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 2017年05月 

 古写真・熊本 歩兵第13連隊(明治27年撮影)

熊本歩兵第13連隊001
歩兵第13連隊は明治8年に熊本城の二ノ丸にて編成されました。大正14年にかつて歩兵第23連隊が駐屯していた場所に移転。この古写真は台紙裏に明治27年撮影とありますので、二ノ丸に駐屯していたころの撮影になります。
二ノ丸時代の歩兵第13連隊の遺構は残されていませんが、移転後の駐屯地(現・熊本学園大学)では営門や旧酒保・旧炊事場の建物が残されてます。
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古絵葉書・賀茂大橋竣工記念絵葉書

賀茂大橋竣工記念001
賀茂大橋は京都市を流れる鴨川に架かる橋で、関西の建築会の重鎮であり、京都大学工学部建築学科を創設した武田五一の設計により昭和6年に完成しました。
この絵葉書セットは賀茂大橋の竣工を記念して京都市により発行されたものです。
賀茂大橋竣工記念002
賀茂大橋遠景。下部ゲルバー式鋼桁橋の構造で、上部は石製の欄干と照明のある燈籠型の親柱があります。この石製欄干と燈籠は現在もそのままです。賀茂大橋の北側には鴨川デルタとして知られる高野川との合流点の三角洲。さらに北には世界遺産の下鴨神社があります。
賀茂大橋竣工記念003
正面から見た賀茂大橋。かつては市電が橋の上を走ってました。
賀茂大橋竣工記念004
賀茂大橋親柱。現在もそのまま使われ日が落ちると明かりが灯る親柱は伝統的な和風の燈籠型をしています。これは、賀茂大橋の上を通る今出川通が京都御所の北を通るのと、賀茂大橋のすぐ北に下鴨神社があるため、それらを意識してデザインしたのではないかと思います。
賀茂大橋は架橋から今年で86年を経ており、老朽化が目立つようになったため、大規模な改修工事が行われていますが、著名な建築家の設計で戦前に架橋された歴史的価値のある橋梁であるため、架け替えはせず、耐震補強などの改修に留めることで決定したようです。

古写真・熊本 砲兵第六連隊

熊本砲兵第6大隊001
砲兵第六連隊は明治6年に熊本鎮台隷下の砲兵部隊として熊本城内の備前屋敷跡に設立された第三砲隊を始まりとします。
明治8年に砲兵第六大隊に。明治9年の神風連の乱では砲兵隊の営舎が制圧されました。明治17年に砲兵第六連隊へと改編。明治40年に野砲兵第六連隊へと改称されました。
また明治31年に熊本城内から現在の白川中学校のある熊本市大江に移転しています。
この古写真は明治27年に撮影されたと台紙裏にありますので、熊本城内にあった砲兵第六連隊時代のものです。

古絵葉書・重巡洋艦高雄進水記念絵葉書

重巡洋艦高雄進水記念絵葉書001
重巡洋艦・高雄は昭和2年に横須賀海軍工廠にて起工、昭和5年に進水し昭和7年に竣工しました。
この絵葉書は高雄の進水を記念して作成されたもので、高雄の写真と艦名のもとになった京都の高雄山にちなんで有名な高雄山の紅葉と擬宝珠のある朱塗りの橋が描かれています。また、記念のスタンプも押されています。
重巡洋艦・高雄と言えば、現在のこんごう型イージス艦やあたご型イージス艦のような巨大な艦橋が特徴的ですが、絵葉書の写真ではまだ艦橋は完成してませんでしたので先に就役している妙高型重巡洋艦の写真が使用されています。
重巡洋艦高雄進水記念絵葉書002
こちらは進水式の様子を撮影した絵葉書。ちなみに2番艦の愛宕の方が先に竣工しています。
高雄は太平洋戦争時は第四戦隊に所属し主に南方方面の作戦に参加。第二次ソロモン海戦・第三次ソロモン海戦・マリアナ沖海戦・そしてレイテ沖海戦など多くの激しい海戦に参加。潜水艦による雷撃により艦尾を大破しましたが、沈没は免れました。
その後、シンガポールのセレター軍港に係留。重巡洋艦・妙高とともに防空艦としての任務を受けることになりました。
終戦後、接収されたイギリス軍により妙高と同じく自沈処分。高雄と妙高は同じ横須賀海軍工廠の同じ船台で建造されたネームシップで、それぞれの4姉妹の中で唯一終戦時まで生存。同じセレター軍港に係留され同じ場所で自沈されたという数奇な縁を持つ2艦でした。
現在、海上自衛隊のこんごう型護衛艦3番艦で妙高の名を受け継いだイージス艦「みょうこう」と違い、高雄の名を受け継いだ護衛艦は未だありません。将来、高雄の名を受け継ぐ護衛艦は誕生するのでしょうか。

古絵葉書・重巡洋艦妙高進水記念絵葉書

重巡洋艦妙高進水記念絵葉書001
重巡洋艦・妙高は大正13年に横須賀海軍工廠にて起工され、昭和2年に進水。昭和4年に竣工しました。
この絵葉書は妙高の進水を記念して作成されたもので、建造中の妙高の写真と記念のスタンプが押されています。
重巡洋艦妙高進水記念絵葉書002
2枚目は艦の名前になった妙高山のイラストが描かれており、こちらにも記念スタンプが押されています。
竣工間もない妙高は、昭和5年に神戸沖にて行われた特別大演習観艦式に参加しました。
太平洋戦争開戦後は第五戦隊に所属しスラバヤ沖海戦や珊瑚海海戦、ブーゲンビル島沖海戦に参戦。
ブーゲンビル島沖海戦では夜戦の混乱で駆逐艦初風と衝突する事故も起きましたが、その後もマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦し、多くの日本海軍の艦船が沈んでいく中、妙高は潜水艦による艦尾大破を受けつつも沈没は免れ、シンガポールにて防空艦としての任務を受けました。
シンガポールのセレター軍港に係留された妙高はセレター迷彩と言われる迷彩を施された状態で終戦を迎え、後に接収したイギリス軍により同じく係留されていた重巡洋艦・高雄とともに自沈処分されました。
妙高と高雄は同じ横須賀海軍工廠の同じ船台で建造されたネームシップで、それぞれの4姉妹の中で唯一終戦時まで生存。同じセレター軍港に係留され同じ場所で自沈されたという数奇な縁を持つ2艦でした。
現在、妙高の艦名は海上自衛隊こんごう型護衛艦3番艦であるイージス艦「みょうこう」に受け継がれています。

古絵葉書・名古屋ホテル

名古屋ホテル001
明治28年、名古屋市内の竪三ツ蔵町に名古屋ホテルが開業しました。木造階建ての洋館は当時としてはおしゃれで目を引いたことかと思います。絵葉書は大正期ころのものと思われます。
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