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 2010年03月 

古絵葉書・福知山停車場

福知山停車場
福知山に駅が開業したのは明治37年。舞鶴と大阪を結ぶ阪鶴鉄道の駅舎として作られました。
その後国有化され、山陰本線の駅舎となったあとは、北近畿の交通の要となり、
福知山機関区も置かれ、「鉄道の町 福知山」として発展していきました。
この絵葉書は大正期のもので、駅舎はまだ木造平屋ですが、当時の駅としては
比較的規模の大きいものだったのではないでしょうか。

右手側の建物が駅舎。中央奥には跨線橋が見えます。
この跨線橋、明治41年完成のもので、現在は八鹿駅に移築され現役で使用されています。
※参照・八鹿駅の跨線橋
左手奥には煉瓦造の機関庫。福知山機関区の機関庫は昭和期に扇型機関庫が造られてますので、
その時にこの煉瓦造の機関庫は取り壊されたものと思われます。

現在福知山駅は高架化による駅舎改築と周辺の再整備で、近年まで残っていた扇型車庫や開業当時のホーム、
戦前からの諸施設は失われましたが、転車台と輸入の古レールを使用したホーム上屋は
駅構内に保存されています。
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古絵葉書・福知山城跡(大正期)

大正頃の福知山城跡
福知山城は、明治のはじめに天守等の建物が取り壊されたり移築され、跡地には石垣のみ残ってましたが、
廃城後も残されていた広大な二の丸台地も明治中期より行われた鉄道施設工事の影響と再開発で
徐々に削り取られてゆき、大正時代には二の丸台地はほぼ消滅しました。
この絵葉書は、かつて二の丸登城口にあった「銅門番所(続櫓)」が天守台移築されているので、
大正2年以降の撮影ですが、本丸台地から市役所側に続いていた二の丸台地の削り取られた跡が
生々しく残っているので、大正でも初期の頃のものと思われます。

天守台には銅門番所の他に藩祖の父、朽木種綱を祀る朝暉神社が見えます。
これらは天守再建時に再移築されて本丸内に現存してますが、天守台下に見える忠霊塔のようなものは、
現在は失われています。

この絵葉書の写真で注目すべき点は、本丸と二の丸との境となる本丸西側石垣が
一部残存していることです。写真中央に大きく残されている他、分かりづらいですが、
中央の残存石垣の左手先に石垣の石が2つ残されています。

これら石垣はその後崩されたようで、現存はしていません。
削り取られて崖となったこの部分は長らくそのままでしたが、最近この崖面を覆うように
石垣が新たに作られました。

古絵葉書・(福知山停車場前)山陰常設家畜市場

山陰常設家畜市場
かつて福知山駅前にあった明治期創設の家畜の市場で、北近畿でも有数の大規模な家畜市場でした。
福知山駅で降ろされた家畜をこの市場でセリにかけられるわけですが、
当時はかなり賑わっていたようです。
この絵葉書は明治末期から大正期のもので、ちょうど黒毛和牛が取引されており、
市場の賑わいの様子がよくわかります。

古絵葉書・新綾部製糸株式会社

新綾部製糸株式会社1
新綾部製糸株式会社は、昭和3年に前年経営難に陥った綾部製糸株式会社を神栄製糸株式会社の
傘下に置くことで再スタートした製糸会社で、綾部製糸の工場・従業員をそっくり引き継いだため、
再び同じ場所・同じメンバーで創業しました。
この絵葉書は、新綾部製糸株式会社の本館。新たに新築されたものと思われます。
近代的な大きいビルで、当時の人の目を引いたことでしょう。
新綾部製糸株式会社2
こちらは、寄宿舎と思われる建物。綾部製糸時代の寄宿舎をそのまま引き継いでいるようです。

新綾部製糸株式会社は昭和15年に吸収元の神栄製糸株式会社の名前に変更されたため、
綾部の名前は消えることとなりました。

古絵葉書・綾部製糸会社工場之景

綾部製糸会社工場
綾部製糸は大正2年に設立した製糸会社で、すでに綾部で創業していた郡是製糸とともに
綾部での主力企業となりました。
綾部製糸は、昭和2年の金融恐慌の影響を受け経営難に陥り、神栄製糸の傘下へ。
「新綾部製糸株式会社」として再スタートしますが、昭和15年に「神栄製糸」となり、
綾部製糸の名前はなくなりました。

古絵葉書・綾部町之景

綾部町之景
昭和初期頃の撮影と思われる綾部市街の絵葉書です。
写真奥の大規模な工場群は、郡是製糸会社かと思われます。

綾部は、戦前まで町制で、戦後に周辺の郡と合併して綾部市となりました。

古写真・東京印刷局

東京印刷局
切手や紙幣などを印刷する印刷局は、明治4年に設立されました。
この古写真の洋館は初代の印刷局の建物で、明治9年に完成しました。
その後明治大正と使用され続けましたが、大正12年の関東大震災で
倒壊しました。
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