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 2007年01月 

古絵葉書・帝国駆逐艦 村雨

村雨
駆逐艦とは、魚雷や爆雷を主兵装とした小形の艦艇で、その足の速さを生かして
魚雷などにより敵の艦船を攻撃した軍艦のことです。
現代にも駆逐艦はありますが、ミサイルを主兵装とした艦艇となっており、
大きさもかつての巡洋艦なみに大きくなっています。
この村雨は明治36年に作られた日本で始めての国産駆逐艦・春雨型の2番艦で、
同じく明治36年に完成しました。日本海海戦や第一次大戦に参加後、大正14年に除籍されました。

データ
排水量:375t
全長:69.20m
最大速力:29.0kt
武装
40口径7.6cm単装砲2基
40口径5.7cm単装砲4基
45cm魚雷単装発射管2基2門
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丹後元伊勢皇大神社八朔祭

丹後元伊勢皇大神社八朔祭
京都府福知山市大江町に、元伊勢皇大神社という神社があり、内宮・外宮・天岩戸神社
からなる広大な神社です。現在の伊勢神宮が今の三重県伊勢市に落ち着くまで
各地を転々としたという記録は「日本書紀」に記されていますが、この皇大神社も
そのうちの一つとされ、長く信仰されてきました。
この八朔祭は、元々干ばつの際に雨乞いをしたのが始まりで、
現在まで続いています。

古写真・清国旅順軍港

清国旅順軍港
旅順港は、現在の中国大連市にある港で、良港として知られ、近代以降は清国及び中国の
重要な軍港として発展しました。そのため、日清・日露戦争などでは重要拠点として、
何度も激戦が繰り広げられました。
この写真は、台紙に張られた非常に古い写真で、右端に「清国旅順軍港」の注釈があり、
旅順港に停泊する艦船らしき船が3~4隻確認できます。写っている艦船は、
石炭焚きの古い船か軍艦と思われます。
写真の状態と写真の風景から、明治の10年代~20年代ではないかと思われます。

古写真・清国鴨緑江

清国鴨緑江
鴨緑江は、現在の中国と北朝鮮との国境になっている川です。
古くから要地であり、近代においても日清・日露戦争で激戦が繰り広げられました。
この写真は、台紙に張られた非常に古い写真で、右端に「清国鴨緑江」という
注釈とともに、鴨緑江に浮かぶ4隻の古い船が写っています。
煙突があるので、石炭を動力とする船。そして、軍艦なのではと思われますが、
詳しいことは分かりません。しかし、写真の状態、写っている風景や艦船の形から、
古くて明治初期、新しくても明治20年代は下るものではないと思われます。

古写真・自動織機

自動織機

繰糸された生糸は、織機によって布地へと加工されます。
この写真の機械はそのための織機ですが、本体が木製で古いものです。
しかし、古来よりの機織機よりも構造が複雑で、より近代的であるため、
おそらく、明治期に輸入された自動織機なのではないかと思われます。

古写真・紡績機

紡績機
明治時代の富国強兵政策において、生糸は重要な輸出品のひとつでした。
明治初期からこれまでの手繰から生産性を上げるため、自動紡績機が輸入され使用されました。
この紡績機はいつの頃のものか詳しくはありませんので分かりませんが、
明治の中期か後期ごろではと思われます。

古絵葉書・マークⅠ戦車

マークⅠ戦車
陸戦の花形である戦車の誕生は、第1次世界大戦中に膠着状態であった塹壕戦を打開すべく、
鉄条網を突破し、塹壕を乗り越える新兵器をイギリスが開発したのが始まりです。
この戦車は、かのチャーチルが海軍大臣時代にトラクターをヒントに開発したものですが、
当時の戦車は現代の戦車とは違い、どちらかというと装甲車に近いものでした。
このマークⅠには、砲を搭載した雄型と機関砲を搭載した雌型があり、
この絵葉書の戦車は雄型となっています。
このマーク1は早速実戦に投入されたのですが、故障が多くあまり活躍しなかったそうです。
この絵葉書はイギリス発行のもので、(1917年・トラファルガー広場)との記述があります。

古絵葉書・横浜海岸通り

横浜海岸通り
明治期か大正期頃の横浜海岸通りを写した彩色絵葉書です。
左側にある煉瓦建築は、明治27年築の横浜税関監視課庁舎。
奥の大桟橋には、豪華客船が停泊しています。
手前の通りには、ベンチが据えられ、座っている人、人力車の車夫らしき人が
たたずんでいたりします。当時から、市民の憩いの場だったのでしょう。

古絵葉書・福知山 天田郡役所

天田郡役所
現在の福知山市がまだ天田郡福知山町だった頃に、現在の市役所辺りに建っていた
郡役所の建物です。
この郡役所の裏手にある昔のお城の曲輪「伯耆丸(ほうきまる)」から撮られたアングルは
良く見るのですが、正面から撮られた写真は私は今まで見た事なく、今回の絵葉書が初めてです。
天田郡役所の建物自体は明治期からあったと思われますが、この絵葉書の写真が撮られたのは、絵葉書の様式や紙質等から考慮して恐らく明治末から大正期にかけてだと推測されます。
和洋折衷のいかにも地方役場といった感じの建物です。
天田郡役所の建物は、戦前や戦後すぐの写真や絵葉書には写っていますが、
その後しばらくして取り壊されたようでなくなっています。
「続きを読む」のところに、伯耆丸側から撮影されたアングルの絵葉書を紹介しておきます。
続きを読む

古絵葉書・御茶ノ水橋の景

御茶の水橋
明治23年に架けられた鉄橋、御茶ノ水橋を写した手彩色絵葉書です。
葉書には、明治39年4月23日の消印があり、
それ以前に撮られた写真であることが分かります。
奥に写る教会は、現在もある明治24年完成のニコライ堂。
その右手の煉瓦建築は・・・。ちょっと分かりません。
目立つ建物ですし、分かる人にはわかるんでしょうけど。

古絵葉書・伊勢 宮川鉄橋

伊勢 宮川鉄橋
伊勢市を走る参宮鉄道の鉄橋です。この絵葉書の宮川鉄橋は
戦前に架け替えられているようで、こちらは明治期のものではと思います。
走っている機関車も煙突の高い明治期の古典機関車ですし。

*追記 巽さんのご指摘により、伊勢電鉄ではなく参宮鉄道であると判明しました。
ありがとうございました。

古絵葉書・丹後 宮津停車場

宮津停車場
現在、北近畿タンゴ鉄道の駅となっている
宮津駅のまだ国有鉄道だった時代の駅舎の戦前の写真です。
大正13年に開業したそうですので、その頃の駅舎でしょうか。
小さいながらもハーフチンバーのオシャレな駅舎で、電話ボックスらしき小屋も
同じデザインでまとめられているところが興味深いです。
駅前には多くの人が集っています。宮津といえば、日本三景・天橋立がありますので、
そこへ向かおうとする観光客たちでしょうか。

古絵葉書・帝国巡洋戦艦 生駒

巡洋戦艦・生駒
巡洋戦艦「生駒」は、明治40年に呉海軍工廠にて建造された戦艦です。
巡洋戦艦という軍艦は、装甲は戦艦とまでは行かなくとも攻撃力は戦艦とほぼ同等であり、
速力は巡洋艦に匹敵する能力を持つ艦だそうです。
巡洋戦艦・生駒は完成後、第一次大戦や観艦式などを経験しましたが、
ワシントン海軍軍縮条約により廃棄が決定し、大正12年に解体されました。

データ
常備排水量:13750t
全長:134.1m
最大速力:20.5kt

武装
45口径30.5cm連装砲2基
45口径15cm単装砲12基
40口径12cm単装砲12基
40口径7.5cm単装砲6基
45cm魚雷発射管3門

あけましておめでとうございます。

巡洋艦 日進
新年明けましておめでとうございます。
平成19年も当ブログをよろしくおねがいします。
この絵葉書は、以前紹介した装甲巡洋艦「日進」です。
絵葉書に「謹賀新年」の筆文字がありますので使用しました。
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