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 2014年05月 

古絵葉書・須知小学校(4枚組)

須知小学校001
須知小学校は現在の京都府京丹波市須知地区にあった小学校で、
創立が明治6年。明治20年に須知小学校と改称されました。
この絵葉書は昭和10年10月5日に完成した新校舎を記念して作られたと思われるものです。
ちなみに、須知町役場の絵葉書にも昭和10年10月5日の完成したとあり、
町役場と小学校は同じ予算で同時に建設されたものではと思われます。
※関連記事・須知町役場
須知小学校は地元住民の手により建設し、地元の熱意によって完成しました。
デザインは良く見る地方の木造校舎ですが、建材は檜の上等な部材を惜しげもなく使用したと言われています。

今回、須知小学校の完成記念絵葉書と思われる古絵葉書は4枚入手しました。
残りの絵葉書は「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・須知町役場(現・京丹波町)

須知町役場001
現在、京丹波町須知地区にあった町役場の庁舎です。
旧須知町は明治34年に須知村が昇格して誕生しました。
その後戦後まで須知町として機能しましたが、昭和30年に近隣の村との合併により丹波町が成立。
そして平成17年に瑞穂町と和知町との合併により現在の京丹波町が誕生しました。

この絵葉書の役場は昭和10年10月5日に完成したと書かれています。
後に紹介する須知小学校の絵葉書も同日なので、一括して建築されたものでしょうか。
旧須知小学校の校舎は現存していますが、旧須知町役場は現在駐車場になっています。

関連記事・須知小学校

古絵葉書・不動貯金銀行金沢支店 新築記念絵葉書

不動貯金銀行金沢支店001
大正7年に完成した不動貯金銀行金沢支店の新築を記念して発行された絵葉書です。
不動貯金銀行は明治33年に設立された貯蓄銀行の1つで、昭和20年5月に他の貯蓄銀行と
合併して日本貯蓄銀行となり、戦後の昭和23年に協和銀行へと改称し、
現在は合併によりりそな銀行となっています。
不動貯金銀行金沢支店002
絵葉書の袋の裏面には挨拶文が書かれています。
新築記念絵葉書は3枚セットとなっております。
不動貯金銀行金沢支店003
外観。不動貯蓄銀行金沢支店は関根要太郎による設計です。
関根要太郎は明治22年に埼玉県で生まれ、現在の東京工業大学を卒業後、大正3年に不動貯金銀行の
店舗建築を手掛ける日本建築株式会社に入社。大正9年に弟と関根建築事務所を設立しましたが、
昭和の不景気のあおりで事務所を閉鎖。昭和6年に不動貯金銀行の専属建築家となりました。
この金沢支店の店舗は大正8年の完成なので、日本建築株式会社を去る直前の作品となります。
外壁は煉瓦タイル張りで角に三角破風の塔屋を設ける大正期らしいモダンなデザインです。
店舗の前は舗装等はされておらず道路はぬかるんでいる状態です。
造成が始まったばかりなのでしょうか。
不動貯金銀行金沢支店004
営業室。カウンターの腰回りの部分は木の彫刻等で飾られていますが、
カウンターの仕切りは装飾のないデザインです。
明治期の銀行ですとカウンターの仕切りの柵も凝ったデザインが施されていることが多く
この辺りも明治と大正の銀行の違いを感じさせます。
不動貯金銀行金沢支店005
2階の応接室と広間。
広間は支店会議に使われたものでしょうか。応接室はさすがに豪華な作りになっています。
右端の写真は店舗屋上から尾山神社山門を望んだもの。
尾山神社は明治6年に加賀藩の藩祖である前田利家を祀った神社で、
神門は明治11年に完成。重要文化財に指定されている建物です。
屋上からの写真のアングルと袋裏面により、不動貯金銀行金沢支店は尾山神社前に有ったことが分かります。
現在も「尾山神社前」という交差点がありますが、その交差点角にはホテルや駐車場となっており、
金沢支店の面影を見ることはできません。

古絵葉書・新舞鶴町役場(現・東舞鶴)

新舞鶴町役場001
現在の舞鶴市は主に城下町の西舞鶴と軍港の東舞鶴という異なる経緯の地区で
構成されています。
現在舞鶴市の中心的役割の東舞鶴地区は明治34年の舞鶴鎮守府開庁に伴い
成立した新しい街でした。
昭和13年に周辺の村落地区を編入し東舞鶴市が成立。
しかし、昭和18年に海軍からの要請により旧舞鶴市(現・西舞鶴地区)と対等合併。
現在の舞鶴市が成立しました。

この絵葉書は新舞鶴町役場と書かれており、昭和13年以前のものと分かります。
絵葉書の新舞鶴町役場は昭和10年に完成したもの。東舞鶴市制移行後も
市庁舎として使用されました。

新舞鶴町役場と一緒に取り上げられている旅館白糸は現在も営業されている
明治13年創業の老舗旅館です。

古絵葉書・京都 和田病院 痔疾科

和田病院001
「京都 痔疾科 和田病院」とだけ注釈のある絵葉書です。
昭和初期に流行したスクラッチタイルの外壁と円窓を持つモダニズムスタイルの病院です。
交差点の角に入口を設けるのも当時の流行ですね。
この和田病院ですが、絵葉書には詳細な所在地などが書かれておらず
どこにあったかは不明です。

ただ、ネットで検索してみますと、和田病院の前身ではと思われる病院がありました。
しかし、確証がありませんので現状では伏せておきます。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

古絵葉書・装甲巡洋艦 出雲

出雲002
装甲巡洋艦出雲は、明治33年イギリスのアームストロング社にて竣工した艦で、
日露戦争開戦後は蔚山沖海戦に参加。戦闘後に敵の生存者への救助行動を行い
国内外から称賛されました。
その後の日本海海戦にも参加。日本側の勝利に大きく貢献しました。
日露戦争後は第1次世界大戦中に派遣先のアメリカで沿岸警備を行ったり
日中戦争では第三艦隊旗艦として上海に派遣されたりもしました。
その後は練習艦として瀬戸内海にて使用され、昭和20年7月24日の呉軍港空襲にて
米軍の艦載機の攻撃を受けて転覆。終戦を迎えました。

昭和21年に米軍が撮影した呉軍港のカラーフィルム映像の中に
転覆した出雲の映像が遺されています。

※出雲は28:37から。他にも特殊潜航艇「蛟竜」・引き揚げ船として使用されている航空母艦「龍鳳」
駆逐艦「花月」・ 航空母艦「天城」・航空戦艦「伊勢」・航空戦艦「日向」・戦艦「榛名」・重巡「青葉」
が写されています。

戦後から68年。1隻の護衛艦が進水式を迎えました。
かつての日本海軍の正規空母である加賀よりも大きい空母型の護衛艦は
「いずも」と命名されました。
生まれ変わった「いずも」は再び日本の領海を守る任務に着きます。

※データ
排水量:(常)9,773t
全長:121.92m
全幅:20.91m

武装:
45口径20.3cm連装砲2基、40口径15.2cm単装砲14基、
40口径7.6cm単装砲12基、47mm単装砲8基、45cm魚雷発射管4基

古絵葉書・東京湾埋立株式会社埋立地平面図

東京湾埋立003
東京湾埋立株式会社は、現在の東亜建設工業で大正3年に浅野財閥の浅野総一郎によって
設立された鶴見埋築会社を起源とし、大正9年に改名された会社です。
東京湾に面する横浜市鶴見地区・神奈川県川崎市の湾側を埋め立て、
港湾機能を持つ工業地帯を造成するために設立された会社で、
この絵葉書の場所は大正3年より埋め立てが始まり昭和3年に完了した扇町地区です。
絵葉書の平面図を見ると、埋立地には鶴見臨港鉄道が走り、扇町駅が設置され、
日本鋼管会社(現・JFEスチール株式会社)・南満州鉄道会社・三菱商事会社・三井物産会社
住友合資会社・日本電力会社・東京電燈会社(現・東京電力)・ライジングサン石油会社(現・昭和シェル石油)
東京瓦斯会社(現・東京ガス)・日本石油会社(現・新日本石油)・紐育スタンダード石油(現・スタンダードオイル)
日清製粉会社・芝浦製作所(現・東芝)・沖電気会社(現・沖電気工業)・浅野造船所・旭硝子会社
千代田石油会社・鶴見木工会社など、まさに一大工業地帯でした。
無題
現在の扇町の地図(GoogleMapより引用)
埋め立て事業は戦後も行われ昭和38年に完結しました。そのため現在は周囲に埋立地がさらに広がってますが、
大正3年から昭和3年にかけて埋め立てられた区画はそのまま保たれています。
現在でも東芝や昭和シェル・JFEスチールが戦前からそのまま敷地を引き継いで使用しています。

古絵葉書・急設網艦 白鷹・厳島 伊号潜水艦

白鷹001
急設網艦とは領海内の港湾入り口や水道等において敵潜水艦の侵入を防ぐために
防潜網を設置する艦で、同時に機雷の設置も行う能力もある敷設艦です。
白鷹は昭和4年東京石川島造船所にて竣工。昭和19年に潜水艦シーライオンの雷撃により沈没しました。

下の1970トン伊号潜水艦は巡潜1型と思われます。
巡潜1型は伊1号から伊5号の型で、大正12年度艦艇補給計画により大正13年から昭和6年まで
建造されました。

古絵葉書・防護巡洋艦 宗谷

宗谷005
防護巡洋艦宗谷は元ロシア海軍の1 等防護巡洋艦ヴァリャーグで、
日露戦争の仁川沖海戦の際に自沈されたものを戦後に引き上げ鹵獲されたものでした。
その後練習艦として使用されましたが、第一次世界大戦時にロシアへ売却。
再び元の艦名のヴァリャーグとなり修理のためイギリスへ回航されましたが、
その後に政権を取ったソ連が修理代の支払いを拒否したため、そのまま廃棄されました。

宗谷という艦名はその後昭和15年にソ連から購入された特務艦宗谷に引き継がれ、
太平洋戦争を生き抜き、戦後は南極観測船に従事。
現在も船の科学館に保存されています。

データ
排水量:6,500t
全長:126.80m
全幅:15.85m
最大速力:23.0kt

武装
45口径15.2cm単装砲12基、40口径8cm単装砲10基、
47mm単装砲2基、45cm魚雷発射管4門

古絵葉書・京都市衛生試験所 

京都市衛生所001
京都市衛生試験所は大正9年に設立された施設で、大正15年に上京区の竹屋町通千本東入主税町に
新築移転しました。
この絵葉書はその新築の建物と思われます。
現在の京都市衛生環境研究所は京都市衛生試験所の後身です。
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