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 2015年03月 

古絵葉書・京都市立高等女学校

京都市立高等女学校001
明治41年設立の女学校で現在の堀川高校です。
表の通信欄にこの女学校に通学していた当時の女学生の文面があります。
消印の文字は潰れて肝心の年は読めないのが残念ですが、
明治末期から大正期のものと思われます。
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古絵葉書・福知山 惇明尋常高等小学校

惇明尋常高等小学校001
福知山市にある惇明小学校は、福知山藩時代に藩校として設立された惇明館を起源とし、
明治6年に惇明小学校として開校したのが始まりです。
明治12年に新校舎が完成しましたが、明治29年の水害で倒壊。
明治36年に現在の場所に新校舎を建築しました。
1絵葉書に写る本館や校舎はその時のものと思われます。
明治40年に惇明尋常高等小学校と改称。
絵葉書には「惇明尋常高等小学校」とありますので、明治40年以降のもので、
絵葉書の様式から大正期までのものと思われます。
昭和12年、現存し国指定登録文化財に指定されている本館が完成。
そして今の惇明小学校へと至ります。
絵葉書に写る校舎は、左端が本館。中央奥が明治45年完成の東校舎。
中央に写る背の高い寄せ棟の小さな建物は奉安殿ではないでしょうか。
福知山水害の惨状001
こちらの絵葉書は以前紹介した明治29年の水害で被害を受けた初代惇明校の校舎。
この時は現在の場所とは違う内記2丁目にありました。
福知山ダンス
こちらは以前紹介した昭和10年代撮影と思われる惇明小学校の児童が校庭で踊る福知山ダンス。
右の校舎は昭和12年に建てられた本校舎でしょうか。

古絵葉書・福知山市街新町通り

福知山新町商店街001
戦前から戦後にかけて福知山市の繁華街として栄えた新町商店街の昭和10年代ごろと思われる絵葉書です。
昭和初期頃から流行ったスズラン灯が並び、通りの両側には商店が立ち並び賑わっている感じがします。
通りの右奥にある赤井本店は赤井百貨店。左の赤井分店は赤井陶器店として現在も営業しています。
新町商店街
以前紹介したほぼ同じ時期撮影と思われる新町商店街の別の場所の絵葉書。
福知山 新町商店街
同じく以前紹介したこちらもほぼ同じ時期撮影と思われる新町商店街の絵葉書。
奥に三つ丸百貨店と福知山銀行本店と思われる建物が写ってます。

新町商店街は戦前は福知山一の繁華街として賑わい、昭和30年代にはアーケードも作られました。
しかし、その後の自家用車の普及により徐々に衰退し、郊外型の店舗が増えたこともあり、
昭和50年代や60年代にはほぼシャッター通りと化していました。
さらに今に至っては店舗の建物自体も次々取り壊され、純然な住宅として建て直されている場所も増えており、
老朽化したアーケードと新町商店街の看板が当時栄えていた商店街の名残をとどめています。

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古写真・京都市中央職業紹介所(京都市政要覧 昭和4年刊より)

中央職業紹介所
京都市が大正14年に千本丸太町近くに開設した職業紹介所で、現在のハローワークに当たる施設です。
腰折れ屋根の中々しゃれた建物ですが、隣の平屋の建物に見覚えがありました。
silver.jpg
これは10年前くらいに撮影したもので、当時はシルバー人材センターとして使用されていましたが、
右奥の平屋の建物が中央職業紹介所の写真の建物で間違いないと思います。
2階建ての本館は失われていますが、その跡地に建てられた3階建てのビルも
昭和10年代のモダニズム建築の特徴を持っていますので、それまでの間に建て替えられたと思われます。
現在、これられ建物は両方とも失われているようです。

古写真・京都市 東福寺住宅 紫竹芝本住宅(京都市政要覧 昭和4年刊より)

東福寺・紫竹住宅
人口増加による住宅不足を解消するため、京都市が新たに造成した市営住宅街です。
昭和4年刊の京都市政要覧によると、京都市北区の紫竹芝本地区の住宅街は
女子師範学校跡地に昭和4年11月頃の竣工予定、
すでに完成している東福寺住宅街は大正11年5月下旬に竣工したとあります。
これらの住宅街はいわゆる高級住宅街ではなく、中流程度の人たちを対象にした住宅街です。
住宅の種類は、紫竹地区が甲住宅・乙住宅・丙住宅の3種、東福寺地区は甲と丙の2種の
住宅が用意されていました。
洋風建築と違い和風建築を採用しているのは、当時の中流以下の人たちにとっては
まだまだ洋風の生活になじみが薄かったからでしょうか。
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