Monthly Archives

 2015年01月 

古写真・濃尾地震で倒壊した長良川鉄橋

濃尾地震で倒壊した長良川鉄橋001
濃尾地震の被害により倒壊した長良川鉄橋です。
長良川鉄橋はお雇い外国人ポナールの設計により、明治21年に完成した
当時国内最大級の鉄橋でしたが、わずか3年後に濃尾地震で倒壊。
この写真は明治24年の濃尾地震により倒壊した長良川鉄橋を撮影したものです。
倒壊した長良川鉄橋を撮影した写真はいくつか残されており、この写真はそのうちの1枚で、
様子を見に来たのか和装の男性2人と洋装で帽子とコウモリ傘を持った男性が
倒壊した鉄橋を眺めています。
この鉄橋の橋脚は鋳鉄製の鉄管橋脚でしたが、揺れによる強度不足なのか橋脚が折れ橋が落下。
そのあと煉瓦製の橋脚に変更されています。
濃尾地震は明治24年10月28に発生した巨大地震で、岐阜・愛知を中心に多大な被害を与えました。
死者7273人負傷者17175人家屋全壊142177棟を数える大被害で、名古屋城も大きな被害を受けました。
濃尾地震の与えた影響は被災地以外でも広まり、特に当時としては近代的な建物であった煉瓦造の洋館も
多く倒壊したため、当初3階建ての予定だった帝国京都博物館(現・京都国立博物館本館)の建物を
平屋建てに改めたほどでした。
スポンサーサイト

古絵葉書・滋賀銀行本店新築記念絵葉書(絵葉書3枚・建築概要付)

滋賀銀行本店1001
滋賀県を中心に展開する滋賀銀行の本店新築記念絵葉書です。
滋賀銀行は明治12年に国立銀行の一つであった第百三十三国立銀行を起源とし、
昭和8年に八幡銀行と合併。株式会社滋賀銀行が誕生しました。
この新築記念絵葉書の本店建物は昭和9年の1月10日に起工。同年10月17日に完成していますので、
合併そして滋賀銀行誕生に伴って新築されたのでしょう。
この新築記念絵葉書は、絵葉書3枚に加え建築概要・本店平面図が記された小冊子が付属しています。
以下、紹介していきます。
「続きを読む」からご覧ください。
続きを読む

古写真・京都舎密局

京都舎密局001
舎密局とは、明治初期に科学技術の研究や教育を目的として設立された公的機関で、
大阪と京都にありました。
この古写真の京都舎密局は明治3年に京都府によって設立されたもので、石鹸やガラスなどの工業製品の
製造・研究を行いました。京都舎密局には後に島津製作所を設立する島津源蔵も在籍していました。
京都舎密局は明治14年に勧業事業政策転換により廃止。その後は設立者の明石博高に払い下げられ
そのまま経営されましたが、明治17年には譲渡され京都倶楽部として使用された後
いづれかの時に建物は失われました。
この古写真は「西京名所風景」と書かれた古写真の38枚セットのうちの1つで、
台紙に「京都舎密局」と書かれていることから、明治3年から14年までに撮影されたものであるとわかります。
京都が東京に対して西の京「西京」と呼ばれていた時代のことです。

古絵葉書・大正4年の銀行横領犯の指名手配絵葉書

指名手配001
今回はいつもとは毛色の違う絵葉書を。
この絵葉書はちょうど100年前の大正4年(1915年)に兵庫県揖保郡にあった神岡銀行のお金を横領して
逃亡した犯人を記したいわば指名手配の絵葉書です。
書かれた内容によると、神岡銀行支店主任の○○(伏字)44歳が5月29日に銀行の金8万円を横領し
逃走したとあります。
さらに犯人を6月から7月の間に捕まえて引き渡したら200円、8月中なら100円の懸賞金を渡すと
述べています。
調べましたところ大正初期当時の1円は現在の2000円らしく、単純に計算しますと当時の200円で
現在の40万円になるわけですが、懸賞金としては安い気も。
まぁ当時の貨幣価値とか考えますと単純に現在の40万と同等かと言われれば違うともいえるでしょうけど。
となると、この犯人は横領した額8万円を同じように計算をしますと1億6000万円横領したことになり、
えらい額を持ち逃げしたものですねぇ。
現在でも指名手配犯をティッシュとかに印刷して配ったりするのを見かけたりしますが、
この絵葉書は銀行自身が印刷したようですね。
戦前までの絵葉書は今のような記念品としてだけでなく、報道的な役目を持っていたりしますので、
こういった指名手配犯を広く世に知らしめる役目をおった絵葉書があってもおかしくはありませんね。

※もう100年前の事件なのでする必要があるかどうかは分かりませんが、
一応該当者の写真に目線と氏名を黒塗りにいたしました。
<?php include_once("analyticstracking.php") ?>