Monthly Archives

 2006年05月 

古絵葉書 外務省

外務省

関東大震災までは、明治の中ごろまでに建てられた官庁が建ち並んでいました。
この外務省の建物もその一つで、正門といい奥の本館といいお役所というよりお屋敷のようです。
この絵葉書は大正期のもののようですが、正門には当時珍しかった自動車がいますね。
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古絵葉書 城山より見たる鹿児島市街と桜島

鹿児島遠望

鹿児島は3年ほど居たことのある思い出の街です。
鹿児島の遠望の写真は、ほぼ必ず城山からの遠望ですね。
おかげで各時代の比較検証がやりやすく街の移り変わりがよく分ります。 
「続きを読む」をご覧下さい。
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古絵葉書 徹夜作業の大阪瓦斯工場

大阪瓦斯

大阪瓦斯工場の夜景です。大きな建物やガスタンクがありますが、
なんだか絵みたいな感じですね。実際こういう施設はあったでしょうけど。
徹夜作業はなんでしょうね。徹夜するくらいフル稼働ということなんでしょうか。

古絵葉書 京都疏水インクライン

京都疏水インクライン

京都の近代化を語る上で欠かせないのが琵琶湖疏水。寂れた京都の工業化・活性化を期待して
全て日本人の手により造られたのは有名ですね。詳しい説明は割愛させていただきますが、
この絵葉書は、蹴上にあるインクラインです。疏水の船の運搬用に高低差がある場所を
台車に乗せて引っ張る方法です。この絵葉書の見所はもちろんインクラインで運搬中の船ですが、右手を見ると、市電と煉瓦造の車庫が見えます。実は、日本で初めて市電が走ったのは京都で、
琵琶湖疏水を利用した日本初の事業用水力発電により市電の利用が可能になったのです。
現在琵琶湖疏水は水運の利用はなくなり、インクラインも使われなくなりましたが、貴重な近代化遺産であるため、琵琶湖疏水や煉瓦の水路閣とともに国の史跡に指定されています。

古絵葉書 名古屋城天守

名古屋城天守

「尾張名古屋は城でもつ」の名古屋城の天守です。
現在の天守は戦後の鉄筋コンクリートによる復元ですが、
戦前までは慶長期400年余り前の天守がそびえていました。
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古絵葉書 名古屋名所 県庁附近小公園

名古屋県庁附近

大正時代のものと思われる名古屋市内県庁附近の絵葉書です。
今と違い、高いビルはありませんが、あちこちに洋館が建っていますね。
道路には市電も走っています。中央の大屋根の建物が県庁なんでしょうか。
だとすれば、昭和13年にこの場所に名古屋城の天守を模した塔屋を乗っけた
帝冠様式の大きな県庁ビルが建てられます。

*吉野様から情報頂きました。
「撮影した場所は今の中日ビル付近からNTTのビル方向に向けて撮影しています。
現在の東区新栄町です現在ある県庁の位置(中区三の丸)とは異なります。」

古絵葉書 京都郵便局

京都郵便局

京都の三条通にあった京都郵便局とその近辺の写真です。明治大正期は三条通が
京都のメインストリートで、京都郵便局や日銀京都支店、日本生命や銀行など
さまざまな施設の洋館が建ち並んでいました。
この絵葉書は、三条通から東洞院通を北方向に撮影したものです。

続きは「続きを読む」で。
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古絵葉書 夜の浅草十二階

夜景浅草十二階

引き続き夜の帝都東京を。
こちらは、かつての浅草名所「浅草十二階」です。関東大震災で倒壊した煉瓦造の塔ですね。
夜というより、日暮れ過ぎくらいな感じでしょうか。通行人も結構いますし。
しかし、前回の夜景といいどれも満月が入ってますね。この満月はなんかヤラセくさいですね。

古絵葉書 帝都東京の夜景2点

夜景帝国劇場

大正時代の東京名所の夜景を撮影した絵葉書です。
博覧会や観艦式のようなイベントもの以外では、こういった夜景の絵葉書って珍しいのでは?
これは、「夜ノ帝国劇場ト警視庁」手前が帝国劇場で、奥が警視庁です。
日本の風景とは思えないロマンチックな夜景ですね。
この帝国劇場の夜景を見ていたら、某ゲームを思い出しましたw(やったことないけど)
はしれ~光速の~♪
夜景銀座

「新橋々上ヨリ見タル夜ノ銀座街」
左手前の時計塔のある建物は、かつての服部時計店ではないでしょうか?
右側のガス灯なんかが、銀座煉瓦街時代の雰囲気を伝えてくれていますね。
震災前ですので、まだ明治の街並みの雰囲気が残っています。
絵葉書を見ると分りますが、今と違い街もそんなに明るくなく、写真技術も現在ほどではないので、
こういった夜景の撮影は中々難しかったのではなかろうかと思います。
・・・もしかしたら、着色したヤラセ?

ご訪問者数2000人越え。そして、この藁葺きの家は・・・?

昭和30年代の実家

いつの間にかカウンターが2000を越えておりました。
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古写真・祖母の修学旅行

祖母の修学旅行

祖母が現在で言う中学2年生のときに、大阪朝日新聞社のビルを見学した記念に
撮影したものです。もちろん、祖母も写っています。
このビルは、昭和6年に建てられたとてもモダンなビルで、
現在でも増築はされていますが、朝日ビルディングとして現存しています。
時代で言えば、昭和13年か昭和14年ごろですが、しかし、女の子はみんな真ん中分け&
お下げで統一してますねw流行だったのか決まりだったのか分りませんけど。
写真見てると、男子生徒より女子生徒のほうがちょっとだけ大人びて見えるのは、
今も昔も同じと思うのは私だけでしょうか?
そして、もちろん夜は布団に潜りながら好きな人告白大会ですよw

古写真・祖母の小学校同窓会

祖母の小学校同窓会

祖母が卒業した小学校で昭和16年に行われたクラス同窓会の写真だそうです。
祖母が17歳の頃のもので、他の級友の方を見ると、進学している人、
就職しているような感じの人、海軍に入り、水兵になっている人などさまざまですね。
祖母もこの中に写っていますよ。
昭和16年でも、まだまだ田舎では着物が主流です。さすがに先生は背広ですが、
サングラスかけてますよね。当時としては珍しかったのでは?
電燈のついている門柱も中々ハイカラなものだったのでしょう。

古絵葉書 宇治川中島の十三重塔

宇治川十三重塔

宇治川の中島にある石造十三重塔の絵葉書です。この塔は鎌倉時代の大きな石造塔で、
重要文化財指定されていますので、現在も同じ場所にそびえています。
しかしそれより注目したいのは、右手に浮かぶ帆船。当時はこんな船が行き来していたんですね。
奥にはまるで、機関車トーマスのワンシーンのような機関車と貨車のシルエット。
今のように周りに建物も少ないので、非常に牧歌的な風景になっています。
ちなみに絵葉書では「多宝塔」と書かれていますが、それは間違いで、この塔は多宝塔とは全く別物です。

古写真 仙台陸軍教導学校・雪中での演習

スキー演習1

私の祖父のアルバムにあった古写真で、仙台陸軍教導学校の時の
仙台近辺と思われる場所での雪中演習の様子を撮影した写真です。
雪中での演習では、このようにスキーを使い行軍をしていました。
この方は将校の方のようですね。ストックも竹そのものといったシロモノです。
他にも紹介してますので、「続きを読む」からご覧下さい。
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古絵葉書 大日本帝國一等戦艦 相模

一等戦艦 相模

日露戦争に勝利した日本はいくつかの艦艇を鹵獲しました。それらは修理などを施したあと、
新たに日本名で命名され、制式に日本海軍に所属しました。
この戦艦相模もそのうちの一つで、もとはロシア海軍の「ペレスェート」。
明治34年に竣工したペレスェートは、ロシア太平洋艦隊に所属し、日露戦争に参加しましたが、
203高地を獲得した日本軍の砲撃により、旅順港内にて大破着底。
旅順陥落の際に日本軍により鹵獲されました。日露戦争後修理され、
戦艦相模と命名されたあと、日本海軍に編入されています。
その後、大正4年にロシアへ返還されているのが面白いところですね。
返還されたときは、すでに旧式艦になっていましたが・・・

データ
基準排水量:12,674t
全長:125.3m
最大速力:19.1kt

武装
45口径25㎝連装砲2基
45口径15㎝単装砲10基
40口径7.5㎝単装砲16基
47㎜単装砲2基
45㎝魚雷発射管2門

古絵葉書 大日本帝國一等装甲巡洋艦 鞍馬

一等装甲巡洋艦 鞍馬

日露戦争中の明治38年に起工し、明治も末期の明治44年に竣工した軍艦で、
建造中に日露戦争終結したため、建造ペースはゆっくりしたものになりました。
完成当初は装甲巡洋艦に類別されていますが、後に巡洋戦艦に変更されています。
艦影を見ると、従来の軍艦とその後の軍艦とのちょうど中間に位置する姿であることが分かります。
完成後は、第1次大戦に伴う作戦行動とシベリア出兵に関わったあと、ワシントン条約に伴い、除籍・解体されました。

データ
基準排水量:14,636t
全長:137.2m
最大速力:21.25kt

武装
45口径30.5㎝連装砲2基
45口径20.3㎝連装砲4基
40口径12㎝単装砲14基
40口径7.5㎝単装砲8基
45㎝魚雷発射管3門
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