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 2009年04月 

古絵葉書・京都 亀岡 大本教シオン館

亀岡市 大本教シオン館
京都府の亀岡市と綾部市を活動拠点にしている宗教団体の大本教が運営する
出版社、天声社の社員が宿舎にしていた建物が、この亀岡市安町にあった
シオン館です。
3階建ての建物は絵葉書を見ても分かる通り、伝統的な町家の立ち並ぶ亀岡の街並みの中では
目立つ存在であり、当時は安町の洋館と呼ばれていたようです。

このシオン館に関する情報は本当に少なく、上記のことしか分かりませんでしたが、
大正15年に亀岡支社が設立した時にこの建物が宿舎として使用されたこと、
この建物の様式から、建設年は大正後期頃と考えていいと思います。

また、この建物は現存しておりませんが、他の写真や資料を見つけられてないので、
いつ頃取り壊されたのかも不明です。
もしかすると、昭和10年ごろの大本事件により大本教の関連施設は強制的に売却され、
天声社の印刷工場なども取り壊されているので、シオン館もその時に破壊された可能性があります。
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古絵葉書・福知山 歩兵第二十旅団司令部

第二十旅団司令部
福知山へ明治30年に陸軍工兵第十大隊、明治31年に陸軍歩兵第二十連隊が移駐したのと
同時期に、陸軍歩兵第二十旅団司令部も設置されました。
旅団司令部とは、基本的に2個連隊を束ねる陸軍軍隊の単位の一つであり、
旅団長は陸軍少将です。
明治期に移駐した陸軍部隊のうち、歩兵第二十連隊は終戦まで
郷土部隊として存続しましたが、工兵第十大隊と歩兵第二十旅団は大正14年の
宇垣軍縮により、工兵第十大隊は岡山へ移駐、歩兵第二十旅団は廃止となりました。

この絵葉書は廃止される前の二十旅団司令部を撮影したもので、
衛門には、「歩兵第二十旅団司令部」「第十師団経理部福知山派出所」の
看板が掲げられています。
第十師団は福知山の各部隊を傘下に置く師団で、司令部は姫路にありました。

福知山に駐屯した陸軍部隊のうち、工兵第十大隊と歩兵第二十連隊の古写真や絵葉書は
よく見かけるのですが、この歩兵第二十旅団司令部の古写真等は今まで見たことがなく、
どういう建物であったか今まで分かりませんでしたが、この絵葉書のおかげで
司令部のかつての姿を知ることとなりました。
そういう点では、この絵葉書は貴重な資料といえるのではないかと思います。

この絵葉書を元に各地に現存する同時期建築の旅団司令部の建物を
比較してみましたところ、師団司令部はさまざまな様式がある一方で、
旅団司令部はどれも中央に入口を設けて
ぺティメント(三角破風)を設けた平屋のシンメトリーな建物という
同じデザインで統一されています。
旅団司令部に関しては建物の規格がほぼ統一されていたようですね。

古絵葉書・福知山 猪崎新地

猪崎新地
福知山市にある猪崎地区は、明治29年に市街地から遊郭が当地へ移転されて以降、
京都府北部で最大の遊郭街となり、明治末期頃には芸妓30数名、娼妓約100名
もいたそうです。
福知山には歩兵第20連隊が駐屯しており、その兵士たちは一番の客だったようです。
猪崎新地は戦後、他の地域の遊郭街と同じく赤線街と変わりましたが、
昭和34年の売春禁止法によりすべて廃業。市街地中心に離れていたこともあり、
歓楽街になることもなく、普通の住宅街へと変わり現在に至っています。
しかし、遊郭街当時の建物は現在でも多数存在し、唐破風をもった大規模で
立派な建物も現存しています。

この猪崎新地の絵葉書は大正期に撮影されたものです。
奥に見える鳥居はさらに奥に見える城山(猪崎城跡)にあった神社の鳥居のもので、
現在ここに鳥居はありませんが、城山には朽ちかけて半ば倒壊しかけた社殿と
当時の娼妓たちが奉納した石灯篭などが残っています。
猪崎新地跡
こちらは絵葉書に写る通りを同じ方向から撮影した現在の猪崎新地の姿。
建物は改修されてこの写真には絵葉書のような面影はありませんが、
別の通りには当時の姿を残す建物が多く残されています。

関連リンク 猪崎地区の洋館 猪崎地区の旧遊郭① 猪崎地区の旧遊郭②
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