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 2015年12月 

古絵葉書・京都市立第二商業学校 学友会プール築造以前ノ御土居堀

京都市第二商業学校 御土居001
京都市立第二商業学校は明治43年に西陣の地において設立された学校で、現在の京都市立北野中学校です。
学校建築の場所は竹やぶと泥沼が広がる荒地で途方に暮れたそうです。
その場所にかつて豊臣秀吉が京都防御のため洛中を囲むように築いた長大な土塁、御土居とその堀が残されており、
学校建設に当たって御土居を切り崩し敷地の用土に充てたとされます。
学校開設からしばらくは敷地内に崩されなかった御土居と堀の一部が残され旧状を留めていたようですが、
大正15年に府内初の大規模な競技用プールが残されていた御土居と堀を利用して作られ、堀はプールに御土居は観客席になり秀吉築造当時の面影は失われました。
この絵葉書はプール工事前の御土居と堀を撮影したもので、当初の姿を知る興味深い資料となります。
右側に御土居がありますが、堀側が削られたような形になっており、学校工事の際に土取りされた後だと思います。
堀は幅が広く築造当時は幅が10m ほどあったという記録を裏付ける姿をしています。この箇所の堀は自然の湧水があり、それによって常に水を湛えた堀だったようです。また、これは後世のものかもしれませんが、堀と御土居の間には木杭の護岸がされています。
現在残されている御土居は北野中学校敷地内の御土居を含め11ヶ所。うち、北野天満宮境内の御土居や鷹峰御土居史跡公園など国指定史跡に指定された御土居は9ヶ所。この北野中学校の御土居は史跡に指定されていません。プール工事によって大幅な改変がされ、オリジナルの形を大きく損ねたからでしょうか。
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古絵葉書・関東防空大演習の空襲防護の活況(8枚組)

関東防空大演習001
昭和8年8月11日に東京市(当時)を中心とした関東一円で開始された大規模都市防空演習を記念して発行された絵葉書セットです。
第1次大戦より使用された航空機は昭和に入り軍事としての有用性も考慮されるようになりそれに伴い都市への空爆の恐れも出てくるようになりました。そこで行われたのがこの防空大演習です。
都市防空演習は昭和3年に大阪市で行われたのが最初でそれを皮切りに各主要都市で行われるようになりました。
ただ、当時はまだ一般市民には空襲というものに対して危機感や認知度があまり無かったようでいまいち盛り上がりに欠けていたようです。
この絵葉書セットも民間業者による発行で、他にも何種類か別の業者によって発行されています。
当時は一種の行事と言うかイベントみたいな雰囲気があったのかもしれません。
以下、中身の8枚の絵葉書を紹介します。続きを読むからご覧ください。
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古絵葉書・長谷水力発電所

長谷水力発電所001
三菱鉱業により生野銀山用の発電所として明治34年に運用が開始された小規模な発電所です。
この絵葉書の宛名面に「44.11.11」の書き込みがあり、明治44年11月11日に絵葉書を入手した人により書き込まれたものと思われますが、宛名面が明治末期から大正初期の様式を持っているため、書き込みとほぼ同時期の撮影と思われます。
絵葉書に写る鉄橋は現在もそのままで、発電所も当初のものかは分かりませんがほぼ同規模の発電所建屋があり、現在も三菱マテリアルが所有していますが運用自体は休止状態のようです。

古絵葉書・生野鉱山本部

生野鉱山本部001
明治元年に日本初の官営鉱山となった生野銀山は明治22年に皇室財産へと移管されたあと、明治29年に三菱合資会社へと払い下げられました。この絵葉書は宛名面の切手貼りつけ部分に「44.11.11」の書き込みがあり、明治44年11月11日に入手した人が書きこんだものと思われますが、絵葉書自体も宛名面が明治末期から大正初期の様式を持っていますので、書き込みの年とほぼ同時期の撮影のものと思われます。
生野鉱山に関しては以前、明治16年から明治21年の間に撮影された生野鉱山局時代の古写真を紹介しています。
生野鉱山局遠景
背後の山や煙突、山の中腹にある煙突のある建物等を見比べると生野鉱山局の古写真よりも右側からの撮影であることが分かります。撮影から20年余り経った生野鉱山は一部変わっている箇所は見受けられるものの、ほぼ官営時代の姿を踏襲しているようです。
ただ、背後の山に関しては明治16年~明治21年の生野鉱山局時代より植生が戻ってきているように見えます。
20年の間に鉱害対策がなされたのでしょうか。

※関連記事・古写真・生野鉱山局(生野銀山)2枚(明治16年~明治21年撮影)

古絵葉書・小松電気株式会社三ツ瀬発電所竣工記念(附・苗代変電所 金平変電所)

三ツ瀬発電所001
三ツ瀬発電所は石川県白山市の大日川にあった水力発電所です。
完成当時の事業主は小松電気株式会社。明治43年開業の地元電力会社で、昭和16年に同じ地元電力会社であった日本海電気・高岡電灯・金沢電気軌道・越前電気・立山水力電気・大聖寺川水電・雄谷川電力・手取川水力電気・石川電気・出町電灯・石川電力の各社と合併し新たに北陸合同電気を設立するまで存在しました。
三ツ瀬発電所は大正7年に完成した発電所で、外観を見るに煉瓦造りの建屋だったことが分かります。
三ツ瀬発電所は昭和43年に完成した大日川ダム建設により廃止。後に三ツ瀬発電所跡地に大日川第1発電所が建設されました。
この絵葉書は三ツ瀬発電所の完成を記念して発行された絵葉書セットで手元にあるのは5枚ですが、当初は外袋もあり枚数ももう少しあったのかもしれません。
今回はその5枚を紹介します。残りの4枚は「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・有本本店新築記念

京都有本商店001
京都に本店を置く有本株式会社は明治6年創業昭和10年設立の服飾企業です。
明治26年に現在の本店のある三条通御幸町に移転。大正9年に3階建ての洋館の店舗を建て、
有本商店として営業しました。この絵葉書は新店舗の新築記念として発行された絵葉書で、
恐らく当初は数枚セットだったと思われます。
この洋館は昭和46年に建て替えられ、さらに平成元年に現在の本社ビルに建て替えられました。

古絵葉書・保津川乗船場

保津川乗船場001
現在でも観光名所として知られる保津川下りの明治後期から大正期頃と思われる乗船場の絵葉書です。
保津川下りは元々江戸時代初期の慶長11年に豪商・角倉了以によって開削され保津川の舟運が行われたことが始まりですが、
観光としての保津川下りは明治28年より行われました。
以後100年以上に渡って京都の代表的な観光として続いています。
保津川下りの乗船場は終点である嵐山の上流にある京都府亀岡市にあり、そこより乗船しますが、現在の乗船場もこの絵葉書の乗船場の位置と同じ場所にあります。
乗船場に至る橋はさすがに架け変えられていますが、絵葉書の橋もトラス橋という近代的な作りになっています。

古絵葉書・京都府測候所五十年記念絵葉書

京都府測候所五十年記念001
京都府測候所は明治13年、槇村知事の決定により京都御苑内に観象台として設置されたのが始まりです。
明治14年に京都府測候所と改称。大正2年に現在の京都地方気象台の場所に移転しました。
昭和32年、京都府の管轄から離れ運輸省の外局となり、京都地方気象台と改称しました。
この絵葉書は京都府測候所が開設されてから50年を記念して発行された絵葉書で、
開設から50年なので、設置された明治13年(1880)からと考えると、発行されたのは昭和5年(1930)でしょうか。

以下に中身の絵葉書を紹介します。「続きを読む」からご覧ください。
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古絵葉書・京都府師範学校附属小学校

京都師範学校付属小学校001
京都府師範学校附属小学校の校舎として昭和12年に建てられました。
設計は京都府営繕課の十河安雄。京都府立鴨沂高校や京都府立鳥羽高校など京都府の学校建築等を手がけた建築家です。
京都師範学校付属小学校002
この校舎は全体的に昭和初期頃に流行したスクラッチタイルを貼り、正面塔屋の屋根には和風の千鳥破風を設けた
いわゆる帝冠様式といえるデザインの建物で、4年前の昭和8年に完成した同じ帝冠様式の京都市美術館の建物とよく似たデザインとなっています。
現在は後身の京都教育大学附属小学校の校舎として使用されていますが、外観を含め当時のままで使用されているだけでなく、見た目もまるで最近の建物の様に綺麗で、いかにこの建物が大切に使用されているかがわかります。
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