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 2008年04月 

古絵葉書・京都府天田郡立高等女学校

京都府天田郡立高等女学校
現在の京都府立福知山高等学校の前身である学校の一つで、
明治42年5月に創立された女子学校です。大正12年に京都府に移管、
京都府立福知山高等女学校と改称しました。
昭和23年、学制改革・学校再編成によりこの京都府立福知山高等女学校と
京都府立福知山中学校(旧京都府立第三中学校)福知山市立農学校の3校を統合し、
現在の京都府立福知山高校となりました。
この絵葉書は「京都府天田郡立高等女学校」となっていますので、
大正12年以前のものと思われます。本館でしょうか、白亜の洋館が目に留まります。
福知山郡立高等女学校
4/27・天田郡立高等女学校の本館の絵葉書を入手しましたので、UP致します。
地方の女学校でありながら、しっかりとした洋館の作りになっています。
ところで、この本館の絵葉書の宛先が「大阪市東区大阪陸軍被服支廠」となっており、
差出人は福知山へ出張していた人物のようです。
当時福知山には陸軍の歩兵第20連隊が駐屯していました。
もしかしたら、この絵葉書の差出人は、20連隊へ納品などの
仕事で来ていた人だったのでしょうか。
写真面だけでなく、宛名面の文字にも注目すると面白いことが分かるかもしれません。
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古絵葉書・ドルニエ、川崎型金属製飛行艇ノ須磨沖ニ於ケル試験飛行

ドルニエ飛行艇
飛行艇とは、海面などの水上から離発着する航空機のことで、
この飛行艇は、ドイツのドルニエ社が開発した飛行艇です。
この絵葉書は、川崎造船飛行機部がドイツ・ドルニエ社から輸入した飛行艇を
神戸須磨沖にて試験飛行したときの様子を撮影したものと思われます。

古絵葉書・旭川第七師団司令部

旭川第七師団司令部
旭川にあった第七師団は、明治18年に設立した師団で、
北海道開拓と防衛のために設立された屯田兵を母体に編成されました。
北海道という開拓地での編成だったためか、他の師団司令部と比べて
質素な感じのする建物です。
ただし、現存している旧偕行社の建物は本格的な洋風建築で、
重要文化財に指定されています。

古絵葉書・福知山故城之図

福知山故城之図
骨董市の露店にて、段ボール箱一杯に入れられていた
古い絵葉書の山から見つけ出した1枚。戦前に描かれた福知山城の絵です。
福知山城は、現在は天守や櫓などが復元されては居ますが、
もとの建物は明治期に銅門番所を除いて取り壊され、二の丸のあった台地も、
明治から大正にかけて切り崩され削平されてしまいました。
ですので、この絵は絵図などから推測して想像で描かれたものだと思われます。
実は、この福知山城の絵と同じ作者が描かれたと思われる絵のコピーが
実家のほうにあるのですが、(作者名が書いてあったはずですが、思い出せません)
その絵は城の建物の描き方は同じだけれども、
城のアングルがまったく別のものになっています。
もしかしたら、描かれた方が何枚も別アングルからの福知山城の絵を
描かれたのかもしれません。何かご存知の方は教えてください。

古絵葉書・舞鶴重砲兵大隊

舞鶴重砲兵大隊
舞鶴重砲兵大隊は、明治30年に発足した陸軍の部隊で、京都の16師団に所属し、
舞鶴湾防衛のために設置された舞鶴要塞の防備をになっていました。
海軍の街である舞鶴では唯一と言っていい陸軍の部隊です。
昭和11年には舞鶴重砲兵連隊に昇格しました。
終戦後は解散し、現在は高校の敷地として使用されています。

古絵葉書・舞鶴海軍工廠職工共済会病院

舞鶴海軍工廠職工共済会病院
舞鶴海軍工廠職工共済会病院とは、舞鶴の海軍工廠で働く職工たちとその家族の
相互共済を目的とした共済会が運営する病院のことです。
明治40年に開院され、院長には海軍軍医が就任し、海軍の援助のもと
共済会の会員とその家族の医療を行いましたが、海軍工廠の職工だけでなく、
一般市民も治療を受けることが出来たため、「共済会病院」の名前で
市民にも親しまれていました。

また、中舞鶴の旧鎮守府庁舎近くには中舞鶴分院が設けられました。
建物は現存していませんが、門柱と塀が残されています。
舞鶴海軍工廠職工共済会病院中舞鶴分院跡1
コンクリート製の塀と門柱で、建物があった部分はかさ上げされ駐車場になっています。
舞鶴海軍工廠職工共済会病院中舞鶴分院跡2
門柱。かつては看板がはめられていたのでしょうか。
舞鶴海軍工廠職工共済会病院中舞鶴分院跡3
照明のあったと思われる部分。中々凝った意匠が施されています。
時代的に昭和初期ごろでしょうか。
舞鶴海軍工廠職工共済会病院中舞鶴分院跡4
また、中舞鶴分院跡のすぐ隣に明らかに戦前の建物と思われる平屋建ての民家とコンクリート製の門柱が
残されています。
中舞鶴分院に関連する建物だったのでしょうか。

古絵葉書・九一式戦闘機(献納戦闘機・愛国38京都)

九一式戦闘機(愛国38)
九一式戦闘機とは、昭和7年から昭和10年ごろまでの陸軍の主力戦闘機で、
陸軍最初の単葉戦闘機です。製作は中島飛行機です。
この「愛国」戦闘機とは、民間が陸軍に献納した戦闘機のことで、
機体にはナンバーと献納者の名前が書かれました。
この愛国38京都号は、38番目に京都市から献納された戦闘機ということです。
ちなみに、陸軍機は「愛国」、海軍機は「報国」と名づけられています。

下のサイトが陸軍献納機について詳しく調査・紹介されています。
陸軍愛国号献納機調査報告

古絵葉書・農商務省蚕業試験場綾部支所

農商務省蚕業試験場綾部試験場
農商務省は、国内の農林水産・産業などを管轄する戦前の国の行政機関です。
綾部市は古くから蚕業が盛んで、グンゼの発祥地でもあるため、
国の機関がここに支所を置いたのでしょう。
本館は小ぶりな建物ではありますが、さすが国の施設だけあって本格的な洋館になってます。

ところで、宛名面に宛先として「両丹電気八木支社」の名前が書かれています。
宛先の「両丹電気八木支所」とは、両丹電気株式会社の八木支所のことで、
明治45年に、宮津電燈・加悦丹後電気・八木丹波電気の3社が合併して設立した会社です。
合併後に八木丹波電気株式会社がそのまま支所になったわけですが、
大正6年に豊岡電気株式会社と合併し、三丹電気株式会社と名前を変えますので、
この絵葉書は明治45年から大正6年までのものであることが分かります。
(葉書として出されたものですので当然消印があるのですが、字が潰れていて読めなくなっています。)
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