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 2016年04月 

古写真・戦前の海水浴(昭和初期か?)

戦前の海水浴001
戦前の海水浴の様子を撮影した古写真です。子供たちの集合写真であることから、学校の林間学校か遠足でしょうか。
女の子はワンピースの水着と水泳帽を被っていて今と変わりませんが、男の子は全員坊主頭で褌姿という今じゃ見られない姿ですね。
背後には海の家が建ち並び賑わっています。ブランコも設置してあり結構メジャーな海水浴場だったのかもしれません。
中央の海の家には「明治チョコレート」のでっかい看板が掲げられています。
明治ミルクチョコレートは明治製菓が大正15年より発売されているチョコレートで現在も発売されているロングセラー商品です。
明治ミルクチョコレートの販売時期を考えて撮影時期は昭和初期と思われます。
海の家には多くの看板が掲げられ、当時の商品の様子をうかがい知ることができます。
戦前の海水浴003
※クリックで拡大します。
「浪波楼食堂」と書かれた看板。1枚目の写真の奥に写る食堂と思われます。
検索しても判明しませんでしたので現在は無い食堂なのかもしれません。
戦前の海水浴005
※クリックで拡大します。
その浪波楼食堂の看板です。海の家でも規模の大きな店舗だったようです。
軽食ではなくしっかり食事できるメニューを取り揃えていたのでしょう。
戦前の海水浴004
※クリックで拡大します。
手前のテントに書かれた商品名。〇〇ンサイダーと読めますが、最初の2文字が不鮮明ですが、2文字目が「ワ」か「リ」と読めそうです。
それを頼りに戦前に発売されたサイダーを調べましたところ、佐賀県小城市の友桝飲料が昭和初期頃より販売していた「スワンサイダー」が1件見つかりました。このテントに書かれた商品名がスワンサイダーだとすると佐賀県内の海水浴場かと想定てきますが、確証がありませんので断定はできません。
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古写真・九州製紙株式会社(明治38年9月撮影)

九州製糸株式会社
※画像をクリックすると拡大します。
九州製紙株式会社は熊本県八代市坂本地区にあった明治36年に設立された製紙会社で、
現在の日本製紙の前身会社の一つでもあります。
(現在存在する九州製紙株式会社はこの明治期の九州製紙株式会社とは関わりはないようです。)
当初は明治31年に設立した肥後製紙株式会社でしたが、改称後の九州製紙株式会社が第1次大戦での好景気で業績を伸ばし、自前の発電所を建設するなど施設の拡充も図りました。しかし、大正15年に4社合併により樺太工業株式会社となり社名は消失しました。
その後、戦前戦後を通じて合併や吸収された会社の子会社など多くの変遷を経て、昭和42年に十條製紙株式会社(現・日本製紙)の子会社の西日本製紙株式会社として発足しましたが、昭和62年に親会社の十條製紙株式会社が西日本製紙株式会社の廃止を決定。100年にわたる坂本村の製紙工場は歴史の幕を閉じました。
この3枚につないだ古写真は明治38年に撮影された九州製紙株式会社時代のもので、油谷川沿いに工場の煉瓦の建物が建ち並び、恐らく村のランドマークにもなったであろう巨大な煉瓦の煙突が堂々とそびえています。
煉瓦の建物の前では休憩でしょうか4人が入口前で座っています。
右端の平屋棟には木材が積まれていますが、紙の原料でしょうか。
工場の左側には藁葺き屋根の農家っぽい民家も見えますが、社宅と思われる住宅も何軒かあります。
手前の住宅には日章旗が掲げられており、山の麓の石垣の上に建つ民家には人が集まっています。祝祭日だったのかもしれません。
山の斜面には水の流れる水路があります。右側には水圧鉄管らしきものもあり、恐らく工場内に発電所があったのでしょう。
九州製糸003
台紙の裏側には「明治三十八年九月吉日之写 九州(州の字は崩し字)製紙株式会社」の書き込みがあります。
左横に「坂倉清四郎務先」と鉛筆書きがあり、坂倉さんが勤務していた記念に撮影したか貰ったもののようです。
この九州製紙株式会社の坂本工場は現在完全に更地と化しており、写真に写る煉瓦の建物は全く残されていないようです。
旧九州製紙株式会社坂本工場の現状については「九州ヘリテージ」さんのHPにレポが紹介されております。
また、当記事を書くにあたって参考にさせていただきました。
 

古写真・篠ノ井警察署(明治後期頃撮影か)

篠ノ井警察署001
名刺大の鶏卵紙にプリントされた篠ノ井警察署の古写真です。
篠ノ井警察署は長野市篠ノ井にあった警察署で、昭和47年に松代警察署と統合して現在の長野南警察署となりました。
古写真を見ると、いかにも明治期らしいファザードにベランダを持つ木造の擬洋風建築にも見える洋館です。
篠ノ井警察署002
台紙裏には「篠ノ井警察署写真」と書かれています。
かつての篠ノ井警察署については詳細は分かりませんでしたが、現在同じ篠ノ井に移築されている明治26年築の旧池田警察署と同時期頃の建設ではないかと思われます。

古写真・三菱重工業の工場で量産される戦車(九七式中戦車改・新砲塔チハか?)

九七式中戦車新砲塔001
昭和19年1月23日の読売ニュース焼付版の写真です。
三菱重工業〇〇(伏字)工場で量産される戦車です。
窓側のラインで戦車の車体、左側でエンジンを生産しているようです。
リベット位置等々から九七式中戦車改・新砲塔チハかと思いますがいかがでしょう。
新砲塔チハは強力な戦車砲を持つ連合国側の戦車に対抗するため従来の砲塔に代わり一式47mm速射砲を搭載したもので、大戦中を通じて生産されましたが、それでも連合国の戦車に対抗出来うる十分な能力は発揮できませんでした。

古写真・二式高等練習機(第26教育飛行隊所属機)

二式高等練習機001
二式高等練習機は陸軍が開発した練習機で、それまで旧式化した九七式戦闘機を練習機として当てていましたが、練習機として使用するには色々と不具合があったため、新たに開発されたのがこの機体です。
満州飛行機にて生産され、昭和17年から正式採用されました。
性能は良好で練習機としてだけでなく、迎撃機としても使用され特攻機にも使われました。
この古写真は昭和19年9月27日の読売ニュース焼付版のもので、旧満州にあった第26教育飛行隊所属機です。
尾翼に部隊マークが描かれています。
この写真は有名のようで、現在発売されている二式高等練習機のプラモデルのパッケージのイラストにも使用され、
機体の側に写る白シャツの整備員らしき2名もそのまま描かれています。

古写真・昭和初期頃の函館港、函館市街写真3枚

函館港001
戦前の函館を撮影した写真3枚です。
写真の端にはそれぞれの場所と「津軽要塞司令部許可済」というキャプションがあります。
津軽要塞司令部は昭和2年に函館要塞司令部から改称されたもので、そのことからこれらの写真は昭和2年以降の撮影であことが分かります。
1枚目は函館港の写真。手前の塔屋のある洋館は函館税関でしょうか。
港には多くの船舶が停泊していますね。
函館市恵比寿銀座通り001
恵比寿銀座通。左奥に見える3階建てのビルは旧目貫商店。
大正10年築の商店で、現存している建物です。
コンクリート建築の旧目貫商店は大正10年に起きた函館大火の教訓として耐火性と防火対策を目的として建てられました。
函館市末広町001
末広町。左側中央の時計台のビルは旧森屋百貨店。大正14年に建てられた商店で、昭和5年に海側に7階建ての新館が建てられたようですが、写真には見当たらないので新館建築前でしょうか。
旧森屋商店の建物は2001年に解体。現在は旧森屋商店を模したウイニングホテルが建てられています。
旧森屋商店の手前にある建物は旧金森回生堂。旧森屋商店と同じ大正14年に建てられた建物で、現在は高田印刷として現存しています。
写真の撮影時期ですが、昭和2年から旧森屋商店の新館が建てられる昭和5年の間でしょうか。
函館市街は昭和9年に再び大火の被害にあうことになります。
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