・大正期の洋館にしては、シンプルに見えます。
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