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 2008年05月 

古写真・明治20年代頃の京都円山公園

京都円山
台紙に張られた明治20年代の大判古写真です。京都東山の円山高台から撮影されたもので、
のちにこのあたり一帯は円山公園になります。
有名な枝垂桜は写真中央あたりだったようで、現在の円山公園とは違い、
旅館などの建物が立ち並んでいました。
現在の円山公園の姿になるのは、明治39年にホテルや旅館が全焼したあと、
小川冶兵衛が公園整備を手掛けた大正元年から。
この写真はそれ以前の円山公園の姿で、電柱が立っていることから、
明治25年以降のものと思われます。
写真やや左奥にある3層の塔は吉水温泉の楼閣。明治6年の建築です。
やや右奥に立つ白亜の洋館は、明治初期に撮影された円山公園の写真によく映ってますが、
具体的な解説を書いているところがないので、なんの建物かわかりません。
おそらくはホテルだったのではと思いますが。
以前、明治初期撮影で、鶏卵紙印刷の円山公園の古写真を紹介いたしましたが、
比較としてもう一度UPしてみます。
丸山温泉将軍塚
こちらはアングルが麓側からなので、逆になりますが、
明治初期と20年たった頃の円山公園の違いが分かるのではないかと思います。
正面に建つ塔が吉水温泉の楼閣です。

*本来なら、京都市のカテゴリに入る資料ですが、貴重な明治前期の古写真のため、
貴重資料のカテゴリに含めました。
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古写真・大正初期頃?撮影の蒸気機関車(No.1828号)

蒸気機関車1
古風な機関車と一緒に記念撮影をしている写真です。
撮影時期はおそらく大正初期。駅の構内で撮影されたものと思われます。
この写っている機関車について色々調べてみたのですが、ネットでも
交通博物館出版「明治の機関車コレクション」で調べても特定できませんでした。
私自身鉄道に詳しくないせいもありますが・・・
とりあえず、今現在分かる範囲の特徴をあげてみますと。

①テンダー式機関車。②ディフレクターはなし。③蒸気ドームは3つ。
④カウキャッチャーを装備。⑤煙突はやや高めでまっすぐ。

また、特定する有力な情報として、機関車の正面・ヘッドライト・運転室側面に
「1828」のナンバーが記載されています。
おそらく、この機関車が撮影された機関区に配備されたときに付けられたナンバーで、
形式番号ではないと思いますが、この機関車の特定や撮影場所を知る手がかりになると思います。
また、この写真が貼られた台紙の裏には撮影された機関車についての解説が書かれています。

追記で紹介しますので、下の続きを読むからご覧ください。
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古絵葉書・東京帝室博物館

東京帝室博物館
明治14年、上野の寛永寺の跡地に博物館が完成しました。
お雇い外国人のコンドルが設計したこの本館は、煉瓦造2階建ての本格的な洋館でした。
その後明治大正と本館として使用され続けましたが、関東大震災で大きな被害を受け
取り壊されました。

古絵葉書・神戸市内省線高架鉄道

神戸市省線高架鉄道
昭和初期になると、東京や大阪、神戸などの大都市ではすでに線路の高架が始まっていました。
この絵葉書は、神戸市内の高架の様子を撮影したものです。

古写真・京都勧業場(明治初期撮影)

勧業場
京都勧業場は明治4年、河原町二条の旧長州藩邸に
京都の産業振興の中枢をなす施設として建てられたものです。
擬洋風の建物で、当時としてはモダンな建物でした。

また、勧業場内には京都府画学校もあり、日本画家として著名な上村松園も
かつてここで学んだと言います。

勧業場はその後廃止、跡地は払い下げられ明治23年に京都ホテルとして開業しました。

*地域に関しては京都市のカテゴリになるのですが、明治初期の貴重な古写真であるので、
貴重資料のカテゴリに分類しました。

古写真・京都府中学校(明治初期撮影)

中学校
「中学校」とのみ注釈のある古写真ですが、明治6年に建てられた京都府中学校です。
京都府中学校は、明治3年に二条城北の京都所司代屋敷跡に開校した
日本最古の中学校で、明治6年に現在の京都府庁旧本館の建つ、
京都守護職屋敷跡に移転しました。この写真はその時のものだと思われます。
京都府中学校は明治18年に寺町に移転し、この場所に二条城にあった京都府庁が
移転してきます。その後、現在の重文に指定されている旧本館が建てられる明治37年まで
この中学校だった建物を京都府庁として使用することとなります。
これらを踏まえると、この写真は、京都府中学校が建てられた明治6年から
移転した明治18年の間に撮影されたということになります。

情報を提供していただいた、フランキー中尾様、I先生。ありがとうございました。

*地域に関しては京都市のカテゴリになるのですが、明治初期の貴重な古写真であるので、
貴重資料のカテゴリに分類しました。

古写真・五條橋中嶋(明治初期撮影)

五條橋中嶋
五條橋とは、かつて存在した五条小橋のことだと思われます。
中央やや左の石橋らしき橋が五條橋で、右側に見えている橋が五条大橋だと思います。
明治初期の五条大橋の写真は検索では見つけられませんでしたが、
同時期の四条大橋の写真を見ると、洋風の鉄橋になっており、この古写真に写る五条大橋
の様子から、同じデザインの鉄橋だったと思われます。
しかし、明治後期の五条大橋の写真を見ると擬宝珠を乗せた和風の橋になっており、
それまでに架け替えられたようです。
調べた結果によると、明治11年に当時の知事が一旦擬宝珠を取り外しましたが、
2年後に来られた明治天皇が擬宝珠のことについて尋ねられ、すぐに戻したという話があります。
この橋が具体的に明治13年以前のものかどうかはわかりませんが、
明治初期の撮影であることは間違いないようです。

追記・もしかすると、洋風トラスの木製橋だった可能性があります。
こちらの資料を見ると、天正期以来の石製の橋脚の上に、木製の洋風トラスの橋が載っています。

*地域に関しては京都市のカテゴリになるのですが、明治初期の貴重な古写真であるので、
貴重資料のカテゴリに分類しました。

古写真・円山温泉将軍塚(明治初期撮影)

丸山温泉将軍塚
写真には丸山となってますが、正しくは円山です。
京都東山の八坂神社近くに円山公園が開園したのは明治19年。
それ以前より円山には也阿弥ホテルや円山温泉などのレジャー施設が建てられました。
正面に見える望楼のような建物あたりが円山温泉で、吉水温泉とも呼ばれ、
明治6年に開業した保養施設です。
しかし、明治32年の火事で隣接していた也阿弥ホテルとともに全焼しました。
のちに也阿弥ホテルはいったん再建されましたが、円山温泉は廃業。
也阿弥ホテルも明治39年に再び焼失し、再建されることがないまま明治41年に
廃業しました。

*地域に関しては京都市のカテゴリになるのですが、明治初期の貴重な古写真であるので、
貴重資料のカテゴリに分類しました。

古写真・明治初期の方広寺

方広寺
方広寺は、豊臣秀吉によって建てられた寺院で、
巨大な大仏殿と大仏、広大な境内を誇る大寺院でした。
大仏殿は慶長期に失われましたが、天保期にかつての大仏の縮小版と仮殿が建てられ、
それは昭和48年に焼失するまで残っていました。
この古写真は、明治初期に撮影された鶏卵紙の貴重な古写真で、
中央に写る「国家安康・君臣豊楽」の有名な梵鐘がまだ鐘楼のなかに収められておらず、
露天に置かれています。

*地域に関しては京都市のカテゴリになるのですが、明治初期の貴重な古写真であるので、
貴重資料のカテゴリに分類しました。

古絵葉書・山口県女子師範学校

山口県女子師範学校1
師範学校とは、戦前に初等・中等学校の教員を養成するための学校でした。
この山口県女子師範学校は、大正3年に設立した山口県室積師範学校を前身とするもので、
大正9年に改称されました。
昭和18年に山口師範学校と改称、戦後に山口大学教育学部となりました。
山口県女子師範学校2
上空からの前景写真です。
中央にあるのが本館。規模の大きい、立派な学校だったことがわかります。

古絵葉書・ 専売局京都工場

専売局京都工場1
専売局とは、財政収入増加を目的として国家が特定の商品販売を独占した
専売制を行う役所のことで、日本では煙草・塩などが専売の対象になりました。
専売局は現在の日本たばこ産業の前身ですが、
塩は自由化、煙草は専売制が廃止されています。
この絵葉書は煙草製造の専売局の京都工場のもので、
大正11年に落成したのを記念して出されたもののようですが、
セット販売だったと思われますので、他にもあった可能性があります。
現在所持している他の2枚は、続きを読むからご覧ください。
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古絵葉書・関西電気倶楽部

関西電気倶楽部1
関西電気倶楽部とは、東京中心の日本電気教会に反発した
関西支部が分離し、大正3年に設立した倶楽部です。
翌年、関西電気倶楽部は中央電気倶楽部へと名称変更しますので、
この建物は倶楽部の設立当初の初代倶楽部ビルと思われます。
このビルは昭和初期の段階で失われていますが、
3代目として建てられた昭和5年築の旧本館が現存しており、
会議室やレストランとして使用されています。

この絵葉書は元は袋入りのセットだったものと思われますが、
購入時はバラの状態で7枚入手しましたので、他にもあったかもしれません。

残りの6枚は続きを読むから御覧下さい。
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