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 2013年10月 

古絵葉書・舞鶴練習部 長田野 野外応用教練

長田野017
海軍の下士官や新兵を教育する練習部による陸戦の演習の模様を紹介した絵葉書です。
この舞鶴練習部は元は舞鶴海兵団でしたが、大正12年のワシントン海軍軍縮会議で
舞鶴鎮守府が舞鶴要港部に降格したのに伴い、舞鶴海兵団も舞鶴練習部へと降格しました。
演習場所は長田野という京都府福知山市にある場所で、戦前は福知山に駐屯していた
陸軍歩兵第20連隊の演習場でした。
京都府北部では最大規模の演習場だったので、海軍も借用して使用したのでしょうか。
長田野018
こちらは鉄道で到着した練習部の兵士たち。客車から次々と降りる様子が撮影されています。
長田野には鉄道は乗り入れてませんので、福知山駅ではないかと思われます。
写っている客車は三等車で、「ナハ24880」という車両番号が見えます。
調べてみましたところ、大正8年から昭和2年にかけて製造された、国鉄22000系客車
のようですが、三等車はナハ24400形・ナハ21950形・ナハ23950形の3種で、
ナハ24800形というのは無いようです。
何かご存知の方は教えていただけたらと思います。

※関連記事
古絵葉書・舞鶴練習部全景
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古写真・建造中の巡洋戦艦鞍馬

鞍馬019
巡洋戦艦鞍馬は明治38年に横須賀海軍工廠で起工され明治40年に進水した
鞍馬型巡洋戦艦の1番艦です。
しかし、進水式の時点でイギリスにて誕生した革新的な戦艦・ドレッドノートにより
一気に旧式化。それでも明治44年に就役し、イギリス国王ジョージ5世の戴冠式と記念観艦式に
参加したり、第1次世界大戦で護衛任務に付いたりしましたが、
ワシントン海軍軍縮条約により廃艦が決定し、大正12年に解体されました。

この写真は横須賀海軍工廠内のドックにて建造中の鞍馬です。
船体は出来上がってますが、上部構造物や主砲等の兵装は取りつけられていません。
ただ、艦尾に「くらま」の艦名があることから、進水式後の艤装の様子を撮影したものでしょうか。
鞍馬の船体の奥にガントリークレーンが写っています。
これは、鞍馬建造の折に新設された物のようです。

撮影時期ですが、進水後とするならば明治40年10月21日以降と言うことになります。

古写真・明治30年代撮影の宮津市街と天橋立

明治の宮津007
絵葉書サイズの大きさの宮津・天橋立の古写真です。
台紙の裏に「明治三十○年」の印刷があり、この写真が撮影されたのが明治30年代と分かります。
宮津湾の奥に写る細長いのが天橋立。奥の高い山が成相寺のある山です。
天橋立の左端辺りが途切れていて、現在はここに旋回橋が架かってますが、
旋回橋が架けられたのは大正12年で、この時期には橋は架けられていませんでした。
手前の街並みは宮津市街地。市役所などがある宮津市の中心地です。
写真やや中央に湾に四角く突き出すような感じの場所があります。
このあたりはかつて宮津城のあった場所で、幕末には台場も作られました。
現在宮津城は完全に埋め立てられ、台場も同じように埋められたと思われます。
湾に突き出した場所は古地図では宮津台場のあった場所。
この写真に写る突き出た場所は宮津台場の跡がまだなんとか残されている状態で撮影されたものでしょうか。
そうだとすると、かつての宮津台場の形がかろうじて分かる古写真ということになります。
宮津市街全景
こちらは大正から昭和初期頃撮影の宮津市街です。上の写真とは反対側からの撮影になります。
明治30年代の写真と比べてかなり建物が増えてます。

関連記事・古絵葉書 宮津全景
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