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 2011年02月 

古写真・砲兵第四大隊(明治10年代頃撮影)

砲兵第四大隊
砲兵第四大隊は大阪の第4師団所属の砲兵隊で、砲兵隊として明治5年設立。現在の大阪歴史博物館・NHK大阪放送局の位置に駐屯していました。左下の「OLD CASTLE」の注釈は大阪城のことを指していると思われます。
明治8年に砲兵第四大隊と改称し、西南戦争に参加。明治17年に砲兵第四連隊に改称しました。
この写真には、「第五営」「砲兵第四大隊」「予備砲兵第二六隊」の看板が掲げられています。
砲兵第四大隊の看板を掲げていることから、明治8年~明治17年までの撮影でしょう。
兵舎もなまこ壁で日本瓦葺きの屋根といった、まるで土蔵のようなデザインの擬洋風建築で、
いかにも明治初期の兵舎といった感じです。
大阪歩兵第二十連隊
※参考・こちらは同じ大阪城内に駐屯していた福知山へ移転前の大阪時代の歩兵第20連隊。
この古写真の記事はこちら

※関連記事
古写真・大阪鎮台砲兵営所(明治前期撮影)
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古写真・神戸 多聞通(明治10年代頃撮影)

神戸多門通
かなり退色して分かりづらいですが、右端の部分に「神戸 多門通」とあります。
多聞(多門)通は神戸市中央区にある通りで、明治5年設立。
明治8年までは県布達に「多門通」と記載されてますが、明治10年からは「多聞通」と
記載されているようです。
写真を見ると通りは整備され、ガス灯らしき街灯や電信柱も見えますが、
通り沿いの建物は和風建築ばかりで、いかにも明治初期の街の風景のように思えます。

古写真・明治前期頃撮影の陸軍士官学校か?

陸軍幼年学校2
台紙に記載等はありませんが、この古写真に写る建物の塔屋の形や屋根窓の位置、窓の形から、
明治期の陸軍士官学校ではないかと思われます。
中央に軍服を着た軍人さんが写ってますね。
陸軍士官学校
こちらは絵葉書の陸軍士官学校。
陸軍士官学校は明治7年に東京市ヶ谷に設立された陸軍士官養成の学校で、
卒業すると曹長に就任。原隊で見習士官として半年ほど所属すると晴れて少尉となることが出来ました。

この本館の建物は明治7年に設立された当時の建物で、この絵葉書のように
正面からややや斜めからの撮影の写真は良く見かけますが、完全なサイドからの写真はあり見かけません。
陸軍幼年学校1
別の写真。奥に校舎らしい建物が写ってます。
手前では器械体操の授業中であろう生徒たちが写ってますね。

古絵葉書・日出紡織株式会社舞鶴第一工場

日出紡織株式会社舞鶴第一工場1
日出紡織株式会社は、昭和16年に錦華紡績、日出紡織、出雲製織、和歌山紡織
の4社が合併して設立された大和紡績、現在のダイワボウの前身です。

この絵葉書は舞鶴にあった工場で、昭和12年に設立されました。
写真から見てもわかるように、かなり広大な工場敷地で、戦時中は軍需工場として利用されました。
舞鶴には近年までダイワボウの広大な工場がありましたが、2007年の火事で壊滅的ダメージを
受け撤退。現在は跡地となっています。

その跡地がこの絵葉書の場所かと思っていたのですが、跡地は現在の西舞鶴IC近くの場所で、
海からは遠く離れています。
日出紡織株式会社舞鶴第一工場2
同じ舞鶴第一工場の別アングルの絵葉書です。
下のキャプションに「海岸ヨリ見タル全景」とあり、現在のダイワボウ舞鶴工場跡地とは別の場所のようです。
古地図や背後の山の形から場所を特定できるかもしれません。

古絵葉書・日本製布会社伏見工場

日本製布会社伏見工場
日本製布会社は、日本織物会社の後身会社であるようです。
日本織物会社は桐生市にあった会社のようで、その後、桐生織物株式会社、日本製布株式会社
富士紡績株式会社と変遷して行ったようです。

この絵葉書は日本製布株式会社時代の伏見工場のものですが、
現段階ではどこにあったのか分かりません。
古地図などを頼りに調べれば判明するかと思います。

絵葉書を見ると、川沿いに建てられているのが分かります。
この川の大きさから、宇治川か桂川でしょう。
工場は煉瓦造を中心とした建物で、明治期の建築かもしれません。
右側には寄宿舎らしき木造の建物も見えます。

かなり広大な規模ですので、現在も敷地がそのまま別の工場用地として使用されていたり、
当時の建物や遺構がわずかながら残っているかもしれません。

古絵葉書・加島銀行京都支店(ヴォーリズ建築事務所設計)

加島銀行京都支店
加島銀行は江戸時代から続く両替商加島屋が明治21年に設立した銀行で、関西を中心に支店を構えていましたが、
昭和恐慌の煽りを受けて昭和12年に廃業しました。
この建物は京都支店の建物ですが、いかにも戦前の銀行建築らしい古典様式の建物です。
調べてみると、京都支店は大正10年にヴォーリズ建築事務所による設計のようです。

※2016年3月12日追記
加島銀行京都支店001
こちらは大正3年完成の加島銀行京都支店。辰野金吾と片岡安設計の辰野式の支店です。
上記の京都支店の写真にある右側の通りがないことから、ヴォーリズ設計の支店とは別の支店と思われます。
京都市内には烏丸通にあった下京支店と四条大宮にあった京都支店があり、ヴォーリズ設計の支店は四条大宮の京都支店、辰野・片岡建築事務所設計の下京支店なのかもしれません。

※関連記事 加島銀行京都支店(辰野・片岡建築事務所設計)

古写真・東京三井銀行(明治20年代撮影)

東京三井銀行
三井銀行は明治9年に開業した日本初の私設銀行で、駿河町の三井洋館を使用してスタートしました。
この写真の建物がその三井銀行の建物で、明治7年完成の3階建ての擬洋風建築の洋館は、
洋館建築の少なかった当時、文明開化の象徴的な建物として非常に目に付く建物でした。

設計者は明治初期の民間の洋風建築を手がけた二代清水喜助。

築地ホテルや第一国立銀行本店の設計を手がけたことでも知られています。

その第一国立銀行本邸の建物ですが、
第一国立銀行本店
明治5年に建てられたこの建物もかつて三井組の本社屋でした。
駿河町の三井洋館が建てられたのは、明治6年に本社屋が第一国立銀行として使用されたためで、
同じ設計者・同じ様式・同じ所有者であるこの2つの建物は兄弟とも言える洋館でした。

この2つの建物は、明治30年前後に保存運動も起きましたが取り壊されてしまいました。

古写真・佐渡鉱山 機械工場(明治後期頃?)

佐渡鉱山 機械工場
江戸時代初期に金鉱脈が発見されて以来、幕府の重要な財源となった佐渡金山は、
明治に入ると新政府の官営鉱山となりました。
明治29年に三菱に払い下げられて以来は三菱系の管理となりましたが、
平成元年に採掘が休止されてからは観光地として公開されています。
佐渡鉱山は明治初期より官営によって近代的な設備や整備が行われたため、
多くの貴重な近代化遺産が残されています。

この木造の建物は「機械工場」の建物で、工場内で使用されている
機械を修理する為の施設です。
現在も機械工場の建物は残されていますが、現在のものは昭和15年の建物で、
この古写真の機械工場はそれよりも古い明治期の建物のようです。

古絵葉書・福知山 御霊神社(手彩色絵葉書)

福知山 御霊神社
福知山の街を作った戦国武将・明智光秀を祭った御霊神社は、宝永2年に現在の広小路通に
創建されたのが始まりで、現在の御霊公園の地に移転したのは大正7年のことです。
この絵葉書は、現在の地に移転前の明治期の手彩色絵葉書で、現在と違い社殿も本殿のみの
小規模なものだったようです。
神社の側には商店が立ち並び、写真店や薬屋さんがあります。
左手前の立て看版には「繭買入所」とあり、養蚕・製糸業が盛んだったことが伺えます。
右奥には大きな建物。幟らしきものもあるので、劇場か何かだったのでしょうか。
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