Monthly Archives

 2007年11月 

古絵葉書・陸軍士官学校

陸軍士官学校
明治41年4月の消印がある絵葉書です。陸軍士官学校は、陸軍の将校養成の学校として、
明治7年に東京市ヶ谷に開校しました。以来、昭和20年の終戦まで数多の陸軍士官を
世に送り出していきました。この本館は明治初期に建てられたものだと思います。
陸軍士官学校に入学した生徒は、上等兵・伍長・軍曹と昇進し、
卒業時は曹長になり見習士官として経験をつんでようやく少尉になれました。
この絵葉書の差出人は「陸軍士官学校第二中隊附 歩兵軍曹」と
肩書きを書いてます。軍曹は入学後1年経つと進級しますので
この方は2年生ということになります。
陸軍士官学校入学はかなりの難関でしたが、卒業して士官になることは
将来を約束されるようなものでした。士官学校入学は当時の人たちの
憧れだったようです。
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古絵葉書・大蔵省(大蔵大臣 山本達雄)

大蔵省
大蔵省は日本の財政を取り扱う官庁で、説明不要ですね。現在は財務省となっています。
この絵葉書の大蔵省の庁舎も明治初期の擬洋風建築で、関東大震災までは
このような建物が数多くたっていたことと思います。
右上の大蔵大臣・山本達雄は、日本銀行総裁・農商務大臣・内務大臣を歴任した
政治家ですが、大蔵大臣をやっていたのは、明治44年の第2次西園寺内閣のみで、
この絵葉書が明治44年ごろのものと推定できます。

古絵葉書・内務省(内務大臣 原敬)

内務省
内務省とは、戦前まで存在した警察・土木・衛生・地方自治など
国内の行政を担当する官庁でした。
この建物は典型的な明治初期の擬洋風建築の洋館で、
関東大震災まで使用されたのではと思います。
右上には「内務大臣 原敬」。原敬は爵位を持たない平民宰相として
有名ですね。原敬が内務大臣を勤めていたのは明治39年と明治44年。
この絵葉書は次に紹介する大蔵省の大蔵大臣・山本達雄の絵葉書と
同じ様式であることから、明治44年の第2次西園寺公望内閣の
ものではないかと思われます。

古写真・昭和30年代?の京阪電車の京都沿線

京阪四条
先日入手した26枚の京阪電車の古い写真で、
恐らく昭和30年代のものではないかと思われます。
当ブログでは、基本的に戦前のもののみを紹介していますが、
今回はまだ地下化する前の沿線を写したものであることや、
今では見られない車両や風景が写っているので、特別に紹介することにします。
とはいえ、この写真のセットはは26枚もあり全て紹介するのが困難で、
いくつかを選んでの紹介であることと、私自身鉄道にそんなに詳しくないので、
間違った情報がある可能性があることをご承知ください。

さて、一枚目ですが、これは間違いなく現在の京阪四条駅付近ですね。
駅に「四○」と書かれていることや、右に建つレストラン菊水から確定できます。
現在は沿線は地下化され、この通は川端通になっています。

続きは、「続きを読む」をクリックして御覧下さい。
*追記・残りの写真17枚をUPしました。 「古写真・昭和30年代の京阪電車沿線②」
続きを読む

古絵葉書・第三師団司令部

第三師団司令部
名古屋にあった旧陸軍第三師団司令部の前身は、明治6年に設立した名古屋鎮台で、
明治21年に第三師団に改変された歴史の古い師団です。
この絵葉書自体は大正後期のものですが、写っている師団司令部は
鎮台時代からの建物です。
第三師団司令部の本館は煉瓦造2階建ての本格的西洋建築で、
軍の司令部とは思えないおしゃれで優雅な建物ですね。
明治期の師団司令部の建物はこのように優雅な洋館であることがほとんどで
西欧化を進めていた明治の日本の象徴の一つでもありました。

古絵葉書・愛宕山ケーブルカー第六鉄橋進行中

愛宕山ケーブルカー第六鉄橋
昭和4年に開通した愛宕鉄道は、ふもとの清滝川駅と
愛宕山の八合目くらいにあった終点の愛宕駅を結んでいました。
当時は愛宕神社の参詣と愛宕駅附近にあったホテルや遊園へのレジャー客、
愛宕神社の奥にあった愛宕山スキー場への客などで賑わっていました。
しかし、戦時中の昭和19年に不要不急鉄道に指定され廃止された後は
戦後も復活することなく、現在は愛宕駅や路線・トンネルなどが廃墟として残されています。
この第六橋梁は、路線の中でも最長を誇る橋梁で、現在も山中に残っていますが、
かなり風化が進んでおり、危険な状態になってます。

関連項目・京都愛宕登山ケーブルカー

古絵葉書・電信隊炊事場

電信隊炊事場
炊事場(電信隊酒保発行)松平写真館謹製とだけ注釈のある
絵葉書であることから、元々はセットだったものだと思われます。
ネットで調べた結果、どうやら東京中野にあった電信隊(電信第一連隊)
ではないかと思われます。
酒保とは軍隊内の売店のことで、そこでお土産用か何かとして売られていたのでしょう。

古絵葉書・呉海軍下士官兵集会所

呉海軍下士官兵集会所
海軍下士官兵集会所とは、下士官や水兵のための福利厚生・慰安の施設で、
この呉の集会所は明治36年に作られたものです。
海軍には士官・准士官用の施設もあり、それぞれ水交社(水交支社)・
海友社と呼ばれていました。
昭和10年に鉄筋コンクリート造に建て替えられ、その建物は現在も
海上自衛隊呉集会所として使用されています。

古絵葉書・呉海軍防備隊

呉海軍防備隊
防備隊とは、鎮守府管轄の軍港の防備や掃海作業を担当した部隊です。
同じ呉の鎮守府庁舎や海兵団のような煉瓦造ではなく木造の建物ですが
ルネッサンス調の庁舎はいい建物ですね。

関連項目・舞鶴防備隊 佐世保防備隊

古絵葉書・呉海兵団

呉海兵団
海兵団とは入隊した水兵を艦隊任務やその他の任務につけるように
教育した機関であり、各鎮守府の都市に置かれました。
これは呉の海兵団庁舎で、煉瓦造の立派な建物になってます。
営門の前には歩哨舎があり、水兵さんが警護に当っているのが写ってますね。
現在、呉海兵団の建物は残っていませんが、敷地は海上自衛隊呉教育隊として
使用されており、旧海軍の海兵団の機能を受け継いでいるともいえます。

関連項目・舞鶴海兵団

古絵葉書・呉鎮守府

呉鎮守府
呉鎮守府の庁舎です。 鎮守府とは、海軍の拠点として
艦隊の後方を統括した機関で、 横須賀・呉・佐世保・舞鶴の4都市に置かれていました。
この庁舎は明治40年に建てられた煉瓦造の立派な建物です。
現在も海上自衛隊呉地方総監部の庁舎として使用されています。

関連項目・舞鶴鎮守府庁舎

古絵葉書・門司風景(16枚組) 

門司絵葉書袋
門司地区の名所を紹介した絵葉書セットです。
16枚組になっていますが、今回は近代建築の写った6枚を紹介します。
続きを読むから御覧下さい。
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