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 2016年03月 

古写真・上川口尋常高等小学校(昭和11年版 天田郡志資料より)

上川口尋常高等小学校
天田郡志資料 昭和11年版より。
上川口尋常高等小学校は現在の福知山市立上川口小学校で、明治7年野花地区に廣運舎として開校したのが始まりで、明治35年に大呂分校、上小田小学校と合併し上川口村立上川口尋常高等小学校となりました。
大正15年に本館が新築。この写真の本館はその時のものだと思います。
この本館は昭和45年の本館改築により姿を消したものと思われます。

※関連記事 古書籍・天田郡志資料(上巻・下巻)昭和11年版
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古絵葉書・零式水上偵察機

零式水上偵察機001
零式水上偵察機は複葉機であった九四式水上偵察機の後継機として開発された偵察機で、川西航空機と愛知航空機が試作した十二試三座水上偵察機の正式採用版の機体です。乗員が3名であるため、零式三座水上偵察機とも呼ばれます。
昭和16年から本格的な運用が開始され、太平洋戦争開戦時には大型主力艦艇に搭載されるようになりました。
しかし、敵の迎撃戦闘機や対空の力が向上しフロート付きの水上機では運用が厳しくなってきたため、艦隊としての索敵任務は空母から発艦する艦上機の偵察機へと置き換わっていきましたが、艦上機を運用できない戦艦や巡洋艦では必要不可欠であり、終戦まで使用され続けました。

古絵葉書・京都搾乳畜産組合事務所

京都搾乳畜産組合001
乳製品の生産者組合である京都搾乳畜産組合の事務所です。
シンプルながらも中々洒落た洋館の事務所です。
宛名面の切手を貼る位置に「新築紀念 昭和9年」とあり、この事務所が昭和9年に完成したことが分かります。
恐らく当初は新築記念絵葉書として袋入りの数枚セットだったと思われます。
京都搾乳畜産組合の場所に関して調べましたが、見つかりませんでした。
ただ、昭和4年刊の京都市政要覧に山城搾乳畜産組合の記述があり、それによると上長者町通浄福寺町西入新柳馬場町五三二にあったとありますが、立命館大学の京都市明細図オーバーレイマップで確認しても見当たりませんでした。
昭和9年の新築時に事務所の場所を移転して組合名も変更した可能性があります。

古写真・白美館火災写真(昭和14年12月28日出火)

昭和14年白美館火災001
白美館という百貨店の火災状況を撮影した古写真です。
激しく燃え上がる百貨店の右隅に「ハクミ館」という看板があります。
百貨店は4階建てのように見え、もし地方都市のデパートであれば街の中心的な商業施設だったと思われます。
写真の下の方には駆け回る消防士の姿が写され、緊迫した状況を伝えています。
昭和14年白美館火災002
写真の裏には当時か書かれたと思われる書き込みがあります。
書き込みによると白美館の火災は昭和14年12月28日午前9時30分頃出火とあります。
歳末の大売り出しの時期での9時30分は、現在の一般的なデパート開店時間の10時と同じと考えるなら開店前の忙しい時間帯で、もしかしたら時期的に開店時間を早めていた可能性を考えると、その状況でこれだけの火災となると相当な被害が出ていたと思われますが、これだけの火災と書き込みのようなかなり詳細な情報があるにもかかわらず調べても白美館火災に触れた記事は見つかりませんでした。
ともあれ、戦前の火災被害の瞬間を記録した貴重な資料であることは間違いありません。
お心当たりのある方はご教授願います。

古写真・昭和尋常小学校(天田郡志資料 昭和11年版より)

昭和尋常小学校
昭和尋常小学校は現在の福知山市立昭和小学校で、昭和9年に現在の惇明小学校である惇明尋常小学校より分離して開校した小学校です。(ちなみに福知山市には大正小学校という名前の小学校もあります。)
写真は昭和11年版の天田郡志資料に収録されている昭和尋常小学校の校舎で、右手が本館、左手が体育館か講堂です。
昭和初期の建物らしく市内の明治期創立の他の小学校と違いモダンな洋館となっています。

古絵葉書・二式単座戦闘機 鍾馗

鍾馗001
二式単座戦闘機は「鍾馗」と呼ばれた旧帝国陸軍の戦闘機で、昭和15年に初飛行し昭和16年から運用され新開発の四式戦闘機「疾風」の開発により昭和19年末には生産が終了しますが、一式戦闘機「隼」とともに大戦中を通じて活躍した機体です。
この絵葉書は陸軍航空本部の協力を得て民間が発行したものと思われます。
キャプションに「西南太平洋〇〇基地にて新鋭戦闘機 鍾馗」とあります。
鍾馗002
編隊を組んで飛行する鍾馗。まぁこの絵葉書はコピペ的な修正がされているように思えます。
鍾馗は大戦末期は本土防衛の迎撃機として使用されましたが、米軍の評価では迎撃機としては優秀であったと評価しています。
鍾馗は献納機として隼とともに多く献納された陸軍機でもありました。また、絵葉書にも比較的よく使われていますが、以降の飛燕疾風の絵葉書をほとんど見かけないことから、国内的にこういったものを製作できる余裕があったのは鍾馗までなのかもしれません。もしくは軍機的なもので公開できたのは鍾馗までだったという可能性もあります。
この2枚目の絵葉書の鍾馗の尾翼には3本の白線が描かれており部隊マークのようですが、調べてもわかりませんでした。
近いのは飛行第73戦隊ですが、違うようですね。もしかするとダミーマークかもしれません。
鍾馗は最終的に1225機生産されましたが、完全な姿で現存している機体は1機もありません。

※関連記事 古絵葉書・二式単座戦闘機 鍾馗 (内外ゴム献納 愛国第2717号機)

古絵葉書・加島銀行京都支店(辰野・片岡建築事務所設計)

加島銀行京都支店001
加島銀行は、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン、白岡あさのモデルになっている広岡浅子が大阪の豪商である加島屋を母体に明治21年に開業しました。
本店は大阪。この京都支店は大正3年に辰野金吾・片岡安の設計で建築。いかにも辰野式らしい花崗岩の白帯のある煉瓦建築です。
加島銀行京都支店
それから7年後の大正10年にヴォーリズ建築事務所により古典様式の京都支店が建てられました。
辰野・片岡設計の支店からたった7年で何故建て替えられたのか疑問でしたが、ヴォーリズ設計の支店の右側に写っている道路が辰野・片岡設計の支店には写ってないことから、辰野片岡設計の支店は下京支店、ヴォーリズ設計の支店は四条大宮にあったという京都支店の可能性があります。
加島銀行は昭和恐慌のあおりを受けて倒産。京都の支店のうち下京支店は山口銀行に四条大宮の京都支店は野村銀行へと譲渡されました。
古地図
※クリックで大きくなります。
立命館大学の「京都市明細図オーバーレイマップ」の烏丸万寿寺通り上ルの位置に加島銀行の記載がありました。
立地的に辰野・片岡建築事務所設計の支店でしょうか。
ただし地図では所有は三井生命となっており、現在も跡地は三井生命京都支社となっております。
ちなみに、四条大宮の方はそれらしい記載はありませんでした。

※関連記事 加島銀行京都支店(ヴォーリズ建築事務所設計)

古写真・上六人部村役場(天田郡志資料・昭和11年版より)

上六人部村役場
「天田郡志資料」昭和11年版に収録されている上六人部村役場の写真です。
上六人部村は現在の京都府福知山市の上六人部地区にあった村役場です。
上六人部村は明治22年6月に設立。昭和30年に福知山市と合併しました。
天田郡志資料によれば上六人部村役場は三俣地区にあり村制施工より使用されてましたが、明治34年に改築。昭和3年5月に再改築とあります。
写真の上六人部村役場は昭和5年の再改築後の写真と思われます。
上六人部村規定
天田郡志資料には上六人部村の規定が収録されています。
上六人部村役場のあった場所ですが、現在の上六人部会館の位置だと思われます。
上六人部会館
※Google Mapのストリートビューより画像引用。
上六人部会館の場所を見ますと道路側に石垣があります。これは上六人部村役場の写真に写る石垣だと思われます。
上六人部村役場の名残を残す唯一の遺構となります。

古書籍・天田郡志資料(上巻・下巻)昭和11年版

天田郡志資料1
天田郡志資料 山口加米之助編・著 淑徳同窓会発行 昭和11年9月20日刊

天田郡志資料は現在の福知山市を中心とした旧天田郡の地誌で、現在の福知山淑徳高等学校の創立者、山口加米之助によって編纂された上巻・下巻の2冊からなる書籍です。
山口加米之助は上巻の序文に「隣の郡には立派な郡志が出来ているが、我が天田郡には未だ郡志を作成する企画がない。そこで、昭和の御大典の奉祝として郡志編纂を思い立った。淑徳会員から資金を集め各方面に協力を依頼して古文書などの借用を願い出たが、快諾者はいたもののほとんどが音沙汰なく5年経ったころに問い合わせたら逆に文句を言われる始末であったが何とか本を作成することができた。しかし、完全なものとは言えないので名前を郡志資料と変更した」と要約ですが書かれています。
ともあれ、昭和初期の時代にこれだけの郡志をまとめたのは物凄い熱意と努力で現在も郷土誌の基礎資料として書籍等に引用されていることを見ますと現在でも一級の郷土資料として通用する書籍と言えます。
天田郡志資料2
天田郡志資料は戦後も何度か復刻版として出版されています。
今回紹介する書籍は昭和11年発行のオリジナルのもので、貴重なものかと思います。
天田郡志資料4
天田郡志資料5
天田郡志資料の上巻は天田郡内の地理歴史を記したもので、山岳や河川の地形から神社仏閣・中世城郭・天田郡の通史・郡内の各村のデータ、当時の福知山町の官公庁や企業や学校などが詳細に記されています。
下巻はほぼ福知山藩と福知山城・藩校だった惇明館について記されています。
また上下巻とも市街地図等の折り込み地図が収録されています。
福知山町役場
天田郡志資料は建築系の資料ではなく郷土史の資料ですが、私の故郷の歴史を記した古書籍であるため、ぜひとも入手したいと願っていたものでした。今回入手を果たすことが出来ましたので紹介することにいたしました。
上巻の前半には数枚ですが、写真のような福知山町役場や村役場、尋常高等小学校の写真もあります。
後々、天田郡志資料に収録されているこれらの写真を個別に記事として取り上げたいと思っております。

10年目を迎えて。

当ブログ「まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室」が本日2016年3月4日で10年目を迎えました。
この10年目の記事で記事数は775となっております。
元々は私が訪問した近代建築を紹介したHP「まちかどの西洋館」(※現在休止中)内の「古写真・古絵葉書展示室」という1コーナーとして始めたのがきっかけでしたが、当時のHPのサーバー容量が50MBしかなく、今後増えていくであろう資料を収めていくにはとてもじゃないけど容量が足りないので、新たにブログを立ち上げそちらに分離独立させることにしました。

ブログへと移行して最初の記事は「古写真・福知山市修斉小学校」という記事です。
修斉小学校古写真
こちらは私の実家にあった古い写真で、祖父の弟の方が昭和8年に卒業した際のアルバムにあったもので、私の母校でもあった小学校です。
次の記事は「古写真・仙台陸軍教導学校」

仙台陸軍教導学校本館
祖父が陸軍時代に下士官となるため下士官養成学校である仙台陸軍教導学校へ入校した際のアルバムで、昭和15年のものです。
ブログ開始当初は元々のHPに掲載していた身内の資料などをブログに移行する作業がメインで、開設当日はほぼその資料で占められ、翌日から新しい資料を紹介し始めております。

この10年、多くのことがありました。
ブログ紹介サイトに取り上げられたり。
「大人のブログ探訪」
明治の建築物の修復作業に当ブログの資料を参考にしたいと大学教授から依頼が来たり。
辻紡績本館
※提供した辻紡績本館 現・日本写真印刷
上記を含めこの10年の間に大学・企業・自治体・テレビ番組・個人などさまざまな方から資料を使用したいと依頼が来て、多くの資料を提供し続けてきましたが、その中でもNHKの「ブラタモリ京都編」に提供し使用されたのは個人的にはうれしいものでした。
初代京都駅
※番組で使用された初代京都駅
また、京都市にある商業施設「COCON烏丸」のオープン10周年記念の企画で、元々の建物である丸紅京都支店の竣工記念本と新築記念絵葉書を企画会社に依頼され協力し、COCON烏丸内に大きなパネル展示をされ、来客者に好評を得たのも嬉しい出来事でした。
丸紅1

丸紅袋
※提供した丸紅京都支店の竣工記念本と竣工記念絵葉書セット
当ブログは私の個人的趣味で続けているものですが、微力ながら結果的に多くの方々に協力し役立つ結果になっていることは、当ブログを運営する大きな原動力ともなっております。

さて、この10年の間で家族として大きな出来事がありました。
祖父の他界です。
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祖父は大正4年生まれ。青年学校を卒業後、志願兵として陸軍に入隊。地元の歩兵第20連隊で上等兵まで進級した後、昭和15年に仙台の下士官養成学校である陸軍教導学校へ入校。卒業後に帰還。戦時中は敦賀の連隊にいたそうです。
最終部隊は本土決戦に備え敦賀から渥美半島の守備隊として送られた第153師団(護京部隊)の歩兵第441連隊。
そこで連隊本部付の陸軍曹長として事務方をしていたようですが、祖父が言うには441連隊の兵士は平時なら徴兵免除されるような乙種丙種の方ばかりの寄せ集めだったと言います。
祖父はその渥美半島の地で玉音放送を聞き終戦を迎えたそうです。
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子供のころから軍隊時代の話が好きだった私は祖父から当時の話をいろいろ聞きました。
戦車の車長として演習をしていた時の話や暗号の話。また軍隊の話だけでなく、地元に残る言い伝えや昔話も寝る前に何度も聞かされました。私の実家の村に伝わる昔話を知っているものはもう私だけかもしれません。
そして、子供のころから城が好きだった私は祖父の車で遠くではないですが近隣の城跡へも連れて行ってもらった思い出があります。
10年位前に祖父は脳梗塞で歩くのが困難となり、ほどなくして寝たきりに。
7年前の2009年1月2日。自宅の祖父母の部屋にて息を引き取りました。
正月ということもあり、家族や叔父たちも帰省して実家に来ていた中での自宅での他界。
これ以上ないくらいの理想的な幸せな死に方だったと思います。
日記1
祖父が他界してもう7年になりますが、実家には今でも祖父が軍隊時代に使用していた軍装品一式があり、私の手元には戦前当時の写真アルバム3冊と祖父が青年学校時代に書き残した昭和12年の日記、陸軍に入隊した間もないころの昭和14年の軍隊日記3冊が遺品として残されています。

この古写真・古絵葉書のブログを始めて10年。多くの資料を紹介し様々な人との交流がありました。
ブログとしては正直言って弱小の部類に入ります。カウンターの閲覧者数は1日平均50人前後。別ページに飛ぶたびにカウンターが回ることを考慮すると実際の閲覧者数は多くて20人弱でしょう。コメントはほぼありませんしブログ拍手すらめったに付かない。
それでもごくわずかでもブログが役に立ったという人、資料を使いたいという人がいる限りは続けていきたいですし、
私自身も主に郷土の資料を収集しそれを公開していきたいという昔からの望みを継続していくためできる限り当ブログを運営していきたいと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

管理人 べーさん
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