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 2009年01月 

古絵葉書・福知山名所 新町通り

新町商店街
現在は閑散としたシャッター通りとなってしまっていますが、
かつて新町通り商店街は福知山でも一番を誇る繁華街でした。
昭和8年には福知山で初となる高層建築の百貨店「三ツ丸百貨店」が開店し、
その向かいには福知山銀行本店が広小路側の商店街内に建てられ、
そこから駅へと延びる商店街の通りには多くの店舗が軒を並べ、
さらにはスズラン灯が通りを照らしていました。
最盛期には平日であっても込み合っていたそうです。
この絵葉書は昭和初期から昭和10年代のものですが、
店ごとに掲げられた幟の数や行きかう人々などから、
いかに栄えていたかがわかりますね。

しかし、戦前から戦後しばらく間で栄えていた新町商店街も
車の普及や大型店舗の進出という時代には勝てず、
次第に客足が少なくなり閑散としていきました。
三ツ丸百貨店も戦後京都銀行となり、その京都銀行が移転した後は
文化資料館とリサイクルセンターとして使用されました。

現在は、旧三ツ丸百貨店の建物が「ポッポランド」として
利用されて商店街の活性化を図ろうとしてますが、
多くの商店がシャッターを下ろしているだけでなく、いくつかは
店舗自体が取り壊され、普通の住宅へと建て替えられている場所が
増えてきています。
また、ポッポランドの向かいにあり、福知山でも貴重な煉瓦建築だった
旧福知山銀行本店も近年取り壊されるなど、(この建物は残してほしかった)
少しずつ商店街はかつての面影を失いつつあるようです。

参照・旧三ツ丸百貨店と旧福知山銀行本店 まちかどの西洋館
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古絵葉書・福知山 蛇ヶ端鉄橋

蛇ヶ端鉄橋
福知山市の市街地からやや西南の位置に蛇ヶ端という場所があります。
この場所はJR山陰本線や国道9号線、綾部へ至る府道8号線などが交差する
交通の要所で、昔も山陰道の通じる要所でもありました。

その蛇ヶ端の近くを流れる由良川の支流の土師川に山陰本線が通され、
その土師川に架けられたのが蛇ヶ端鉄橋でした。
この絵葉書は大正期ごろのものですが、フレートガーターのこの鉄橋は
絵葉書からもかなりの長さの橋であることがわかり、絵葉書になるほどの
名所だったことがうかがえます。

現在、この蛇ヶ端鉄橋は橋脚も含めて撤去されており、
代わりに土師川橋梁が架けられています。

古絵葉書・新設八木町大堰橋

大堰橋
京都府八木町を流れる大堰川に架かる鉄橋です。
街の中心地のあたりに架けられ、街の中心と対岸を結ぶ
幹線の橋として現在も使用されています。

大堰橋は八木大橋とも呼ばれ、昭和10年に架けられた
歴史的な橋梁で、鉄橋のトラス上部は山型に細工するなど、
意匠的にも工夫が見られます。
大堰橋現在
これが現在の大堰橋。
欄干とかに改修が見られますが、本体部分は当初のまま使用されており、
近代土木遺産としても貴重な橋だと思います。

関連・大堰橋(八木大橋)まちかどの西洋館

古絵葉書・社交倶楽部端正館

社交倶楽部端正館
この社交倶楽部端正館は、富山県入善町にあった施設のようで、
平屋で小規模ながら、しっかりした洋館です。
検索して調べましたが、唯一出てきたのは、昭和11年に設立した
「富山電気ビルデイング株式会社」の年表に社交倶楽部の名前が出てきたくらい。
年表によれば昭和11年に社交倶楽部設立とあるのですが、
この絵葉書の建物自体はもう少し古そうで、大正期くらいでは?
と思うのですが。

古絵葉書・栗ヶ崎遊園

栗ヶ崎遊園1
栗ヶ崎遊園は、かつて石川県金沢市の栗ヶ崎海岸にあった遊園施設で、
大正14年に開園しました。
かつては「北陸の宝塚」とも呼ばれ、温泉や動物園、歌劇やイベントを行う
ホールなどもあり、にぎわっていたようです。
現在はもうないようですが、ネットで調べても跡地の様子だとか閉鎖の時期だとか
分からなかったのですが、戦後のしばらくは存在していたようです。
これは本館の建物。洋風で塔屋を持つ洒落た建物です。
栗ヶ崎遊園2
本館内部の休憩所。内装は応接室のようなしゃれた感じ。
奥に「食堂」とでっかく描かれた看板があるので、本館内で食事していたんでしょう。
栗ヶ崎遊園4
温泉場内庭園。温泉を併設していたということは、宿泊施設もあったかも知れません。
庭園にはツルが。ちょっとした遊園施設や動物園もあったみたいですね。
栗ヶ崎遊園3
余興場。ここで、演劇とか歌劇を催していたようですね。

古絵葉書・軽井沢 新渡戸家別荘

新渡戸家軽井沢別邸
軽井沢は現在も上流階級の別荘地というイメージどおり、
戦前から政財界、著名人たちの別荘地として人気で、
多くの別荘が建てられました。
この絵葉書の別荘は、武士道の著書や旧5千円札で知られている
新渡戸稲造の別荘です。
ハーフチンバーの洒落た洋館ですが、別荘とはいえ個人の邸宅も絵葉書にされるんですね。

古絵葉書・舞鶴練習部全景

舞鶴練習部
大正12年、ワシントン海軍軍縮条約により鎮守府から要港部に格下げされた
舞鶴鎮守府は、鎮守府だけでなく海軍の諸施設も格下げになりました。
この舞鶴練習部は元舞鶴海兵団で、格下げによる海兵団廃止後は
横須賀海兵団所属の練習部となったようです。
その後、昭和2年この旧海兵団跡地に海軍機関学校が移転し
新しい建物が建てられ終戦まで存続。
現在は海上自衛隊舞鶴地方総監部として機関学校時代の建物がそのまま使用されています。
ちなみに、昭和18年舞鶴の大浦地区に新たに平海兵団が設けられました。

関連記事・舞鶴海兵団

祖父の死

20060304151502.jpg
私事ではありますが、今年1/2に祖父が亡くなりました。88歳でした。
ずっと寝たきりで、自宅での死去となったのですが、
正月ということもあって、家族や親類全員が立ち会えることができ、
特に祖母が死の瞬間に立ち会っているので、
死に方としては幸せだったのではないかと思います。

祖父は志願兵で陸軍に入隊。途中仙台陸軍教導学校で下士官の教育を受け、
職業軍人として6年軍隊に所属し、最終階級は准尉という叩き上げの軍人生活を
過ごしました。

祖父はずっと内地勤務で連隊本部とかにいたようで、戦地での過酷な経験は
しておりませんが、戦中・戦後の苦労は大変だったものだと思います。

まだ元気だったころ、祖父からいろいろな話をしてもらいました。
軍隊時代の訓練の話や地元に伝わる昔話など。これらの話は
記録にとどめ、残していきたいと思っています。
また、私が小さい頃は各地の城郭などいろいろ連れて行ってもらった記憶があります。

最後に、昔の祖父の写真を紹介して締めたいと思います。
祖父
祖父と祖父の部下たち。前列中央左が祖父です。
20060305133042.jpg
祖父と祖母の結婚式の写真。自己紹介のサムネにも使用している写真です。

これらの写真で着ている軍服はまだ蔵の中に一式あります。
戦中の資料として、写真とともに受け継いでいこうと思っています。
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