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 2008年11月 

古絵葉書・東京岩田植物生理化学研究所 新築記念絵葉書

岩田植物生理化学研究所1
東京岩田植物生理化学研究所は東京帝国大学理科大学に在籍していた
岩田正二郎氏が同大学中退後、設立した研究所です。
岩田氏が収集した学術図書などの研究資料は岩田文庫として知られ、
現在大阪教育大学が所蔵しています。
この絵葉書は、昭和10年に新築された岩田研究所の記念絵葉書で、
袋入り3枚組となっています。
中身の絵葉書は、下の続きを読むからご覧ください。
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東海道新幹線開通記念初日カバー(0系新幹線)

東海道新幹線開通記念
昭和39年10月1日に開通した東海道新幹線は、敗戦後の戦後復興の象徴であり、
日本が経済大国となるきっかけであった高度経済成長のシンボルでもありました。
最高時速200キロ突破を達成し、世界の鉄道界に衝撃を与えた新幹線は
現在の日本にはなくてはならない交通手段となっています。
その初代新幹線が0系でした。
かつての戦闘機技術者が航空機を範にして設計した独特のフォルムは
まだSLが現役だった当時、斬新なデザインで、その未来的なフォルムと
前代未聞のスピードはまさに「夢の超特急」でした。
また、この0系は昭和39年開業から現在に至るまで44年間同型車が
走り続けた車体でもあり、最高の名車と呼ぶ人も少なくない車体です。
当時から子供の憧れであり、新幹線と言えばこの0系を思い浮かべる人も
多いのではないかと思います。
その戦後の象徴ともいえる0系新幹線も今月11/30日をもって通常営業が終了します。
私個人も思い出があるだけに寂しい思いがあるのは否めません。
そこで、今回は0系新幹線惜別を記念して東海道新幹線開通記念の初日カバーを
紹介します。
初日カバーとは、新しい記念切手が発行されたとき、その切手をはがきや封筒に貼り、
その発行日に記念の消印を押したものです。
この東海道新幹線開通記念は、開業日の10/1の消印が押されています。
ちなみに、東海道新幹線開通記念の初日カバーはこの他にもいくつか種類があるようです。
44年間大きな事故を起こさず走り続けた素晴らしい名車。本当にお疲れ様でした。

古絵葉書・福知山衛戍病院

福知山衛戍病院 病室
衛戍病院とは陸軍病院のことで、恒久的に配置された陸軍病院です。
この福知山衛戍病院は明治31年に設立、かつての福知山城の曲輪の一つだった
伯耆丸に建てられました。
衛戍病院は陸軍専用ですので、陸軍兵士たちが入院する施設でしたが、
終戦後の昭和20年12月に厚生省の所属となり、国立福知山病院として
スタートしました。
現在は福知山市民病院として存続しています。
かつて福知山衛戍病院があった伯耆丸付近は現在は伯耆丸公園などになっていますが、
1棟のみ衛戍病院だったと思われる古い洋館が残っています。
こちらです。
この絵葉書は「其一」とあることから、元々セットの絵葉書だったと思われます。

古絵葉書・飛行第三連隊将校集会所

飛行第三連隊将校集会所
飛行第三連隊は、滋賀県八日市市に存在した陸軍の航空部隊です。
編成は昭和13年。航空機が発達して、航空戦力が重視され始めたことにより
各地に航空部隊が設立されたうちの一つです。
この絵葉書に写る洋館は飛行第三連隊の将校集会所です。
昭和13年設立ですので、比較的新しい陸軍の部隊なのですが、
将校集会所の建物は明治期の洋館のようなやや古風な様式的な洋館です。
クラブハウスとしての性格を重視したためでしょうか。
飛行第三連隊のあった八日市市には当然陸軍の飛行場がありました。
現在、八日市飛行場は存在しませんが、かつてのコンクリート製の大規模な掩体壕が
竹林の中などに2基ほど現存しているようです。

古絵葉書・昭和初期頃の松本市松本駅前。

某所戦前の街並み
※グズグズ様から情報をいただきました。ありがとうございました。

この絵葉書には注釈等はありませんが、長野県松本市の松本駅前の風景です。
正面に映る3階建ての建物は飯田屋旅館で、現在もビジネスホテル飯田屋として
営業が続けられています。

古絵葉書・宮津 大手橋

宮津 大手橋
宮津市の市街地を流れる大手川は、かつて宮津城の外堀として利用された川でした。
その川に面して宮津城の大手門が建っていたのですが、その大手門に通じる橋が
大手橋でした。
この絵葉書は明治期の大手橋を撮影した絵葉書で、写っている大手橋は
洋風の石橋となっているため、明治以降に架けられた橋であることがわかります。
しかし、大手川の護岸は石垣積みで、城の堀とされていた時代のなごりが
まだ残されています。
また、橋の向こうには白壁の土塀が続いています。
宮津城には、明治初期に撮影された大手門の古写真が残っていますが、
その古写真を見ると、大手門の両脇には長い土塀が続いています。
宮津城は明治初期に建物が破壊されたあと、城域自体が徐々に市街地化されたため、
現在はこの大手川の城外側の石垣しか城の遺構はありませんが、
絵葉書に写る塀が宮津城の塀だとしたら、
この絵葉書が撮影されたと思われる明治後期ごろはまだ、
城の石垣と土塀が残っていたことになります。
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