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 2008年06月 

古絵葉書・東北帝国大学臨海実験所水族館

東北帝国大学臨海実験所水族館
大正11年に青森県浅虫町に開館した東北帝国大学付属の水族館です。
大学の研究機関ですが、一般にも公開され、人気を博したようです。
昭和59年、老朽化のために閉館しましたが、代わりに現在は浅虫水族館が存在します。
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古絵葉書・近衛歩兵第一旅団時計台(旧竹橋陣営兵舎)

竹橋陣営
明治4年、天皇の警護を目的に設立された御新兵は、旧江戸城北の丸に駐屯しました。
その御新兵の兵舎として建てられたのが竹橋陣営で、明治4年にお雇い外国人であった
ウォートルスの設計によります。
完成した竹橋陣営の時計塔は西洋化の象徴として新たな名所となり、錦絵にも描かれるほどでした。
ウォートルスは、明治の近代化の象徴ともなった大阪造幣寮や銀座煉瓦街も手掛けています。
この地は後に近衛歩兵第一・第二連隊となりますが、ウォートルス設計の歴史ある時計塔の兵舎は
そのまま使用され、昭和20年まで残っていたそうです。
この絵葉書は、絵葉書の様式から大正期のものと思われます。
近衛歩兵1・2連隊
こちらは、過去に紹介した近衛歩兵第一・第二連隊の絵葉書。
後方に旧竹橋陣営の時計塔が写っています。

古絵葉書・歩兵第二十連隊 炊事場

歩兵二十連隊 炊事場
京都府の福知山市にあった陸軍歩兵第二十連隊の炊事場内の様子です。
当時、陸軍の連隊内では兵士が当番制で炊事を担当していました。
2000人近くが生活していた連隊内の食事を担当するのは大変なもので、
それだけに煮炊きをする鍋は相当大きなものですね。
炊事の担当兵は白い炊事用の服に着替えて作業をしていますので、
衛生面に気を配っているようですが、帽子だけは頭巾ではなく軍帽をかぶってます。

関連記事・福知山歩兵第二十連隊絵はがき(5枚セット) 陸軍歩兵第20連隊

古絵葉書・西能勢村役場

西能勢村役場
大阪府の北西端、京都府の亀岡市と隣接している能勢町は、
昭和31年に歌垣村・田尻村・東郷村・西能勢村が合併してできた町です。
この絵葉書は合併前の戦前のもので、昭和10年代ごろのものと思われます。
小さな村の役場らしく、村役場も1民家のような小ささです。
西能勢村役場などで調べてみましたが、はっきりとしたことはわかりませんでした。

古絵葉書・福知山城跡

福知山城跡
福知山市のシンボルである福知山城の昭和10年代ごろと思われる絵葉書です。
城山に建つ白壁の櫓は銅門番所で、元々二ノ丸にあった多門櫓でしたが、
明治初期に天守群が取り壊された後、旧天守台に移築されました。
その後、昭和60年に大天守・小天守が復元されるまで天守台の上に建ち、
天守復元後は、本丸の天守前の位置に再移築されています。
かつては本丸のある城山から向かって右手に二ノ丸の台地が続いていましたが、
鉄道建設や切通し工事で完全に消滅しました。

古絵葉書・王子製紙 千歳第四発電所

千歳第四発電所
王子製紙が苫小牧工場に電力を供給するため戦前に建設した5つの発電所のうち、
4番目に完成した発電所です。
大正8年に完成した発電所は、煉瓦の発電所・背後に写る石積みの堰堤とともに
現在もそのまま使用されています。

古絵葉書・王子製紙 千歳第一発電所

千歳第一発電所
製紙会社最大手の王子製紙は、北海道苫小牧に工場を建設するにあたり、
千歳川に電力を供給するための堰堤と発電所を建設しました。
一番最初に完成したのが、大正5年に完成したこの千歳第一発電所で、
当時としては大出力の発電量を誇る発電所でした。
その後昭和16年まで5つの発電所が建てられました。
この赤煉瓦の発電所の建物は現在もそのまま使用されています。

古絵葉書・宮田病院本館

宮田病院本館
宮田病院という病院の本館の建物が新築に待った際の記念絵葉書です。
建物のデザインから見て、建てられた時期は昭和初期~昭和10年代と思われますが、
宮田病院のあった場所等は情報がないためわかりません。
建物の規模、感じから見て町の診療所か開業医のような感じです。

古絵葉書・辻紡績本館(旧京都綿ネル本館)

辻紡績本館
京都市の壬生の地、JR嵯峨野線沿いに広大な敷地を持つ工場があります。
そこがかつての京都綿ネルの工場で、明治31年に工場が作られました。
大正4年、辻紡績に譲渡されるのですが、この絵葉書はその辻紡績時代に
撮影されたものです。ただし、この絵葉書の本館を含め、工場の施設は
京都綿ネル時代のものをそのまま使用しています。
その後、昭和18年に島津製作所が譲り受け、さらに戦後の昭和23年に
現在の日本写真印刷が所有しました。
現在、敷地内には京都綿ネル時代の赤煉瓦の工場施設が現存し、
貴重な近代化遺産群となっています。この本館も現存しているのですが、
外壁や窓周りに張られた石材が取り除かれており、当初よりも賑やかさは
なくなっています。

古写真・明治初期撮影の横浜本町1丁目通り。

横浜本町1丁目
明治初期に撮影された横浜本町1丁目の古写真です。
葉書大の鶏卵紙にプリントされ、台紙に貼られています。
向って左手奥の塔屋が目立つ建物は、明治7年竣工の横浜町会所で、
現在赤れんがの横浜開港記念会館が建っている場所です。
向って右手前が明治8年竣工の横浜郵便局。その奥に少し見えている小さめの洋館が
明治5年竣工の横浜電信局です。
これら3つの洋館のうち、右2つの洋館は明治22年に赤煉瓦造の建物に建て替えられていますので、
この古写真はそれ以前のもしかしたら明治10年代の撮影なのかもしれません。
長崎大学の古写真データベースにほぼ同じアングルの古写真がありましたので
併せて紹介しておきます。こちらです。

*この古写真の地域に関しては関東地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。

古写真・明治初期の大阪商業倶楽部

大阪商業倶楽部
大阪商業倶楽部と注釈のある建物の名刺大古写真です。
擬洋風建築のような洋館で、灯台のような塔屋を設けています。
写真を見るに、結構規模の大きな建物のようです。
この建物に関して、いろいろと検索して調べてみたのですが、ほとんど情報がなく、
何も分からない状態です。写真の状態から、明治20年以前の撮影のものと思うのですが。
この大阪商業倶楽部に関して何かご存知の方はどうぞ教えてください。

6/16追記 近代建築MLのTさん・Nさんよりこの建物は「今宮商業倶楽部」であるという
情報をいただきました。
今宮商業倶楽部は明治22年に完成した、商品陳列館的な性格を持つ建物で、
レジャー施設としての性格もあったそうです。
しかし、今宮商業倶楽部も10年ほどで消滅したようです。

*この古写真の地域に関しては近畿地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。

古写真・大阪天満橋

大阪天満橋
明治18年の水害で、淀川に架かる市内の橋の多くは流されてしまいました。
これを機に、洪水にも強い近代的な橋に架け替えられることになり、
明治21年トラス式の鉄橋が完成しました。基本的なデザインは前出の天神橋とよく似ています。
この橋も戦前に掛け替えられて現存してませんが、橋の上に掲げられていた橋名のプレートは
保存されています。
この古写真は、名刺大の鶏卵紙にプリントされたもので、鉄橋完成間もないころの
明治20年代頃のものと思われます。

*この古写真の地域に関しては近畿地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。

古写真・明治20年代頃の大阪天神橋

大阪天神橋
淀川に架けられた橋の一つ、天神橋は江戸時代から親しまれてきた橋でしたが、
明治18年の水害を機に近代的な鉄橋へと架け替えられました。
この古写真に写る鉄橋は、明治21年に架けられたトラス式の鉄橋です。
橋の上には「天神橋」と書かれたプレートが掲げられ、行きかう人々の目を引いたことだと思います。
この古写真は、名刺大の鶏卵紙にプリントされた古写真で、天神橋の完成後間もないものと思われます。
この古写真の天神橋は20年ほどで再び架け替えられましたので現存はしてませんが、
掲げられたプレートは保存されています。

*この古写真の地域に関しては近畿地方のカテゴリに入る資料ですが、
貴重な明治前期の古写真のため、貴重資料のカテゴリに含めました。

古絵葉書・軍艦三笠引揚工事の状態

引揚工事の戦艦三笠
日本海海戦時、連合艦隊旗艦として戦果をあげた戦艦三笠は、
日露戦争終結直後の明治38年9月に佐世保港内で爆沈事故を起こしました。
その後引き揚げられ、除籍後大正14年に記念艦として横須賀に保存されて現在に至ります。
現役当時の戦艦三笠の絵葉書や、記念艦の三笠の絵葉書はよく見かけますが、
爆沈後の引き揚げのようすを撮影した絵葉書はそこそこ珍しいのではないかと思います。
絵葉書に写る戦艦三笠は舳先をこちら側に向けており、菊の御紋章が見えます。
しかし、隣の船と比べると、明らかに甲板位置が低く、まさに引き上げの最中ということがわかります。
船体にまかれているのは、破損した船体を保護するものでしょうか?
また、艦上には多くの人が作業している姿も確認できます。
戦艦 三笠
こちらは現役当時の戦艦三笠です。絵葉書の状態から、引き揚げ後のものかもしれません。

古絵葉書・九七式中戦車(チハ)と九五式軽戦車の行進

帝国陸軍戦車部隊
旧帝国陸軍が保有していた九七式中戦車と
九五式軽戦車の行進の様子を撮影した絵葉書です。
絵葉書に解説がないので、詳しいことはわかりませんが、
宛名面に「陸軍省発行」とありますので、観閲式化何かのときに
記念として発行したものかもしれません。
絵葉書に写る戦車は、旧陸軍の主力戦車だった九七式中戦車と九五式軽戦車と
思われる2種の戦車です。
向かって右の砲塔が左によって鉢巻みたいなアンテナが付いているのが九七式中戦車。
通称チハ車。向かって左の履帯が狭く、やや小型の戦車が九五式軽戦車です。

古絵葉書・陸軍幼年学校

陸軍幼年学校
陸軍幼年学校とは、10代の頃から陸軍の幹部将校になるための教育を施す学校で、
明治8年に設立しました。その後、東京に中央幼年学校、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本に
地方幼年学校が設けられました。
昭和以降、地方の幼年学校は廃止され、東京のみになりました。
この絵葉書はその頃のものと思われます。

4/27同じセットだったと思われる2枚を入手しましたので、紹介します。
6/1さらに同セットだったと思われる2枚を追加しました。
続きを読むから御覧下さい。
続きを読む
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