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 2008年08月 

古写真・明治26年ごろ撮影?の湾内に停泊中の巡洋艦松島・千代田・浪速

湾内の松島・千代田・浪速
明治中期ごろに撮影されたと思われる鶏卵紙の古写真です。
どこの湾内かは不明ですが、軍艦が3隻停泊しているのが確認できます。
遠景からの撮影なので分り難いですが、送っていただいた方からの情報では
右から巡洋艦松島・巡洋艦千代田・巡洋艦浪速だということです。

松島は明治25年にフランスで竣工した軍艦で、清国が所有していた鎮遠・定遠に
対抗するため、大口径の艦砲を1門搭載した艦でした。
しかし、小さな船体に巨大な砲を積んだせいで、使い勝手は悪かったようです。
松島の同型艦としては橋立・厳島があり、名前から「三景艦」とよばれ、
日清戦争に参加しましたが、日露戦争ではその使い勝手の悪さからか
後方での作業に徹することになりました。

千代田は明治24年にフランスで竣工した3本マストの軍艦で、日清戦争・日露戦争
第一次大戦もに参加した歴戦の軍艦です。また、初代連合艦隊旗艦でもあります。
昭和2年に廃艦となりましたが、松島と比べて日露戦争でも実戦を経験しているので、
艦としては優秀であったと思われます。

浪速は明治19年にイギリスで竣工した軍艦で、写っている艦の中では最も古い艦になります。
日清戦争と日露戦争に参加して生き延びてますが、明治45年に座礁、沈没しました。

この写真は明治25年に完成した松島が写っているのでそれ以降の写真になりますが、
写真の状態と元の持ち主の方の「日清戦争前の撮影では?」とのご意見から、
明治26年あたりではないかと推測されます。ただし、よく見ると各艦とも満艦飾を施しているので、
日清戦争終結直後という可能性も考えられます。
撮影時期、撮影場所とも今後調べていく必要があるようです。
何か気付かれた方は教えてくださいませ。

*当写真のカテゴリとしては艦船・鉄道・車両のカテゴリに含まれるものですが、
明治中期の艦船の様子を撮影した貴重な古写真であることから、
貴重資料のカテゴリに含めました。
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古写真・東京辰ノ口 江戸城和田倉門

辰ノ口和田倉門
江戸城和田倉門は現在の丸の内にあった門で、関東大震災で倒壊するまで
存在していた櫓門でした。
この写真は明治初期~明治前期に撮影されたと思われる鶏卵紙印刷のもので、
右奥には洋館が見えます。位置からして、初代大蔵省かと思われるのですが、
いかがでしょうか。

*カテゴリは関東地方に含まるのですが、貴重な明治前期の写真ですので、
貴重資料のカテゴリに含めました。

古絵葉書・大本営の看板がかかる広島城二ノ丸表御門

広島城二ノ丸表御門
広島城に大本営がおかれたのは、明治27年の日清戦争の時でした。
城内にあった第五師団司令部の建物が使用され、城の入口になっていた二ノ丸の
表御門が大本営そのものの表門になっていたようです。
大本営解散後広島城は天守・表御門・櫓・大本営の建物など保存されましたが、
原子爆弾によってすべて破壊されました。
最近になって表御門と脇櫓が復元されましたが、この絵葉書の脇櫓は現在の
復元された脇櫓と姿が違います。現在の復元脇櫓は旧状に戻した姿なのでしょう。

古絵葉書・呉海軍病院

呉海軍病院
呉海軍病院は、明治22年に設立された海軍専用の病院で、
戦後は国立病院として使用されました。
現在は海軍病院時代の建物は現存していません。

参照・舞鶴海軍病院

古絵葉書・騎兵第3連隊

騎兵第三連隊
名古屋市にあった騎兵第3連隊の営門の絵葉書です。
第3師団所属の連隊で、名古屋城内に駐屯していました。

古絵葉書・京都 連隊本部(第9連隊?)

連隊本部
連隊本部と思われる建物ですが、注釈も何もありません。
ただし、宛名面の切手を張る位置に「Kyoto」の文字があるので
京都にあった連隊本部だと思われます。
京都市の連隊本部と仮定すると、伏見の深草にあった歩兵第9連隊が当てはまります。

古写真・明治~大正期ごろ?の造船の様子

造船1
明治から大正期のころではないかと思われる造船所での造船の様子を撮影した
古写真です。木造などではなく、リベットを打った鋼鉄船ですので、
大型の商船でしょうか。船体にはチョークのようなもので色々書かれています。
造船2
こちらは舵の付近の写真。関係者の人が記念に写っています。
実はもう一枚出品されていて本来は3枚セットだったのですが、
惜しくも残り1枚は入手できませんでした。
しかしながら、この2枚でも明治~大正期の船体の構造などが
分かるのではないかと思います。

古絵葉書・天理中学校・天理小学校(現・天理高校・天理中学校)

天理
天理市にあった天理中学校と天理小学校の絵葉書です。
両学校は、天理教の経営する天理大学の付属の学校として設立されました。
神道系の天理教が経営しているためか、両者とも和風の校舎になっています。
現在、両校は戦後の学制改編により天理高校と天理中学校になっています。
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