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 2017年01月 

古絵葉書・郡是製糸株式会社萩原工場

郡是製糸株式会社萩原工場001
福知山市上六人部萩原にかつて製糸工場がありました。明治30年、共進製糸合資会社が設立。萩原に製糸工場が造られました。しかし、前年に綾部市で設立した郡是製糸株式会社が業績を拡大する一方、共進製糸合資会社は業績が伸び悩み明治42年に郡是製糸株式会社に売却を決定。萩原工場は郡是製糸株式会社萩原工場となりました。
以後、戦前を通じて製糸工場として稼働を続けましたが昭和38年に工場は閉鎖。工場施設は全て取り壊され跡地は現在物流センターの敷地となり、現在は郡是製糸萩原工場跡の説明版と石碑が近くに残されているのみです。
この絵葉書は昭和10年代頃と思われる郡是製糸株式会社萩原工場を空撮したものです。

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古絵葉書・郡是製糸株式会社福知山工場

郡是製糸株式会社福知山工場001
京都府綾部市で創立した郡是製糸株式会社(現・グンゼ)は次第に業績を拡大し京都府下を中心に製糸工場を新設及び既存の別会社の工場を買収していきました。
大正7年、福知山製糸株式会社が福知山市中ノに工場を設立。しかし、わずか2年後の大正9年に郡是製糸に吸収・合併され郡是製糸株式会社福知山工場となりました。
郡是製糸株式会社は合併した旧福知山製糸の工場に新たに事務所等を建設。施設の充実を図っていきました。
この絵葉書には昭和4年完成の事務所の建物が写っており、撮影はそれ以降のものであることが分かります。
fgunze1.jpg
郡是製糸株式会社福知山工場は現在、グンゼ福知山配送センターとなり製糸工場としての稼働はされていませんが、絵葉書にも写る昭和4年築の事務所棟・木造建物・繭倉庫・女子寮などが現存し、福知山市内及び北近畿での近代化遺産として貴重な存在となっています。

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古絵葉書・京都府立須知農林学校 女子部新設養蚕室落成記念

京都府立須知農林学校001
京都府立須知農林学校は明治6年設立の京都府農牧学校を始まりとする農業学校で、現在の京都府立須知高校の前身でもあります。この絵葉書は新設された女子部と養蚕室の落成を記念して製作された絵葉書セットです。
京都府立須知農林学校002
須知農林学校の正門と校舎。左手前に奉安殿が見えます。大正7年、京都府立種畜場廃止により敷地建物を無償で譲り受け船井郡立実業学校が設立。大正12年に須知農学校と改称しさらには昭和7年に併設された林業科に伴い須知農林学校へと改称されました。
京都府立須知農林学校003
キャプションがなく不明ですが、この建物が女子部及び養蚕室の建物と思われます。
女子部は昭和16年に設立されましたので、この絵葉書もその頃に発行されたものでしょう。
現在外袋に入ってるのは2枚のみですが、もしかしたら本来は内部の絵葉書が2~3枚と建築概要を記したものが入っていたのかもしれません。

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古絵葉書・宇治川電気株式会社大阪事務所

宇治川電気株式会社001
宇治川電気株式会社は戦前の関西地区において存在した電力会社で、戦前の大手五大電力会社の1つでした。
宇治川電気は明治39年に京都にて設立。現在の宇治市に宇治水力発電所(現存・関西電力所有)を完成させるとそこで発電された電力をもとに京阪地区への電力供給を開始しました。
太平洋戦争開戦以前の京都府内には、琵琶湖疏水を利用した発電所(蹴上・夷川・墨染)を所有する京都市、京都府内一円の発電所を所有する京都電燈株式会社、そして宇治川電気株式会社の3社が競合し、結局潰し合いを防ぐため供給地域の分担が行われました。
昭和17年、国家総動員法により解散。発電所や社屋等の施設は新たに設立した関西配電の所有となり、戦後現在の関西電力となりました。
絵葉書は大正元年に竣工した大阪事務所です。

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古絵葉書・戦艦霧島進水記念絵葉書

戦艦霧島進水記念絵葉書001
戦艦霧島は金剛型巡洋戦艦の4番艦として長崎三菱造船所にて大正2年に進水しました。
この絵葉書は霧島の進水を記念して発行されたもので、本来は2~3枚のセットだったと思われます。
霧島は昭和5年に近代化改装を行い昭和11年にさらに近代化改装されことにより艦橋が巨大化し艦影が大きく変化するとともに機関部の強化により30ノットの速力を有する高速戦艦として生まれ変わりました。
霧島は姉妹艦の金剛・比叡・榛名とともに太平洋戦争の緒海戦に参加。第三次ソロモン海戦では2度の夜戦による激戦の末、いわゆる「アイアンボトムサウンド(鉄底海峡)」にて米戦艦・ワシントンのレーダー射撃により16インチ主砲の砲弾9発の命中弾を受け沈没しました。
戦艦霧島進水記念絵葉書002
絵葉書の宛名面には霧島の進水式を見学し貰った絵葉書を記念に送りますと書かれてます。
霧島の進水式を見学した人が身内か知り合いに当てたもののようですが、進水式はさぞかし感動したことでしょう。

古絵葉書・戦艦霧島の年賀状

戦艦霧島の年賀状002
新年あけましておめでとうございます。ブログ開設11年目を迎える2017年も当ブログをよろしくお願いいたします。
今回は年始の挨拶用に調達しましたが、微妙に間に合わなかったもの。戦艦霧島の年賀状です。
裏面には戦艦霧島と「謹賀新年 一月元旦」の文字と富士山・登り龍の絵があります。
戦艦霧島の年賀状001
宛名面を見ると、差出人の住所は「軍艦霧島」とあり、霧島から出されたものであると分かります。
艦内の酒保では家族に出すためのハガキや便箋などが売られていましたが、年賀はがきも売られていたようですね。
霧島の年賀はがきとして専用に発注されていたものが酒保で売られていたことなど中々興味深い資料です。
消印が消えてしまったのか出された年が判別できませんが、貼られている記念切手が大正6年に発行された皇太子(後の昭和天皇)の立太子記念切手であることから、大正7年の元旦の年賀状ではと思います。

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古写真・神戸外国人居留地

神戸居留地001
神戸居留地は幕末の開港による安政五カ国条約により、慶応3年(1868)から明治32年(1899)まで存在した外国人居留地です。
計画的な都市設計により造られた街並みは当時としては珍しい西洋館が建ち並び、下水道完備・街灯や街路樹の設置など、これまでの日本には見られない近代的な街並みでした。
当初は日本人の立ち入りが禁止されていましたが、徐々に解禁され神戸や関西での近代化・文明開化に大きく影響を与えました。
明治32年に神戸外国人居留地は日本へ返還され神戸市に編入。旧居留地はビジネス街として大いに発展。現在も戦前の銀行建築や商社ビルの建築が多く残りかつての繁栄を物語ってます。
古写真は外国人居留地時代に撮影されたもので、当時各地の居留地で多く見られたコロニアル様式の洋館が建ち並んでいます。中央の半円の看板を掲げた建物は商店でしょうか。建物の前には人力車が置かれ、文明開化真っ只中の雰囲気が現れています。
現在、居留地時代の建物はほとんど失われ、唯一、旧神戸居留地十五番館が現存し重要文化財に指定されています。

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古絵葉書・京都府立福知山中学校改築記念

福知山中学校改築記念001
現在の福知山高校の前身である京都府立第三中学校が開校したのが明治33年。大正7年に福知山中学校と改称されましたが、校舎は府立第三中学校時代のものをそのまま受け継いでました。
しかし、明治以来の木造校舎は老朽化が進み、明治の校舎が建てられてから38年後の昭和13年に新校舎へと建て替えられることとなりました。この絵葉書は新校舎への改築を記念として発行された絵葉書です。
福知山中学校改築記念002
福知山中学校正門。左奥が新築された本館。右奥に体育館と講堂が見えます。
福知山中学校改築記念003
新築校舎の全景。福知山憲兵分隊許可済みの文字があるのは、この方向の撮影だと福知山20連隊等の陸軍の施設が写る可能性があったからかもしれません。
福知山中学校改築記念004
大講堂の内部。昭和10年代らしいすっきりとしたデザインです。
昭和13年に建て替えられた新校舎は戦後も引き続き使用されましたが、昭和54年に現在の校舎へと建て替えられました。

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古絵葉書・鐘ヶ淵紡績株式会社福知山製糸工場

鐘ヶ淵紡績福知山工場001
福知山市は製糸会社として拡大を続けていた郡是製糸のある綾部市に対抗して大手の製糸会社の誘致運動を行っていましたが、大正10年に両丹地区に鐘ヶ淵紡績(後のカネボウ)の工場進出の情報が伝わると鐘ヶ淵紡績に対し熱心な工場誘致を働き掛け、ついに大正11年に工場が竣工しました。以来、隣の綾部市の郡是製糸と競い合い発展していきました。
これはその鐘ヶ淵紡績福知山製糸工場の絵葉書です。
鐘ヶ淵紡績福知山工場002
福知山町(当時)の街並みと鐘ヶ淵紡績福知山福知山製糸工場の外観。
昭和3年に福知山製糸工場という名前に改称されているので、この絵葉書は昭和3年以降の発行となります。
鐘ヶ淵紡績福知山工場003
工場内の様子。煮た繭から糸を取る繰糸機が写されています。
鐘ヶ淵紡績福知山工場004
工場内の寄宿舎と裁縫・生花教室。戦前の大工場では若い従業員が生活する寄宿舎や従業員を教育する女学校のようなものもありました。
郡是製糸でも同様で福利厚生施設や寄宿舎・郡是女学校といった従業員への福利厚生・教育施設を充実させ、従業員を大切にしていました。
戦時中は海軍に接収され軍需工場として稼働していましたが、戦後再び鐘紡工場として稼働。
しかし繊維業の衰退から鐘紡福知山工場はカネボウ食品へと転換。
さらに経営破綻によるカネボウグループの解散によりクラシエホールディングスへと変わったため、カネボウ福知山工場はクラシエフーズ福知山工場へと転換。しかし、現在もかつての鐘ヶ淵紡績福知山製糸工場と同じ敷地で操業しています。

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古絵葉書・郡是製糸株式会社園部工場

郡是製糸園部工場001
京都府綾部市に誕生した郡是製糸株式会社(現・グンゼ株式会社)は徐々に事業を拡大し本社のある綾部市内だけでなく京都府内の各所に工場を設立していきました。
現在の京都府南丹市園部町にも明治43年に郡是製糸園部工場が設立。最盛期である大正期には500人の従業員を抱える大工場でしたが、昭和に入り生糸の価格が下落。次第に経営難となり昭和16年に閉鎖されました。
郡是製糸園部工場002
絵葉書の袋の裏にある社訓と社歌。
この絵葉書は昭和初期頃の発行と思われるもので、最盛期を過ぎた頃ですがまだ盛んに操業していたころを物語る絵葉書です。
絵葉書は8枚のセットとなっており、工場の外観や操業の様子、寄宿舎などが写されてます。
中身の絵葉書は「続きを読む」からご覧ください。
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