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 2016年08月 

古絵葉書・絹糸紡績株式会社

絹糸紡績株式会社001
京都市上京区にあった紡績工場です。操業は明治23年。明治10年に群馬県高崎市に創業した旧官営新町屑糸紡績所(現存・国指定重要文化財)をモデルに設立され、屑糸や屑繭を再利用し紡績糸に再利用するための工場でした。
絵葉書の工場の写真には赤煉瓦の工場棟やコロニアル様式の事務所。和風の造りの倉庫などが建ち並び、いかにも明治の工場といった雰囲気です。
絹糸紡績株式会社は明治41年出版の京都府写真帖によれば京都市上京東竹屋町にあったとされ、この絵葉書の宛名面にも差出人の住所に京都市上京絹糸紡績社宅内(明治42年12月31日消印)とあります。
無題
立命館大学京都市明細オーバーレイマップより引用。クリックで拡大します。
上京となっていますが、現在の左京区で丸太町東大路西にありました。オーバレイマップには絹糸紡績株式会社の文字は無く、鐘ヶ淵紡績株式会社の名前がありさらにそれが消されて日国工業の名前に変えられています。
昭和初期までに所有が変わったようですね。
現在、絹糸紡績株式会社の敷地は京都大学熊野寮として使用されています。
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古絵葉書・広島市 御幸橋

広島・御幸橋001
広島市にある御幸橋は京橋川に架かる橋です。
絵葉書の橋は昭和6年に架けられた橋で広島市内で初めて市電の軌道が通る橋でした。
昭和20年8月6日の原爆投下により絵葉書に写る橋の欄干は爆風で落下する被害を受けますが、橋自体は落橋を免れたため、爆心地方面で被害を受けた被災者が市外へ避難するための重要な役割を果たしました。
この御幸橋で撮影された有名な写真が2枚あります。
中国新聞に勤務していたカメラマン松重美人が原爆投下3時間後にこの橋で撮影したもので、原爆投下当日の広島市街地中心部を撮影した唯一といっていい写真です。
御幸橋西詰辺りで撮影された2枚の写真は重篤な火傷を負いながら爆心地から避難してきた多くの被災者をとらえており、松重自身もあまりに悲惨な状況で2枚目以降は撮影できなかったと語っています。
この写真には現在も奇跡的にご存命の方が3名おられ(記事作成時点)、うち2名の方による現地での証言と写真の解析、専門家の鑑定を元に当日の様子がCGで再現されそれをもとにNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」が放送されました。
※公式サイト
私も拝見しましたが、2枚の写真からでは伝えきれない当時の地獄のような悲惨な光景がありありと再現されていました。
現在、この絵葉書の橋は老朽化により架け替えられましたが、写真にも写る親柱やアーチの欄干は保存され、写真の撮影された西詰には松重美人の撮影した写真のモニュメントが置かれています。

※関連記事・広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)  広島市猿猴橋

古絵葉書・海軍省と誤植の初代帝国ホテル

初代帝国ホテル(海軍省の誤植)001
明治時代の手彩色絵葉書です。キャプションに「THE DEPARTMENT OF THE NAVY 海軍省」とありますが、絵葉書の建物は海軍省ではなく初代帝国ホテルです。
海軍省はにジョサイア・コンドルが設計し明治27年に完成した赤煉瓦の庁舎として知られている建物ですが、最初この絵葉書を見たとき有名な海軍省の庁舎とは似ても似つかない姿。築地にあった初代庁舎かとも思いましたが、そちらは擬洋風建築でそれこそ全く別物。しばらく悩みましたが、何となく見覚えのある建物なので記憶を頼りに調べたら初代帝国ホテルの建物と判明。
つまり、キャプションの「海軍省」は誤植だったわけです。すっかり騙されてしまいましたが(笑)最初から知っていればすぐに気づいていたでしょうね。
それにしても堂々と誤植したまま出回ったこの絵葉書。今なら回収対象というか発売される前に校正で気付くはずの誤植なわけですが、ある意味おおらかな明治時代。気付かず見落としてなのか別にいいかなのか誤植のまま出回ったみたいです。
今回は私の知識不足で騙され悩む羽目になった一枚ですが、まぁ珍品だと考えればこれはこれでいいかなと思いました(笑)

冊子・福知山市鳥瞰図(吉田初三郎・昭和13年)

福知山市街図002
昭和13年に市政開始から1年後の昭和13年に福知山市が発行した福知山市案内の小冊子で、
表紙と中に収められている福知山市鳥瞰図は吉田初三郎の作画となっています。
これは表紙。福知山城跡と昭和6年に完成した5代目音無瀬橋。その奥には烏ヶ岳と思われる山が見えます。
右上に吉田初三郎の署名があります。
福知山市鳥瞰図リサイズ
※画像をクリックすると拡大します。
中に収められている福知山市鳥瞰図。
吉田初三郎の鳥瞰図は大きなデフォルメを特徴としたもので、この鳥瞰図にもありますが、福知山市からは本来望むことが不可能な富士山や天橋立、さらには朝鮮半島までも描かれているのが特徴です。
鳥瞰図はおそらく昭和13年の数年前までの福知山市街を描いたものと思われ、記されている銀行や工場や学校・官公庁の様子をうかがうことができます。
福知山鳥瞰図拡大1
市役所周辺。戦前までは市役所の周りには連隊区司令部や憲兵分隊、背後の伯耆丸台地には福知山陸軍衛戍病院がありました。描かれている陸軍病院下の石垣は現在もそのままです。憲兵分隊の建物は現在同じ場所に絵と似たような建物が残されていますが、憲兵分隊の建物であったかどうかは不明。
福知山鳥瞰図拡大2
南岡の歩兵第20連隊の部分。現在の陸上自衛隊第7普通科連隊駐屯地。20連隊の兵舎の配置は割と適当のような感じに見えます。左側の陸軍墓地は現在も平和墓地と名を変えて現存していますが、忠魂碑や各墓標の位置など正確に描かれています。
大正期の宇垣軍縮までは20連隊の敷地に第20旅団司令部があり、陸軍墓地の南側には工兵第10大隊がありました。
福知山鳥瞰図拡大3
福知山城跡の部分。昭和61年に天守閣が復元されるまでは天守台に唯一残された銅門番所が移築されてました。描かれている石垣や銅門番所・朝暉神社・本丸石垣下の神社や石碑など戦前当時の福知山城跡の姿がかなり正確に描かれています。
福知山鳥瞰図拡大4
御霊神社と郡是製糸福知山工場の部分。描かれている昭和6年築の郡是製糸の事務所は現在もそのまま残されています。
御霊神社の迎賓館は現在長安寺公園に移築されています。両丹銀行本町支店は現在、桐村眼科として使用され現存。
銀行に関しては両丹銀行と百三十七銀行が目立ちます。両丹銀行は昭和11年に何鹿銀行・治久銀行・高木銀行・福知山銀行が合併して設立された銀行で、両丹銀行新町支店となっている銀行は近年まで残っていた元福知山銀行本店でした。
福知山鳥瞰図拡大6
両丹銀行新町支店の向かいに注釈はありませんが大きなビルが描かれています。これは旧三ツ丸百貨店で、現在ぽっぽランドとして使用されている建物です。
福知山鳥瞰図拡大5
福知山駅の部分。現在の駅舎になる前までは運輸事務所の建物もあった記憶があります。
駅前の百三十七銀行の建物は近年の再開発までそれっぽい古いビルが残っていました。
鐘淵紡績福知山工場の敷地は今もクラシエのカネボウフーズの工場があります。
福知山鳥瞰図拡大7
郡是製糸福知山工場の右手に福知山西駅という駅があります。これはかつて存在した北丹鉄道の駅舎で、大江町の河守駅から由良川沿いを走り福知山駅に繋がっていました。
北丹鉄道は昭和49年に廃線となりましたが、現在もトンネルや橋脚が残されています。
吉田初三郎の鳥瞰図は各建物が簡略化されて描かれていますが、建物の形や特徴はしっかりと捉えられており、福知山城跡の石垣も形は正確で実際に現地で取材して描いたといわれる吉田初三郎のこだわりを感じます。
裏面には福知山市の観光名所を紹介した写真付き解説が書かれています。
鉄道旅行案内1
吉田初三郎は大正から昭和にかけて日本中の市街地や観光地の鳥瞰図を数多く手掛け、当時は「大正広重」と称され人気を博した絵師で、近年再評価されつつある人物です。
鉄道省から依頼され作成した大正13年刊「鉄道旅行案内」は吉田初三郎の代表作で、全国の都市や観光名所の鳥瞰図を多数収録した書籍です。小さめの本に収録されたものなので、パンフレットの鳥瞰図より簡略化されていますが、それでもこの本を読んでますと日本中を旅した気分にさせられます。

福知山市街を描いた吉田初三郎の作品はネットで調べたところ昭和29年のものがあるようですが、それ以外は見当たらず京都府立総合資料館の所蔵リストにもありませんでした。
この福知山市鳥瞰図は市政1周年を記念して吉田初三郎に作画を依頼したと推定されますが、同資料を所有する他機関等が見当たらない今、作成の経緯等は分かりません。
戦前の昭和期の福知山市街を知る資料として、戦前の福知山市を描いた吉田初三郎の作品としてそれなりに貴重な資料と私は思いますがいかがでしょうか。

※関連記事
冊子・北丹鉄道沿線名所図会(吉田初三郎 大正13年)
冊子・宮津橋立名所図会(吉田初三郎 大正13年

古写真・奈良県添上郡第一発電所

奈良県添上郡第一発電所001
台紙の裏に「奈良県添上郡第一発電所」の墨書のある写真です。
撮影時期は明治後期から大正期にかけてと思われます。
添上郡は明治13年に発足した郡で、戦後に合併で奈良市と天理市に編入。
2005年に添上郡最後の自治体だった月ヶ瀬村が奈良市に編入され、添上郡は消滅しました。
この第一発電所と明記のある発電所は添上郡内にあったようですが、具体的な場所は探してもわかりませんでした。
日本の水力発電所を取り上げた「水力ドットコム」様によると、奈良県での最初の水力発電所は明治45年創業の迫発電所、大正期では大正9年の室生発電所、大正10年の白川発電所、大正12年の樫尾発電所がありますが、どれも添上郡内ではないため、この第一発電所は今ではほぼ忘れられた村内のみで稼業していた発電所なのかもしれません。情報をお持ちの方からのご教授をお待ちしております。
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