古絵葉書・東京第一衛戍病院 ---2009/06/21/Sun

衛戍病院とは、陸軍の衛戍地に設けられた病院のことで、
陸軍の傷病兵の収容・治療を行っていました。
この東京第一衛戍病院もその一つで、明治3年に設立した軍医寮附属病院を
起源とし、東京衛戍病院と改称。明治36年に東京第一衛戍病院と改称されました。
東京第一衛戍病院という名称は、昭和11年に東京陸軍第一病院と改称されるまで
使用されますが、この絵葉書は大正後期から昭和初期にかけての様式を持ってますので、
絵葉書の写真が撮影されたのもそのころではないかと思われます。
東京第一衛戍病院は戦後も引き継がれ、現在の国立国際医療センターとなります。
この絵葉書の建物は「薬室」建物自体は明治後期のもののようです。

「看護卒兵舎」看護兵、いわゆる衛生兵の兵舎のようです。
本来はセットとして複数枚の絵葉書があったと思われますが、
バラの状態で入手しましたので、今のところはこの2枚のみです。
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古絵葉書・2代目横浜税関 ---2009/05/03/Sun
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古絵葉書・東京中央郵便局 ---2009/03/14/Sat

解体か保存かで大いに揺れ、先日登録有形文化財としての保存が決定した
戦前モダニズムの傑作、東京中央郵便局の完成間もないころの絵葉書です。
昭和8年に完成した東京中央郵便局は、逓信省技師・吉田鉄郎の代表作で、
また、大阪中央郵便局と並ぶ戦前期のモダニズム建築の傑作とも
評されています。
吉田鉄郎はモダニズム建築の作品がよく知られていますが、
初期の作品には、旧京都中央電話局上京分局(現・カーニバルタイムズ)
のように、表現主義的な建物を建てています。
現在京都には、上記の旧京都中央電話局上京分局ともう一つ、
旧京都中央電話局(現・新風館)の2つが現存し、
現存する吉田の初期作品として知られています。
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古絵葉書・大日本麦酒目黒工場 ---2009/02/15/Sun

大日本麦酒とは、戦前に存在した最大手のビールで、
現在のアサヒビール・サッポロビールの前身であるビール会社でした。
大日本麦酒は明治39年に札幌麦酒、大阪麦酒、日本麦酒の3社が合併してできた
会社で、合併前の札幌麦酒・大阪麦酒・日本麦酒のブランドで今も販売されている
サッポロビール・アサヒビール・ヱビスビールを販売しており、
また、ビール以外でも、リボンシトロンや三ツ矢サイダーなど、
現在も売られている清涼飲料水も販売していました。
しかし、戦後の昭和24年、解体されることになり、その時分割された朝日麦酒と日本麦酒が
現在のアサヒビール・サッポロビールとなりました。
絵葉書の工場はローマ字の文によると、目黒工場のようです。

こちらは、所有している昭和11年発行の「大日本麦酒株式会社三十年史」
に収録されている、目黒工場の様子。ただ、絵葉書と比べると、
共通の建物が見当たらないのですが。
「大日本麦酒株式会社三十年史」には、会社の沿革と工場の様子だけでなく、
製品のラベルなども紹介されており、昭和戦前期のビールや清涼飲料水の製品を
知る好資料となっています。
追記にて紹介していますので、下の「続きを読む」からご覧ください。
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書籍・平和記念東京博覧会出品・文化村住宅設計図説 ---2008/12/24/Wed
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古絵葉書・東京岩田植物生理化学研究所 新築記念絵葉書 ---2008/11/29/Sat

東京岩田植物生理化学研究所は東京帝国大学理科大学に在籍していた
岩田正二郎氏が同大学中退後、設立した研究所です。
岩田氏が収集した学術図書などの研究資料は岩田文庫として知られ、
現在大阪教育大学が所蔵しています。
この絵葉書は、昭和10年に新築された岩田研究所の記念絵葉書で、
袋入り3枚組となっています。
中身の絵葉書は、下の続きを読むからご覧ください。
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古絵葉書・栃木町大本営 ---2008/07/27/Sun
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古絵葉書・手彩色 吉原遊郭 ---2008/07/06/Sun

江戸時代に開設された吉原遊郭は昭和32年に売春防止法が施工されるまで
日本でも長い歴史の持つ最大規模の遊郭街でした。
明治期に入っても衰えることはなく、東京の名所として絵葉書等に紹介されました。
この絵葉書は外国人向けの手彩色絵葉書で、注釈は英文で書かれています。
明治の吉原らしく、人力車が止まり、奥には洋館も建っています。
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古絵葉書・近衛歩兵第一旅団時計台(旧竹橋陣営兵舎) ---2008/06/23/Mon

明治4年、天皇の警護を目的に設立された御新兵は、旧江戸城北の丸に駐屯しました。
その御新兵の兵舎として建てられたのが竹橋陣営で、明治4年にお雇い外国人であった
ウォートルスの設計によります。
完成した竹橋陣営の時計塔は西洋化の象徴として新たな名所となり、錦絵にも描かれるほどでした。
ウォートルスは、明治の近代化の象徴ともなった大阪造幣寮や銀座煉瓦街も手掛けています。
この地は後に近衛歩兵第一・第二連隊となりますが、ウォートルス設計の歴史ある時計塔の兵舎は
そのまま使用され、昭和20年まで残っていたそうです。
この絵葉書は、絵葉書の様式から大正期のものと思われます。

こちらは、過去に紹介した近衛歩兵第一・第二連隊の絵葉書。
後方に旧竹橋陣営の時計塔が写っています。
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古絵葉書・陸軍幼年学校 ---2008/06/01/Sun

陸軍幼年学校とは、10代の頃から陸軍の幹部将校になるための教育を施す学校で、
明治8年に設立しました。その後、東京に中央幼年学校、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本に
地方幼年学校が設けられました。
昭和以降、地方の幼年学校は廃止され、東京のみになりました。
この絵葉書はその頃のものと思われます。
4/27同じセットだったと思われる2枚を入手しましたので、紹介します。
6/1さらに同セットだったと思われる2枚を追加しました。
続きを読むから御覧下さい。
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古絵葉書・東京帝室博物館 ---2008/05/18/Sun

明治14年、上野の寛永寺の跡地に博物館が完成しました。
お雇い外国人のコンドルが設計したこの本館は、煉瓦造2階建ての本格的な洋館でした。
その後明治大正と本館として使用され続けましたが、関東大震災で大きな被害を受け
取り壊されました。
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古写真・丹那トンネル(EF536電気機関車が写る) ---2008/03/14/Fri

丹那トンネルは、東海道本線の熱海駅から函南駅の区間にあるトンネルで、
昭和9年に完成しました。
当時日本で2番目といわれた長さでしたが、工事の調査や見通しの甘さ、
やっかいな地質により、かなりの難工事となり、多数の犠牲者を出したことでも知られています。
この古写真は雑誌の付録のものだそうで、解説の小冊子もついています。
トンネル内部からの撮影ですが、左側の機関車からは身を乗り出している人たちがいます。
この機関車には「EF536」のプレートがついており、それによりこの機関車が
昭和7年から製造が始められた「EF53形電気機関車」の6号機だったことが分かります。
Wikipediaの解説によると、EF53形電気機関車は旅客用として作られたそうですが、
よく見たら機関車の前(後?)にトロッコが連結されていて、中に人が乗っています。
元々旅客用だったけど、作業用にも使われていたのでしょうか?
それとも、完成後の見学用サービスとしてトロッコを連結して見学者を乗せていたのでしょうか?
トロッコに乗っている人たちの服装を見たら、後者のように思えますね。
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古写真・昭和初期の銀座風景 ---2008/03/09/Sun

昭和10年代ごろの銀座の風景を撮影した古写真です。名刺サイズの小さな写真です。
道路の真ん中には市電の線路が確認できます。左奥に見えるのは、
現在和光になっている服部時計店の時計塔が見えますね。今も昔も銀座のシンボル。
道路の両側には看板を掲げた店が建ち並び、人通りも多くさすがに賑わっています。

夜の銀座通り。戦前でありながらさすがに夜でも明るい街並みです。
街灯が昭和初期らしくしゃれています。左やや奥に松坂屋。
手前には高島屋の社紋が見えます。松坂屋は今でもありますね。
昭和初期、休日に銀座へ繰り出してブラブラ歩きながらショッピングを楽しむ
「銀ブラ」が流行しました。現在へ続く余暇の楽しみ方の原型が
この時期に誕生したわけです。ただし、戦争で一時中断しましたが。

これら写真は3枚セットで入手したのですが、何故か1枚は銀座ではなく皇居お堀端の写真。
右手前に写る大きなビルは、第一生命館。戦後GHQ本部となり、
現在DNタワーになっている有名なビルです。渡辺仁設計、竹中工務店施工により
昭和13年に完成しました。左手奥のビルは、東京會舘の建物。大正11年完成の建物で、
近年までは現存していたようです。
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古絵葉書・平和記念東京博覧会文化村住宅(内部) ---2008/02/24/Sun

以前紹介した平和記念東京博覧会で展示された文化村住宅の内部の絵葉書です。
外観絵葉書と同じく、全部で16枚あると思われますが、
残念ながら5枚しか入手していません。
とりあえず、現在手元にある5枚を紹介いたします。
続きを読むから御覧下さい。
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古絵葉書・平和記念東京博覧会文化村住宅(16枚の内11枚) ---2008/02/02/Sat

大正11年、第1次世界大戦の終結を記念して東京上野で平和記念東京博覧会が開催され、
その会場内に文化村という住宅展示場が設けられ、14棟のモデル住宅が展示されました。
この絵葉書はその文化村に出品されたモデル住宅を紹介したものです。
全部で16枚セットになっていたようですが、バラによる入手ですので
11枚しかありません。現在所有している11枚のみを紹介します。
続きを読むから御覧下さい。
*追記・関連として、
書籍・平和記念東京博覧会出品 文化村住宅設計図説(大正11年)
の記事をUPしました。
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古絵葉書・横浜港 ---2008/01/19/Sat
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古絵葉書・三菱銀行中庭柱廊 ---2008/01/12/Sat
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古絵葉書・陸軍士官学校 ---2007/11/25/Sun

明治41年4月の消印がある絵葉書です。陸軍士官学校は、陸軍の将校養成の学校として、
明治7年に東京市ヶ谷に開校しました。以来、昭和20年の終戦まで数多の陸軍士官を
世に送り出していきました。この本館は明治初期に建てられたものだと思います。
陸軍士官学校に入学した生徒は、上等兵・伍長・軍曹と昇進し、
卒業時は曹長になり見習士官として経験をつんでようやく少尉になれました。
この絵葉書の差出人は「陸軍士官学校第二中隊附 歩兵軍曹」と
肩書きを書いてます。軍曹は入学後1年経つと進級しますので
この方は2年生ということになります。
陸軍士官学校入学はかなりの難関でしたが、卒業して士官になることは
将来を約束されるようなものでした。士官学校入学は当時の人たちの
憧れだったようです。
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古絵葉書・大蔵省(大蔵大臣 山本達雄) ---2007/11/25/Sun

大蔵省は日本の財政を取り扱う官庁で、説明不要ですね。現在は財務省となっています。
この絵葉書の大蔵省の庁舎も明治初期の擬洋風建築で、関東大震災までは
このような建物が数多くたっていたことと思います。
右上の大蔵大臣・山本達雄は、日本銀行総裁・農商務大臣・内務大臣を歴任した
政治家ですが、大蔵大臣をやっていたのは、明治44年の第2次西園寺内閣のみで、
この絵葉書が明治44年ごろのものと推定できます。
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古絵葉書・内務省(内務大臣 原敬) ---2007/11/25/Sun

内務省とは、戦前まで存在した警察・土木・衛生・地方自治など
国内の行政を担当する官庁でした。
この建物は典型的な明治初期の擬洋風建築の洋館で、
関東大震災まで使用されたのではと思います。
右上には「内務大臣 原敬」。原敬は爵位を持たない平民宰相として
有名ですね。原敬が内務大臣を勤めていたのは明治39年と明治44年。
この絵葉書は次に紹介する大蔵省の大蔵大臣・山本達雄の絵葉書と
同じ様式であることから、明治44年の第2次西園寺公望内閣の
ものではないかと思われます。
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古絵葉書・電信隊炊事場 ---2007/11/11/Sun

炊事場(電信隊酒保発行)松平写真館謹製とだけ注釈のある
絵葉書であることから、元々はセットだったものだと思われます。
ネットで調べた結果、どうやら東京中野にあった電信隊(電信第一連隊)
ではないかと思われます。
酒保とは軍隊内の売店のことで、そこでお土産用か何かとして売られていたのでしょう。
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古絵葉書・水戸城跡(彩色) ---2007/10/28/Sun

徳川御三家の一つ水戸徳川家の居城だった水戸城の絵葉書です。
右手の三階建ての建物は御三階櫓。御三階櫓とは天守の代わりをなす
三階建ての櫓の事で、幕府に遠慮してという理由が多かったようです。
水戸城は御三家でありながら、他の和歌山城や名古屋城とは違い、
石垣ではなく土を主体とした縄張りといった質素な城でした。
この御三階櫓も石垣の上ではなく、二の丸の平地にそのまま建ってます。
御三階櫓は明治の廃城令後も残っていましたが、昭和20年の空襲で焼失しました。
この絵葉書は様式から昭和初期のものと思われます。
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古絵葉書・日比谷公園の大饗宴場(後方に旧鹿鳴館) ---2007/10/20/Sat

昭和5年に日比谷公園にて開催された関東大震災後の
帝都復興式典の様子を写した絵葉書です。
今回この絵葉書を取り上げた理由なのですが、復興式典の方ではなく、
後方に見える洋館です。

後方の洋館を拡大。
この洋館はかの「鹿鳴館」です。昭和5年当時は別の名前・
用途で使用されてましたが、明治期の雰囲気は保たれています。
絵葉書を御覧になって分かるとおり、旧鹿鳴館は多少被害は被り
修復されたものの、倒壊などはせず関東大震災に耐えています。
それだけに昭和15年に取り壊されたのは惜しいですね。
大正・昭和、あるいは明治期の旧鹿鳴館の絵葉書や写真は
まだ出回っているとは思います。
もう少しまともに写っている古写真・絵葉書を入手するまで探してゆく予定です。
(前回紹介した旧鹿鳴館は上空からの撮影でしたし。)
*匿名希望様から、この建物は愛国生命ではないかとのご指摘を頂きました。
日本建築学会のサイトに愛国生命の古写真がありました。
塔屋の辺りなど確かに似ています。ご指摘ありがとうございました。
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古絵葉書・近衛歩兵第一旅団 ---2007/10/13/Sat

北の丸にあった近衛歩兵第一旅団の絵葉書です。
注釈では旅団となってますが、写っている兵舎はスタンプにあるように
近衛歩兵第一・二連隊だと思われます。
近衛連隊の兵舎は、一般の連隊の兵舎と違い、立派な煉瓦造で建てられています。

こちらは過去に紹介した彩色の近衛歩兵第1・2連隊。
師団司令部かと思うくらい立派な建物です。
皇居と天皇を守る部隊として格付けするためという理由があったのかもしれません。
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古絵葉書・近衛歩兵第三連隊 機関銃隊 ---2007/10/13/Sat
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古絵葉書・日比谷上空(旧鹿鳴館がちょっとだけ写ってます) ---2007/10/08/Mon

昭和初期から10年代前半頃の東京日比谷上空の絵葉書です。
左が日比谷公園。(塔屋のある建物は、現在もある日比谷公会堂)
絵葉書の右側奥にちょっとだけ写っているのが帝国ホテルです。
日比谷公会堂の道路挟んで向かいにある白いビルは日本徴兵生命保険の建物ですが、
その奥にやや古風な洋館があるのがお分かりでしょうか。
じつはこれ、鹿鳴館の建物です。明治16年に完成した鹿鳴館は、
明治の文明開化の象徴として教科書に載るくらい有名ですが、
その後の鹿鳴館は余り知られてませんね。
鹿鳴館は、すでに明治27年には華族会館として払い下げられてます。
その後、昭和15年に解体されるまで残ってました。
となると、大正期や昭和期の旧鹿鳴館を写した絵葉書なり古写真が
もっとあってもおかしくないはずですが、これが中々見つからず。

旧鹿鳴館の部分をちょっと拡大。この絵葉書ではこれが精一杯。
以前、もう少し寄った絵葉書を見かけたのですが、結局手に入れられませんでした。
もっとしっかりと撮影されている絵葉書等があるはずと思いますので、
今後も捜索を続けます。
(鹿鳴館の写真自体は、ネットで検索すれば結構出てきます。)
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番外編・明治37年大阪朝日新聞 白木屋広告 ---2007/07/21/Sat

前回の潜水艇につづき、番外編として、私の所有する
明治37年大阪朝日新聞の白木屋のイラストつき広告を紹介します。
(画像をクリックで大き目の画像が見られます)
店舗新築の広告なんですが、建物は古風な土蔵造り。
どうやら、この頃はこういった土蔵造りが流行っていた時期の様で、
京都の大丸や銀行などでも土蔵造りの建物を採用している例があります。
伝統的な土蔵造りですが、1階はちゃんとジョーウインドウになっているのが
やはり明治の文明開化後といったところでしょうか。
文明開化といえば、店舗の前の情景にも注目。
店の前には、自転車に乗る人、人力車に乗る人、鉄道馬車、コウモリ傘をさす人など
中々ハイカラな人たちが集ってます。これらも文明開化の象徴ですね。
ただし、人力車や鉄道馬車などは昭和までには姿を消しますが。
それでも、広告の見出しや説明文は江戸時代のような堅苦しい文。
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古絵葉書・火災中の警視庁 ---2007/06/23/Sat

大正12年に起こった関東大震災により炎上している警視庁の建物。
当時のアサヒグラフについていた絵葉書で、震災直後の混乱の様子が
伺えます。
煉瓦建築なので外壁は残っていますが、震災により明治期から建てられてきた
東京の煉瓦建築はこの震災により瓦解し、それ以降煉瓦建築はすたれ、
鉄筋コンクリート建築が広まっていきました。
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古絵葉書・東京の反面 ---2007/04/21/Sat

関東大震災後、東京はかなり近代的な街並みへと変化していきましたが、
その反面、この絵葉書のようにバラックのような街並みも存在していました。
この絵葉書はその様子をとらえている珍しいものですが、
その注釈も結構皮肉っぽく書かれていて面白い内容になっています。
以下、注釈部分を書き出してみます。
「がっしりとした鉄筋コンクリート、瀟洒な白タイル、七色のネオンライトに彩られた
モダン東京も、その裏に廻ってみれば、この有様です。
顔にばかりゴテゴテ白粉を塗って、襟筋の垢をそのままにしている、
下手なお化粧に似てはいませんか。ここは銀座一丁目の町つづき
大根河岸から眺めた情景です」
戦前の絵葉書は一種の報道の役割も果たしていたようですが、このような世相を皮肉った
週刊誌のような描き方もしているんですね。
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古絵葉書・大隈侯爵邸 ---2007/04/14/Sat

大隈侯爵といえば、首相も勤めた明治の元勲・大隈重信ですね。
さすが明治期の政界の中心にいた人らしくかなり立派なお屋敷です。
絵葉書は和館が中心になってますが、奥の洋館のほうが
かなり立派ではないかと思われます。
しかし、いくら有名人とはいえ、個人のお屋敷まで絵葉書になるなんて
これも時代ゆえでしょうか。
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