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 2014年10月 

古絵葉書・信濃丸

信濃丸001
信濃丸は明治33年に竣工した日本郵船の貨客船で、明治36年までシアトル航路の任務に就きました。
明治37年日露戦争が開戦すると、まずは陸軍に徴用され翌年に改めて海軍が徴用、
仮装巡洋艦として改装され、対馬海峡の哨戒任務にあたりました。
明治38年5月27日、五島列島付近の海域を哨戒中に対馬海峡を目指すロシアのバルチック艦隊を発見。
かの有名な「敵艦見ユ」の信号を発し連合艦隊に知らせました。
日露戦争後、再びシアトル航路に復帰し、大正12年には日本郵船の近海航路部門から独立した
近海郵船の所属となりました。さらに昭和4年には北進汽船へ昭和5年には日魯漁業(現・ニチロ)
昭和5年には太平洋漁業へと売却されサケマス漁の業務に就きました。
戦時中は輸送船として徴用され、水木しげる氏も乗船したようですが、当時すでにかなりの老朽化が進んでいたようです。
しかし、信濃丸は戦没することなく終戦を迎え昭和26年に解体されたので、日露戦争と太平洋戦争の2つの戦争を
生きのびた強運の船ということになります。
この信濃丸の絵葉書には近海郵船株式会社の文字がありますので、大正12年から昭和4年の間のものと分かります。
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古絵葉書・京都高等菊花女学校

菊花女学校001
かつて伏見にあった女学校です。
明治天皇の伏見桃山御陵のお膝元ということで、盛んに皇民化教育が行われていたということです。
戦後は廃校になりました。

古絵葉書・伏見 金城閣 (旧伏見城跡の料亭?)

伏見 金城閣001
絵葉書に「伏見 金城閣」とキャプションのある絵葉書です。消印には「42・9・27」とあり、
明治42年9月27日に出されたものであることが分かります。
絵葉書を見ますと小高い丘の上に楼閣風の3階建てらしき建物が建っています。
ネットで検索してみますと1件だけ金城閣に僅かながら触れているサイトがあり、
それによりますと、明治時代に二の丸にあった料亭と書かれています。
伏見城は江戸時代初期の元和9年に廃城となった後、伏見奉行所管轄地となり、一般の立ち入りが禁じられました。
明治期になり城跡一帯が開墾等の開発を受け、大正元年に明治天皇・昭憲皇太后の御陵である
伏見桃山陵が本丸跡に造られました。
つまり、明治期の間は一般の立ち入りが自由にできたようで、
その間に料亭などが出来てもおかしくは無いことになります。
この絵葉書の金城閣が伏見城二の丸跡にあった料亭ならば、明治期の伏見城跡の様子を知る資料となるのですが、
この金城閣の情報は上記以外全く分かりません。
何か情報のある方はご教授願います。
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