Monthly Archives

 2008年03月 

古絵葉書・福知山駅ニ車送ニテ到着セル歩兵部隊

福知山駅
戦前の福知山駅の駅前を撮影した絵葉書です。
注釈では、「福知山駅ニ車送ニテ到着セル歩兵部隊」と書かれており、
列車で福知山駅に到着したばかりの陸軍の歩兵部隊のようです。
駅前の広場では背嚢を置き、小銃を叉銃にしていることから、到着後休憩をしているようです。
福知山には歩兵第20連隊が駐屯していましたが、この絵葉書に写る部隊が
20連隊かどうかは分かりません。当時長田野にあった演習場などへ演習にやってきた
別の部隊なのかもしれません。
スポンサーサイト

古写真・面河水力発電所工事記念アルバム(現・面河第一発電所)

表紙
愛媛県上浮穴郡にある面河第一発電所で、大正15年に起工、
昭和3年に完成しました。この写真アルバムは、それを記念して
関係者に配られたものだと思われます。
このアルバムは、24Pからなり、工事概説が3枚・工事中の写真が21枚あり、
それぞれ分厚い台紙に張られ、ページの背は金色で塗られるという豪華仕様になっています。

アルバム内の各写真は、「続きを読む」から御覧下さい。
*今回の画像に関して、写真が分厚い台紙にしっかり貼り付けられており、
剥がしてスキャンすることが困難だったため、
各写真はデジカメで撮影してUPしたものとなっています。
続きを読む

古絵葉書・愛宕登山鉄道清滝川駅

清滝川駅
愛宕山参詣の利用客を見込んで、昭和4年に開通したのが愛宕山ケーブルカーです。
ケーブルカーの起点は絵葉書の清滝川駅で、終点が八合目にあった愛宕駅です。
当時、愛宕駅の付近には、洋風ホテルや小さな遊園地もあり、賑わっていたようです。
しかし、戦時中に不要不急鉄道に指定され廃止となり、戦後も復活することなく
そのまま廃墟となっていきました。
現在、鉄筋コンクリート造の愛宕駅は廃墟として現存し、愛宕ホテルも崩壊しながらも
建造物は残っていますが、木造だった清滝川駅は完全に失われ、
わずかに跡地のみが残っています。

関連記事・愛宕山ケーブルカー第六鉄橋進行中 京都愛宕山ケーブルカー 愛宕駅 愛宕ホテル

古写真・昭和30年代の京阪電車沿線②(残りの写真)

京阪1
以前、昭和30年代の京阪電京都沿線を紹介しましたが、京都であろうと思われる
7枚のみ紹介して残りは紹介していませんでした。
今回は紹介し切れなかった残り17枚をUPしてみようと思います。(2枚数が合わないですけど・・・)
写真はアングルから見て京阪電車の車内。恐らく運転席から撮影されたもので、
関係者の人が撮影したものではないかと思います。
ただし、これら写真は京都であるかどうか分かりません。分かる方は教えてください。
戦後の写真ですが、今では見られない風景が多く、それなりにいい資料となる写真だと思います。

残りの写真は、「続きを読む」から御覧下さい。
続きを読む

古写真・丹那トンネル(EF536電気機関車が写る)

丹那トンネル
丹那トンネルは、東海道本線の熱海駅から函南駅の区間にあるトンネルで、
昭和9年に完成しました。
当時日本で2番目といわれた長さでしたが、工事の調査や見通しの甘さ、
やっかいな地質により、かなりの難工事となり、多数の犠牲者を出したことでも知られています。
この古写真は雑誌の付録のものだそうで、解説の小冊子もついています。
トンネル内部からの撮影ですが、左側の機関車からは身を乗り出している人たちがいます。
この機関車には「EF536」のプレートがついており、それによりこの機関車が
昭和7年から製造が始められた「EF53形電気機関車」の6号機だったことが分かります。
Wikipediaの解説によると、EF53形電気機関車は旅客用として作られたそうですが、
よく見たら機関車の前(後?)にトロッコが連結されていて、中に人が乗っています。
元々旅客用だったけど、作業用にも使われていたのでしょうか?
それとも、完成後の見学用サービスとしてトロッコを連結して見学者を乗せていたのでしょうか?
トロッコに乗っている人たちの服装を見たら、後者のように思えますね。

古写真・昭和初期の銀座風景

銀座1
昭和10年代ごろの銀座の風景を撮影した古写真です。名刺サイズの小さな写真です。
道路の真ん中には市電の線路が確認できます。左奥に見えるのは、
現在和光になっている服部時計店の時計塔が見えますね。今も昔も銀座のシンボル。
道路の両側には看板を掲げた店が建ち並び、人通りも多くさすがに賑わっています。
銀座2
夜の銀座通り。戦前でありながらさすがに夜でも明るい街並みです。
街灯が昭和初期らしくしゃれています。左やや奥に松坂屋。
手前には高島屋の社紋が見えます。松坂屋は今でもありますね。
昭和初期、休日に銀座へ繰り出してブラブラ歩きながらショッピングを楽しむ
「銀ブラ」が流行しました。現在へ続く余暇の楽しみ方の原型が
この時期に誕生したわけです。ただし、戦争で一時中断しましたが。
第一生命相互館
これら写真は3枚セットで入手したのですが、何故か1枚は銀座ではなく皇居お堀端の写真。
右手前に写る大きなビルは、第一生命館。戦後GHQ本部となり、
現在DNタワーになっている有名なビルです。渡辺仁設計、竹中工務店施工により
昭和13年に完成しました。左手奥のビルは、東京會舘の建物。大正11年完成の建物で、
近年までは現存していたようです。

古写真・明治期の函館市街

函館1
恐らく明治後期~末期頃の函館市街を撮影した写真と思われます。
ただし、UPした写真自体は明治期のものではなく、オリジナルを複写したものです。
この写真は四つ切の大きなもので、元々小さいサイズだったものを
引き伸ばしたのであろうと思われます。
この写真がいつ頃複写されてプリントされたのかはわかりません。
ただし、新しくはなさそうで、もしかしたら昭和戦前期かもしれません。
1枚目は函館市街の様子です。洋館や土蔵造りの建物が並んでいます。
函館は何度も大火に見舞われました。そのため、煉瓦造や土蔵造の
建物が作られるようになりました。
函館2
公共の建物と思われる立派な洋館。
最初は重文に指定されている旧函館区公会堂かも思いましたが、
建物の形を見るとどうやら違うようです。
これだけの規模の洋館ですから、詳しく調べればわかると思いますが、
検索してもイマイチよくわかりませんでした。
分かる方、教えてください。

※najima様より旧函館商業学校であることが判明しました。ありがとうございました。

古絵葉書・長岡公会堂

長岡公会堂
長岡市の公会堂です。戦前、大都市だけでなく中小の地方都市にも
このような公会堂が建てられ、色々な催し物に利用されました。
それらは、木造や煉瓦造りもあれば鉄筋コンクリートもあり、洋風もあれば和風もありました。
この長岡公会堂は鉄筋コンクリートのモダンな洋風ビルですね。
左端に写る看板から、公会堂には食堂もあったようです。
<?php include_once("analyticstracking.php") ?>