category  [中国・四国地方 ]

冊子・三井物産株式会社造船部(現・三井造船玉野事業所)営業案内

三井物産造船部1
三井造船は大正6年に岡山県玉野市にて三井物産株式会社造船部として創業したのが始まりです。
昭和12年に株式会社玉造船所として設立。昭和17年に三井造船株式会社に社名変更して今に至ります。
この冊子は三井物産造船部時代に発行された玉工場(現・玉野事業所)の営業案内で、奥書はありませんが、内容から恐らく昭和5年頃と思われます。
31ページと工場の地図を含めた冊子は、図版を多く収録し紙も上質のものを使っているしっかりした冊子です。
追記にて内容の1部を紹介します。「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・松江放送局

松江放送局001
昭和7年に松江市内の床几山に松江放送局が開局しました。
目立つ2本の電波塔は松江市の名所にもなったそうです。
現在、松江放送局のあとを引き継ぐNHK松江放送局は市街地に移転し、旧松江放送局は松徳幼稚園となっています。

古写真・下関要塞 演習砲台(数珠山砲台・丸尾山砲台)か

下関教練砲台
サイズが大きく画像には収まり切れませんでしたが、写真の上部に「重砲兵二十四珊加農砲教練」のタイトルがあり、下部に「下関要塞司令部許可」「大正三年八月一日発行」の文字があります。
下関要塞は明治20年頃より建設が始まり明治28年に要塞司令部がおかれました。
ただし、大正期になると不要とされたのか下関要塞の各砲台のいくつかは民間に払い下げられるようになり、陸軍の演習用の砲台としても利用されました。
演習砲台として利用された砲台は数珠山砲台・丸尾山砲台・隠山砲台・関山砲台で、うち24センチ加農砲が置かれたのは数珠山砲台・丸尾山砲台だったらしく、この古写真の砲台はそのうちのいずれかだったのでしょうか。

古絵葉書・広島市 御幸橋

広島・御幸橋001
広島市にある御幸橋は京橋川に架かる橋です。
絵葉書の橋は昭和6年に架けられた橋で広島市内で初めて市電の軌道が通る橋でした。
昭和20年8月6日の原爆投下により絵葉書に写る橋の欄干は爆風で落下する被害を受けますが、橋自体は落橋を免れたため、爆心地方面で被害を受けた被災者が市外へ避難するための重要な役割を果たしました。
この御幸橋で撮影された有名な写真が2枚あります。
中国新聞に勤務していたカメラマン松重美人が原爆投下3時間後にこの橋で撮影したもので、原爆投下当日の広島市街地中心部を撮影した唯一といっていい写真です。
御幸橋西詰辺りで撮影された2枚の写真は重篤な火傷を負いながら爆心地から避難してきた多くの被災者をとらえており、松重自身もあまりに悲惨な状況で2枚目以降は撮影できなかったと語っています。
この写真には現在も奇跡的にご存命の方が3名おられ(記事作成時点)、うち2名の方による現地での証言と写真の解析、専門家の鑑定を元に当日の様子がCGで再現されそれをもとにNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」が放送されました。
※公式サイト
私も拝見しましたが、2枚の写真からでは伝えきれない当時の地獄のような悲惨な光景がありありと再現されていました。
現在、この絵葉書の橋は老朽化により架け替えられましたが、写真にも写る親柱やアーチの欄干は保存され、写真の撮影された西詰には松重美人の撮影した写真のモニュメントが置かれています。

※関連記事・広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)  広島市猿猴橋

古絵葉書・阿波農工銀行 建築記念

阿波農工銀行001
阿波農工銀行は明治33年に農工銀行法による特殊銀行として徳島市に設立した銀行です。
農工銀行とは戦前までに全国に存在した特殊銀行の1つで、明治29年に設立した農工銀行法に基づいて
設立された銀行であり、日本勧業銀行設立に伴い農工業関連への長期融資を目的としたもので、
事実上日本勧業銀行の子会社的な存在という特殊な銀行でした。
各地の農工銀行は終戦までに日本勧業銀行へと吸収合併されていきました。
阿波農工銀行も昭和11年に日本勧業銀行に吸収合併されています。
阿波農工銀行は現在みずほ銀行徳島支店として当時の建物が現存し使用されています。
阿波農工銀行002
阿波農工銀行の外観。
ファザードの列柱と大きなアーチが目を引きます。
阿波農工銀行003
銀行内部の営業室。
内部の装飾は全体的にアールデコ様式でまとめられている感じです。
阿波農工銀行004
※画像クリックで大きくなります。
阿波農工銀行の平面図。
阿波農工銀行005
※画像クリックで大きくなります。
阿波農工銀行の概要。
この概要によると設計は國枝博。施工は竹中工務店で、完成は昭和4年12月31日とあります。
設計者の國枝博は朝鮮総督府を設計した建築家で知られています。
国枝博は全国の農工銀行の設計を手掛けていたようで、この阿波農工銀行の他にも
大阪農工銀行(八木通商・現存せず)大分農工銀行(現・みずほ銀行大分支店)
兵庫農工銀行洲本支店(現・淡路信用金庫 洲本本町支店)などが知られています。
農工銀行建築で現存しているものは他にもありますが設計者が不明のものも多く、
もしかすると、国枝博設計のものも含まれているかもしれません。
上の阿波農工銀行の平面図は、國枝博が自身で作製した図面と思われます。

※関連記事
古写真・茨城農工銀行職員写真帖(昭和7年)



古絵葉書・八束銀行新築記念絵葉書

八束銀行袋
島根県松江市に存在した八束銀行本店の新築記念絵葉書です。
八束銀行は現在の山陰合同銀行の前身で、大正15年に完成したこの建物も
その後山陰合同銀行の支店として使用されてきました。
建物は現存していますが、現在は空き家となっております。

この記念絵葉書は絵葉書2枚と概要を書いた解説書のセットとなっております。

内容に関しては下の「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・御大典記念南予会館

南予会館1
愛媛県宇和島市にあった建物。
御大典記念と付いていることから、昭和天皇が即位された昭和3年の完成でしょうか。
この南予会館は昭和20年の空襲で焼失しました。
南予会館2
側面からの建物の様子。

古絵葉書・予州銀行新築記念

予州銀行
予州銀行は、現在の伊予銀行の前身です。
その本店として建てられたと思われる建物の新築記念として出された絵葉書です。
年代は不明ですが、絵葉書の様式と建物のスタイルから昭和10年代ごろでしょうか。
全体的に壁面の装飾はありませんが、窓の部分にかなり凝った装飾がありますね。、

古写真・島根県内(?)の洋館住宅

住宅1219
島根県出雲地方の名家から出たという古写真の中にあった3枚の古写真。
台紙に張られた写真には、「住宅正門」等の脚注しかありません。
しかし、この写真の左側に写る煉瓦(煉瓦タイル張りの可能性あり)
の洋館が住宅の一部だとしたら、相当な財力を持った家であることが分かります。
ただし、銀行や商店といった商業施設の可能性も考えられます。
写真を見ると洋館のファザードは、1階がアーチ窓、2階がペディメントのある窓を
設けており、ファザード全面にコリント式のオーダー柱を設けています。
軒周りの部分もかなり装飾的ですね。
住宅2220
「住宅庭園其の一」の注釈のある写真。
写真に塔屋が写っています。
1枚目の写真からでは分かりませんが、この洋館はL字状の大規模な洋館だったことが
分かります。
1階の部分に少し障子のようなものが写っており、和室のようです。
住宅3221
「住宅庭園其の三」の注釈のある写真。
2枚目の1階和室部分のアップです。
左の日本家屋と隣接して、中庭を通って行き来できるようです。
写真の撮影位置から、この中庭は洋館の裏手にあったようです。

当時地方でこれだけの洋館を設ける邸宅は数少なく、何らかの資料等が
残っているとは思うのですが、なにせ情報が少なく全くの不明です。
(島根県としましたが、東京や京阪神等かもしれません。)
何かご存知の方は教えていただければと思います。

古絵葉書・香川県営四ヶ池(四箇池)用排水改良工事竣工記念(5枚セット+解説書)

四ヶ池1
四箇池は、香川県高松市にあるため池、公淵池・城池・松尾池・神内池の4つのため池を
総称した名前の池で、この絵葉書は昭和10年に完成したそれらのため池の
用排水工事を記念して作られたものです。
5枚セットとなっており、工事についての概要を記した解説書も付いています。
中身の絵葉書ですが、メイン工事が公淵池の改修だったこともあり、
5枚のうち4枚が公淵池の絵葉書です。

中身の絵葉書と解説書は続きを読むからご覧ください。
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古絵葉書・呉市役所

呉市役所
詳しい竣工年はちょっと調べきれませんでしたが、
建物のデザインからおそらく大正期に竣工したと思われる
呉市役所の絵葉書です。
どうやら木造のようですね。
中央に建つ塔屋は当時よく目立つ存在だったと思われます。

ところで、今回紹介した4種の呉の絵葉書には(要塞認可)の
文字が入ってます。
これは、呉市に海軍鎮守府をはじめとした海軍関連の施設が多数存在し、
戦艦大和を建造したことでも知られる大規模な海軍工廠も存在した
海軍の主要港だったからです。
そのため、要塞地帯法という法律が存在し、撮影などに制限があったためです。

呉市に存在した旧海軍関連の施設の絵葉書は、以前紹介しております。
「中国・四国地方」のカテゴリでご覧ください。

古絵葉書・呉市二河橋

呉二河橋
呉市を流れる二河川に架かる橋です。
昭和7年に鉄筋コンクリートの橋に架けかえられてますので、
この絵葉書はそれ以前の架け替え数年前のものと思われます。
市電が橋を走っているので、本通りへとつながる主要な通りの橋だったのでしょう。

古絵葉書・呉市本通り

呉市本通り
呉市のメインストリートである本通りです。
左に本通郵便局が見えます。
昭和初期に流行したスズラン灯と市電が見える一方で、
右手前には人力車が走っています。
呉市本通り夜景
こちらは本通りの夜景の様子。スズラン灯がしゃれてますねぇ。
昭和初期各地に作られたスズラン灯も今は見ることはできません。
結構洒落ているデザインだと思うのですけどね。

古絵葉書・大本営の看板がかかる広島城二ノ丸表御門

広島城二ノ丸表御門
広島城に大本営がおかれたのは、明治27年の日清戦争の時でした。
城内にあった第五師団司令部の建物が使用され、城の入口になっていた二ノ丸の
表御門が大本営そのものの表門になっていたようです。
大本営解散後広島城は天守・表御門・櫓・大本営の建物など保存されましたが、
原子爆弾によってすべて破壊されました。
最近になって表御門と脇櫓が復元されましたが、この絵葉書の脇櫓は現在の
復元された脇櫓と姿が違います。現在の復元脇櫓は旧状に戻した姿なのでしょう。

古絵葉書・呉海軍病院

呉海軍病院
呉海軍病院は、明治22年に設立された海軍専用の病院で、
戦後は国立病院として使用されました。
現在は海軍病院時代の建物は現存していません。

参照・舞鶴海軍病院

古絵葉書・山口県女子師範学校

山口県女子師範学校1
師範学校とは、戦前に初等・中等学校の教員を養成するための学校でした。
この山口県女子師範学校は、大正3年に設立した山口県室積師範学校を前身とするもので、
大正9年に改称されました。
昭和18年に山口師範学校と改称、戦後に山口大学教育学部となりました。
山口県女子師範学校2
上空からの前景写真です。
中央にあるのが本館。規模の大きい、立派な学校だったことがわかります。

古写真・面河水力発電所工事記念アルバム(現・面河第一発電所)

表紙
愛媛県上浮穴郡にある面河第一発電所で、大正15年に起工、
昭和3年に完成しました。この写真アルバムは、それを記念して
関係者に配られたものだと思われます。
このアルバムは、24Pからなり、工事概説が3枚・工事中の写真が21枚あり、
それぞれ分厚い台紙に張られ、ページの背は金色で塗られるという豪華仕様になっています。

アルバム内の各写真は、「続きを読む」から御覧下さい。
*今回の画像に関して、写真が分厚い台紙にしっかり貼り付けられており、
剥がしてスキャンすることが困難だったため、
各写真はデジカメで撮影してUPしたものとなっています。
続きを読む

古絵葉書・呉海軍下士官兵集会所

呉海軍下士官兵集会所
海軍下士官兵集会所とは、下士官や水兵のための福利厚生・慰安の施設で、
この呉の集会所は明治36年に作られたものです。
海軍には士官・准士官用の施設もあり、それぞれ水交社(水交支社)・
海友社と呼ばれていました。
昭和10年に鉄筋コンクリート造に建て替えられ、その建物は現在も
海上自衛隊呉集会所として使用されています。

古絵葉書・呉海軍防備隊

呉海軍防備隊
防備隊とは、鎮守府管轄の軍港の防備や掃海作業を担当した部隊です。
同じ呉の鎮守府庁舎や海兵団のような煉瓦造ではなく木造の建物ですが
ルネッサンス調の庁舎はいい建物ですね。

関連項目・舞鶴防備隊 佐世保防備隊

古絵葉書・呉海兵団

呉海兵団
海兵団とは入隊した水兵を艦隊任務やその他の任務につけるように
教育した機関であり、各鎮守府の都市に置かれました。
これは呉の海兵団庁舎で、煉瓦造の立派な建物になってます。
営門の前には歩哨舎があり、水兵さんが警護に当っているのが写ってますね。
現在、呉海兵団の建物は残っていませんが、敷地は海上自衛隊呉教育隊として
使用されており、旧海軍の海兵団の機能を受け継いでいるともいえます。

関連項目・舞鶴海兵団

古絵葉書・呉鎮守府

呉鎮守府
呉鎮守府の庁舎です。 鎮守府とは、海軍の拠点として
艦隊の後方を統括した機関で、 横須賀・呉・佐世保・舞鶴の4都市に置かれていました。
この庁舎は明治40年に建てられた煉瓦造の立派な建物です。
現在も海上自衛隊呉地方総監部の庁舎として使用されています。

関連項目・舞鶴鎮守府庁舎

古絵葉書・岡山県庁

岡山県庁
明治12年、鹿島建設によって建てられた岡山県庁です。
明治初期の洋館によく見られる擬洋風の建物で、現在明治村に保存されている
旧三重県庁のデザインと良く似ています。正面の菊の御紋章もその当時の
県庁舎の特徴でもあります。絵葉書は大正から昭和初期までのものなので、
その頃までは存在したのかも知れません。

古絵葉書・広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)

広島県物産陳列館
現在世界遺産になっている原爆ドームのかつての姿、広島県物産陳列館の絵葉書です。
広島県物産陳列館は、大正4年にチェコ人建築家ヤン・レツルによって設計されました。
特徴的なドームと元安川に写る大きな洋館は、当時多くの人の目を引いたことだと思います。
広島県物産陳列館という名称は6年後の大正10年に広島県商品陳列館と
名を変えますから、この絵葉書は竣功間もない頃か竣功して
数年程度の出来たばかりの頃のものではないかと思います。
原爆の被害にあったあと、残った部分は外壁の一部と中央の塔屋部分とドームの鉄骨、
ファザード玄関部分の石張りくらいです。川の護岸と階段はそのままのようです。
絵葉書を良く見ると、国旗やその他旗が3階窓から掲げられ、
窓際には人の姿もうっすら見えます。玄関前にはテントが張られ、
なにやら催し物をやっているようです。
原爆ドーム1
こちらは以前紹介した、広島県商品陳列館時代の絵葉書です。
大正10年から昭和8年にかけてこの名称が使われました。
その後産業奨励館と名を変え、昭和20年8月6日に運命の日を迎えるのは
皆さんもご存知のことだと思います。*広島県商品陳列館の記事はこちら

古絵葉書・山陽ホテル

山陽ホテル
下関市にあったホテルで、2代目のもの。
大正12年に建てられたこのホテルは辰野・葛西建築事務所による設計で、
(東京駅・日本銀行を設計した辰野金吾の設計事務所)大陸に渡る
政府高官や皇族が必ず宿泊したという格式あるホテルでした。
この建物は現存していますが、現在はホテルとして使用されていません。

古絵葉書・讃岐金刀比羅宝物館

讃岐金刀比羅宝物館
香川県にある神社に金刀比羅宮という有名な神社がありますが、
その神社にまつわる宝物を保管・展示するために建てられたのが宝物館です。
明治38年に建てられた宝物館は、まるで城郭の櫓のようなデザインになっており、
中々堂々とした姿に仕上がっています。
この宝物館は現存しており、国の登録文化財に指定されています。

古絵葉書・公会堂(岡山市公会堂)

岡山市公会堂
絵葉書には、「公会堂」としか書かれていませんが、スタンプにより
「岡山市公会堂」と思われます。
昭和初期らしいスッキリしたデザインで、2階正面の窓は尖頭アーチの
ゴシック風デザインになってます。
岡山市公会堂は空襲により焼失したらしく、現在は残っておりません。

古絵葉書・熊見・瀧山川水力発電所

熊見・瀧山川発電所
広島電気株式会社の所有していた水力発電所です。
どちらも、昭和期らしい機能主義的デザインのコンクリート建築です。
大規模な施設なので、現在も残っているかと思い調べて見ましたが、
熊見発電所のほうは、「新熊見発電所」となっており、現存しない可能性大。
瀧山川発電所は、現在も存在してて稼動しているようですが、
絵葉書の建物が残っているかどうかは不明です。

古絵葉書・坂火力発電所

坂火力発電所
広島電気株式会社所有の発電所の一つで、広島県坂町にあった火力発電所です。
昭和10年、当時世界的記録の当時世界的記録の26200kWのタービンを設置したほどの
規模の大きい発電所だったようですが、現在は存在しないようです。

古絵葉書・広島電気株式会社

広島電気株式会社本社
大正10年に数社の電力会社が合併して設立した電力会社で、
広島管区内の電力供給のみでなく、市電も運営していたようです。

広島電気株式会社本社内部
本社社屋の内部。
意外とシンプルなデザインです。
昭和初期くらいの建物によく見られるデザインですので、このビルもそのくらいの時期に
建てられたと思われますが、ネットで検索して調べても、確認することができませんでした。

古絵葉書・広島猿猴橋

広島猿候橋
大正15年に完成した鉄筋コンクリートの橋です。親柱の飾りが物凄いですね。
絵葉書には鋳鉄製の欄干がありますが、戦時中に親柱の飾りとともに供出されました。
昭和20年8月6日の原爆投下時、爆心地から1.8kmの距離ながら橋は無事で通行できたそうです。猿猴橋は現在も使用されており、貴重な被爆建造物となっています。
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