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 2014年07月 

古絵葉書・峰山町役場

峰山町役場001
現在の京丹後市である峰山町は明治22年の町制施行で成立。
その後、吸収合併を繰り返しましたが、平成16年の大合併により京丹後市となりました。
絵葉書には記念スタンプが押されており、大正14年の年号が入っています。
大正も末期の頃ですが、役場は明治期そのままの和風の建物ですね。

しかし、峰山町は昭和2年に発生した丹後大震災により甚大な被害を受け、それを教訓に
公共施設には鉄筋コンクリートの不燃建築が作られるようになりました。
現在も丹後震災記念館や旧峰山小学校といった戦前の鉄筋コンクリート建築が残されています。

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古絵葉書・福知山 水害の惨状3枚(明治40年水害か)

福知山水害の惨状001
京都府福知山市は街の中心を流れる由良川の氾濫により古来から水害の被害に悩まされてきました。
それは近代的な土木工事が行われるようになった明治以降も同じで、明治29年・明治40年・大正10年
そして、戦後の昭和28年・昭和34年・昭和36年にも大きな被害を受け、
平成に入っても市街地中心部では無いですが、平成16年の台風23号・平成25年の台風18号による増水で
住宅街が水没する被害を受けました。
この絵葉書はかつての福知山の市街地を襲った水害の惨状を伝えたものです。
年月日の記載がありませんが、絵葉書の様式から明治40年の水害を撮影したものと思われます。

まず1枚目は惇明小学校付近の水害の惨状を撮影したものです。
家屋の部材と思われる木材が散乱し、左には倒壊した家屋が写ります。
奥には惇明小学校の本館と校舎が写っていますが、石垣の上に建てられていたためか
被害を受けつつも建物は倒壊を免れています。
廃材を片づけている女性は近所の人でしょうか。子供も集まってきてますが、惇明小学校の生徒かもしれません。
学校の様子を見に来たのでしょうか。
福知山水害の惨状002
こちらは呉服町の惨状。左側にはひっくり返った家屋らしきものがあり原型を全く留めていません。
その奥には土蔵造の建物がありますが、こちらは建物が丈夫だったのか倒壊はしていません。
右手には「雑貨所 文成堂」と読める街灯が掲げられた商家がありますが、こちらは無事のようです。
やはり石垣の上に建てられていたのが幸いしたのでしょうか。
福知山水害の惨状003
内記町有馬宅の惨状。現在の内記5丁目と思われます。
ここにあった有馬氏の邸宅に流されてきた廃材が引っかかっていますが、屋敷自体は無事なようです。

明治40年の水害の被害は大きく、市街地は2階部分まで浸水し由良川にかかる音無瀬橋も流されましたが、
明治29年の水害を教訓にしていたため人的被害は明治29年ほどでは無かったと言われます。

この明治40年の水害に関してもう一つ所蔵している資料があります。
第20旅団2002
福知山第20旅団司令部の絵葉書の通信欄に書かれた文字ですが、その中に
「実は当地も大洪水にて死傷二百余、流出家屋二百、半壊家三百余惨憺たるものですよ。
僕の内は二階二尺以上も浸水致し教科書も皆濡れました。家族一同は連隊に避難し皆無事です。」
との記載があります。
明治40年の水害は被害は床上浸水1354戸、流失152戸、全壊123戸、半壊42戸に上りましたが、
福知山に駐屯していた歩兵第20連隊・工兵第10大隊の活動により死者は5名に抑えられていますので
この記載の死傷二百余は間違いではありますが、上記の水害の被害を写した絵葉書とともに
明治40年の水害の様子を生々しく伝える貴重な資料となっています。

古絵葉書・橋立大丸

橋立大丸001
京都府宮津市にある橋立大丸の絵葉書です。
絵葉書には「対橋楼経営」と書かれています。対橋楼は現在も宮津市にある老舗の旅館で
創業は明治元年。与謝野晶子も宿泊したことのある歴史ある旅館です。
その対橋楼が橋立大丸を経営していたようですが、現在対橋楼・橋立大丸双方のHPには
お互いのHPはリンクされていません。橋立大丸はある時期に対橋楼から独立したのでしょうか。
現在橋立大丸は「ドライブイン橋立大丸」として同じ場所で経営されています。
建物は絵葉書とは形が異なり建て替えられたのか改装されたのか分かりませんが、
1階はお土産売り場、2階3階は大食堂という作りは今も変わりません。
ちなみに「大丸」という名前がついてますが、大手百貨店の大丸とは関係はありません。
戦前から有名だった大丸にあやかって名付けられたものと思われます。

古絵葉書・栗田水上機基地

栗田水上機基地001
京都府宮津市の栗田湾にはかつて舞鶴海軍航空隊の水上機基地がありました。
舞鶴海軍航空隊は水上偵察機6機のみで編成された航空隊で、日本海側の防衛を担当しましたが、
大規模な航空隊を編成することはありませんでした。
水上機とは機体の下にフロートを持ち、海面上から発進・着水をする航空機です。
絵葉書に写る水上機は一四式水上偵察機で配備された6機のうちの2機と思われます。
また奥に海軍のものと思われる艦艇がいますが、詳細は分かりません。
水上機母艦かなとも思いましたが小さいですし。
栗田水上機基地は昭和10年に栗田村に建設を決定。測量が開始され同年起工。翌年完成しました。
水上機基地一帯には航空廠・兵舎・飛行場・桟橋が建設され、現在跡地は栗田漁港や関西電力エネルギー研究所
および京都府立海洋センターとして使用されていますが、現在も当時のコンクリート舗装や桟橋が残っているようです。

古絵葉書・峰山区裁判所

峰山区裁判所002
峰山区裁判所は現在の京都府京丹後市峰山町にあった裁判所で、現在の京丹後簡易裁判所の前身でもあります。
峰山町は明治22年に町制が施行されましたので、それ以降の設立でしょうか。
峰山区裁判所の建物は、戦前の地方の役所によく見られる木造の和風建築ですが、
門と塀は明治らしい煉瓦造りで裁判所としての威厳を保っています。

古絵葉書・潜水母艦 長鯨 迅鯨 大鯨

潜水母艦001
潜水母艦とは、泊地において潜水艦への補給を行う艦であり、潜水艦乗員の休息施設も備えていました。
現代も潜水艦救難艦としての機能を持つ潜水艦救難母艦が運用されています。
この絵葉書には長鯨・迅鯨・大鯨と書かれていますが、恐らく写真の艦は迅鯨型と思われます。
大鯨は同型艦がなく、後に航空母艦龍鳳に改装されました。
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