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 2016年07月 

冊子・洛東アパート(光華寮)

洛東アパート001
洛東アパートは昭和6年に京都大学の敷地の東に建設されたアパートで、設計は土浦稲城。戦前・戦後のモダニズム建築の作品を多く手掛けた土浦亀城の実弟に当たります。
デザインは昭和戦前期より流行したモダニズム建築で、外観に装飾がないすっきりとしたデザインとなっています。
このパンフレットは、発行年は書かれてませんが、完成間もないころに発行されたものと思われ、表面には洛東アパートを紹介する文章と外観写真および室内のパース図。裏面は各階の平面図が書かれています。
洛東アパート2
※クリックで拡大します。
表面の内容。洛東アパートはアパートでありながら1階にはホテルの機能も備えていたようです。
洛東アパート3
※クリックで拡大します。
裏面の各階平面図。
1階には大食堂やホテル機能があり、地下には厨房や理髪店など割と中流以上を対象としたアパートだったのかもしれません。

洛東アパートは昭和19年、日本政府により日本国内各地の大学にいる留学生に対し「留学生教育非常措置」に基づいて京都大学で集合教育を実施。昭和20年に洛東アパートを中国からの留学生の寮とするため「光華寮」という名称に変更し使用を開始。
この時期に所有権が移ったのでしょうか。
終戦後、留学生の集合教育は廃止され、京都大学は光華寮の管理を終了しました。
昭和25年に中華民国駐日大使館が光華寮を購入。しかし、所有権をめぐって日中間の外交問題にまで発展した「光華寮訴訟」が起きました。
旧光華寮
現在の洛東アパート。住人はおらずかなりの老朽化が目立ち窓ガラスも割れたままで周りは侵入防止のフェンスで覆われていますが、未だ京都華僑総会が所有しているため、取り壊せず廃墟化した形で放置されています。
京都アパート3
京都市内には同じ昭和6年に建設されたアパート建築が現存しています。
洛東アパートにやや近い場所にある現在京都府警の青雲寮として利用されている旧京都アパートで、
洛東アパートとともに貴重な戦前京都のアパート建築です。
設計は別の人ですが、デザインはもちろんプランもどことなく洛東アパートと似通ってます。

※関連記事 古絵葉書・京都アパート
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古絵葉書・鉄道軒 福知山本店

鉄道軒福知山本店001
明治43年8月25日に開催された舞鶴線全通開業を祝う博覧会のものと思われる絵葉書です。
左上に記念スタンプが押されています。
この絵葉書は「鉄道軒」という店の前で、記念賞をつけた来賓や福知山歩兵20連隊の幹部と思われる高級陸軍将校や舞鶴鎮守府幹部と思われる海軍参謀たちが集まっています。
屋根の看板には「鉄道軒 福知山本店」とあり、福知山市内で営業をしていた鉄道軒という飲食店が会場内に出店したものと思われますが、鉄道軒という店舗は調べても出てこず、一切不明となっています。

※関連記事 古絵葉書・舞鶴線全通記念 福知山式場(旧福知山南口駅か)

古絵葉書・舞鶴・軍艦吾妻の軍艦旗掲揚式

吾妻艦上001
舞鶴軍港に係留された軍艦吾妻での軍艦旗掲揚式です。
吾妻は明治33年に完成した装甲巡洋艦で、日露戦争にて活躍しましたが、日露戦争後は少尉候補生の練習艦として利用。
大正10年から舞鶴にて海軍機関学校の練習艦として利用され、舞鶴海軍桟橋に昭和19年まで係留されました。
23年もの長きに渡って舞鶴に係留され続けたためか、舞鶴の観光名所のような形になっていたようで、艦内は展示室もあり海軍関係の資料が展示され一般公開もされていたようです。
この絵葉書は旧制中学の生徒が船務実習をしている様子を写したものです。
岸壁側に木造の大型建物があります。手前に海へ降りるスロープがあるのでボートなどの小型船舶を格納していた建物だと思われます。
これとよく似た旧海軍時代の木造建築がいくつか残されています。
P1050373.jpg
赤れんがパークの対岸にある現在、海上自衛隊舞鶴造修補給所工作部として利用されている建物。
旧海軍時代の建物で、絵葉書の建物とは違いますが、造りはよく似ています。
他にもかつての舞鶴海兵団であった海上自衛隊舞鶴教育隊の敷地内にも残されています。

※関連記事・古写真・舞鶴港の軍艦(装甲巡洋艦・吾妻)

古書籍・すぐ役立つ小住宅設計図集

小住宅設計図集1
渡邉静 著 興亜書房 発行 昭和15年刊
小住宅設計図集2
中流家庭向けの住宅を図面や写真とともに建坪ごとに建築例を紹介しています。
小住宅設計図集3
紹介されている住宅は洋風建築が主となっています。
小住宅設計図集4
小住宅設計図集6
小住宅というタイトルですが、巻末近くに紹介されている住宅は現代の我々からするととても小住宅とはいいがたい豪邸になってますね。

古絵葉書・財団法人京都共済会第六社会館

京都共済会001
京都共済会とは孤児・浮浪者・失業者などの生活困窮者を救済する目的で設立された団体で、大正9年に京都府知事を会長として発足したのが始まりです。京都共済会の活動内容は隣保事業・生活資金貸付・保育・共同住宅・職業指導・救護所など市民の福祉に関する多岐にわたる事業を担いました。
戦後も事業はそのまま引き継がれ、現在は「社会福祉法人 京都社会事業財団」として活動しています。
この絵葉書は第六社会館と呼ばれている建物で、恐らく託児所として使用された建物かと思われます。
京都共済会002
第六社会館内部。和室を基本とした内装になっています。

古絵葉書・大日本国防婦人会関西本部会館

大日本国防婦人会関西本部会館001
大日本国防婦人会とは昭和7年から昭和17年まで存在した婦人団体で、戦地に出征した兵士を支援するため慰問袋を作成したり出征する兵士の見送りなど銃後と言われた内地からの支援活動を行った団体です。
大日本国防婦人会の始まりは昭和7年の上海事変勃発の際、大阪の主婦たちが自主的に出征兵士に対してお茶などを振る舞ったのが始まりで、当初は軍とは関係ない「大阪国防婦人会」という民間団体でした。
後に軍が支援をして「大日本国防婦人会」となり、全国に拡大しました。
国防婦人会と言えば戦前戦中の写真でも良く見られる白い割烹着に「大日本国防婦人会」と書かれた襷が良く知られていますが、これが大日本国防婦人会の会服でした。
しかし、戦争が激しくなるにつれ、女性の国民服はモンペへと変わってゆき、時局に合わせて大日本国防婦人会も大日本婦人会へと変わりました。
この建物は大日本国防婦人会の関西本部だった建物で、昭和12年の完成。昭和10年代の建物らしく装飾を廃した機能主義のすっきりとした建物です。
戦後は一時期米軍が接収したあと大阪府婦人会館として利用され、1994年からは大阪府警察本部上町別館となり近年まで利用されましたが、2014年に解体され姿を消しました。
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