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 2014年01月 

古写真・秋田県庁(明治後期ごろ撮影か)

秋田県庁005
明治後期ごろ撮影と思われる秋田県庁の鶏卵紙写真です。
正門前に袴と帽子をかぶった紳士が写っています。
秋田県庁は明治13年に建設された庁舎で、明治前期に多く建てられた
典型的な擬洋風建築の様式となっています。
この庁舎は昭和13年に新庁舎が建てられるまで使用され続けたようです。
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古写真・D50形蒸気機関車235号機 蒸気機関車1430号

D50型蒸気機関車001
戦前に撮影されたと思われる機関車の古写真3枚です。
この機関車には「D50 235」のプレートが付けられています。
D50形蒸気機関車は、大正12年から昭和6年まで製造された貨物用蒸気機関車で、
戦前から戦後にかけて活躍した機関車です。
D50の235号機は調べてみますと昭和3年に日立製作所笠戸工場にて製造され、
昭和6年から昭和18年まで小郡機関区に所属していたようです。
となりますと、この古写真は小郡駅の機関車庫で撮影されたものでしょうか。
D50型蒸気機関車002
2枚目の写真に写る機関車もD50235と思われます。
機関庫の整備士たちの記念撮影でしょうか。
D50形蒸気機関車235号機は昭和34年に北海道に渡り富良野機関区に所属し、
2年後に解体されたようです。
1430型蒸気機関車003
3枚目の機関車には「1430」のプレートが取り付けられています。
これは形式番号ではなく機関区での番号と思われます。
機関車は姿から8700形か8800形に見えるのですが、山口の方には乗り入れていないようで
鉄道に詳しくない私には結局分かりませんでした。
詳しい方がいればご教授お願いします。

古写真・零式艦上戦闘機 (報国第1300号・1329号)21型もしくは52型か。

九六艦戦報国第1300号1
袋に「報国号献納飛行機命名式写真 海軍省」と書かれています。
これは海軍に献納された艦上戦闘機を記念して造られた写真です。
九六艦戦報国第1300号2
献納された艦上戦闘機は1300号と1329号。立命館が昭和18年9月に海軍に献納した機体で
それぞれ1300号は「第一立命館号」1329号は「第二立命館号」と名付けられました。
この写真はその命名を記念して発行されたものです。
昭和18年9月より生産された艦上戦闘機は零式艦上戦闘機は52型があげられます。
ただし零戦21型も昭和19年まで生産されてますので、この献納された零戦はそのどちらかということになります。
軍への兵器の献納は戦前戦中にかけて盛んに行われ、献納者は地方自治体や各公共団体、民間企業や宗教団体から
個人に至るまで様々でした。そして献納された兵器には献納者にちなむ名前がつけられています。
海軍では献納された兵器には「報国」陸軍には「愛国」と付けられています。
九一式戦闘機(愛国38)
こちらは京都市民から陸軍に献納された九一式戦闘機です。機体胴部に「愛国」と書かれています。

※関連記事
古絵葉書・九一式戦闘機(献納戦闘機・愛国38京都)
古絵葉書・北海道道民 献納兵器命名式記念絵葉書

※参考サイト
陸軍愛国号献納機調査報告(おまけの報国号)

古写真・航空母艦 龍驤

航空母艦 龍驤
航空母艦 龍驤は昭和4年に横浜船渠にて起工され、昭和8年に竣工しました。
当時ワシントン海軍軍縮条約により艦艇の保有枠を設けられた日本は、
まだ補助艦艇扱いだった航空母艦にも総数8万トンという制限が付けられました。
日本海軍は戦艦として建造中だった赤城・加賀を空母へと改装することで戦艦の保有枠を削りましたが、
それによって空母の保有枠分の残りが少なくなったため、条約外だった1万トン未満の
航空母艦を建造する計画をたてました。龍驤はそれによって誕生した空母でした。

しかし建造中に締結されたロンドン海軍軍縮条約により1万トン未満の航空母艦の建造も制限を受けたため、
小型の空母を作るメリットが無くなり、建造中の龍驤にさらなる能力向上を要求。
航空機搭載数を増加させるため格納庫を船体一杯に広げさらに格納庫を2段にしました。
そのため、排水量は1万トンを超えることになります。
しかし船体自体はすでに完成しており、写真のようなかなりのトップヘビーな艦影となりました。
当然重心バランスが悪く舷側にパルジを追加するなどの処置がとられましたが、それでも不十分なため
さらには重油タンクをパルジ内に設け安定を図りました。

龍驤はしばらく練習空母として使用されていた時期もありましたが、太平洋戦争開戦と共に戦闘に参加。
数々の開戦に参加しましたが、昭和17年の第2次ソロモン海戦にて米軍の艦載機の攻撃を受け沈没しました。

※データ
公試排水量:10,150t
全長:180.0m
全幅20.32m
武装: 40口径12.7㎝連装高角砲6基、13㎜4連装機銃6基、
航空機36機(艦上戦闘機12機 艦上攻撃機24機)+補用12機
最大速力:29.0kt

古写真・航空母艦 鳳翔

航空母艦 鳳翔
航空母艦 鳳翔は、日本海軍初の記念すべき航空母艦であり、世界的に見ても最初から空母として設計された
空母としては世界初の艦でもありました。

航空機の発明と発達により航空機の軍事運用が注目される中、
洋上の航空基地としての性格を持つ艦が構想されました。
すでにイギリスでは既存の艦を改装した航空母艦はありましたが、日本海軍は最初から空母として設計された
艦の建造を決定。大正8年浅野造船所にて起工。イギリス側の協力も得て大正11年に完成しました。
黎明期の航空母艦はまだ運用方法が手探り状態で、飛行甲板も先端は艦首に合わせた形をしており、
航空機燃料に至っては専用のタンクが装備されておらず、なんとドラム缶につめて艦内に保管するという
極めて危険な状態でした。
竣工当初は艦の右側にアイランド式艦橋がありその後の発展した空母と同じ艦形でしたが、
元々空母としては小型だった鳳翔にはその艦橋が航空機運用にとって障害となり、
大正13年の改装で撤去され、フルフラットの軽空母となりました。
この写真の鳳翔はアイランド艦橋を撤去されているので、大正13年以降の撮影とわかり、
また、先の記事の水上機母艦 神威の古写真と同じ時期に作られたものと思われることから
昭和9年以降の撮影ではと思われます。

鳳翔は第1次上海事変や日中戦争に参加し、太平洋戦争でもミッドウェー海戦にも参加はしましたが、
交戦はなくその後は内地にて練習用の空母として使用され終戦。昭和22年に解体されました。
鳳翔は日本海軍が所有した空母のうち唯一無傷で終戦を迎えた空母でした。

※データ(竣工時)

常備排水量:9,449t 
全長:166.0m
全幅:22.7m
武装:50口径14㎝単装砲4基、40口径8㎝単装高角砲2基、
航空機15機(艦上戦闘機6機 艦上攻撃機9機) 補助機6機
最大速力:25.0kt

古写真・水上機母艦 神威

水上機母艦 神威
水上機母艦 神威は、大正10年にニューヨークのシップビルジング社にて起工され、
わずか1年後の大正11年に完成しました。
当初は給油艦として建造され、昭和7年に水上機母艦に改装。昭和9年に正式に水上機母艦として艦種変更されました。
この写真には「水上機母艦 神威 検閲済 不許複製」の文字があるので、昭和9年以降の撮影と分かります。
水上機母艦とは、水上機を運用する艦のことで、甲板上で発着艦できる航空母艦とは違い、機体の発着艦は
水上で行い、それを回収して収容する艦でした。
そのため徐々に運用面において不便さが表れ、同じ水上機母艦であった千歳や千代田は後に軽空母へと
改装されています。
神威は昭和14年に飛行艇母艦へと改装。その後戦果を潜り抜け潜水艦や航空機の攻撃を受けるなどし
香港にて大破状態で終戦を迎え、解体されました。

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