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 2017年07月 

古絵葉書・松江放送局

松江放送局001
昭和7年に松江市内の床几山に松江放送局が開局しました。
目立つ2本の電波塔は松江市の名所にもなったそうです。
現在、松江放送局のあとを引き継ぐNHK松江放送局は市街地に移転し、旧松江放送局は松徳幼稚園となっています。
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古絵葉書・第四十八銀行本店新築記念

第四十八銀行本店新築記念001
第四十八銀行は明治10年に設立された第四十八国立銀行を始まりとし、明治31年に第四十八銀行へと改称しました。
この絵葉書は昭和12年に本店の新築を記念して発行された3枚組の絵葉書セットです。
第四十八銀行本店新築記念002
第四十八銀行本店外観。昭和初期の銀行建築に多く見られる古典様式の外観で、ファザードにはドリス式の列柱が並びます。
第四十八銀行本店新築記念003
営業室と頭取室。営業室は昭和10年代という時代を反映したモダニズム的なすっきりとしたデザインです。
頭取室はさすがに装飾に富んだ豪華な作りです。
第四十八銀行本店新築記念004
会議室と重役室。こちらもデザインの少ない機能的な造りです。
第四十八銀行本店は高堂徳治の設計、株式会社清水組(現・清水建設)の施工により完成。
しかし、この本店の完成から4年後の昭和16年、旧秋田銀行と湯沢銀行との合併により新生の秋田銀行となり、
第四十八銀行は消滅しました。

冊子・宮津橋立名所図会(吉田初三郎 大正13年)

宮津橋立名所図会001
吉田初三郎が描いた鳥瞰図が使用されている宮津・天橋立の観光パンフレットです。
表紙を開くと50cmほどの1枚ものの鳥瞰図が現れます。
宮津橋立識001
※サムネイルのクリックで拡大します。
吉田初三郎のコメント「絵に添へて一筆」
宮津橋立名所図会ブログ用2
※サムネイルをクリックすると画像が拡大します。
名勝地である天橋立がメインのためか、宮津市の市街地の表記は少なめになっています。
パンフレットにある吉田初三郎のコメントには、宮津線開業に際して依頼を受け現地の取材の後、この鳥瞰図を書き上げたとあります。注記は少なくても天橋立だけでなく宮津市街地もしっかり取材し描き上げていることがこの鳥瞰図からも読み取ることができる作品です。

※関連記事
冊子・福知山市鳥瞰図(吉田初三郎・昭和13年)
冊子・北丹鉄道沿線名所図会(吉田初三郎 大正13年)

古書籍・福知山衛戍病院写真帖(大正13年)

福知山衛戍病院写真帖1
大正13年に発行された福知山衛戍病院の写真帖です。
衛戍病院とは陸軍の病院のことで、この福知山衛戍病院は明治31年に設立、かつての福知山城の曲輪の一つだった伯耆丸跡に建てられました。戦後は国立福知山病院(現・市立福知山市民病院)になりました。
この写真帖は大正13年の頃の福知山衛戍病院を記録したものです。
30ページのうち、一部を紹介いたします。長い記事で画像も多いため追記ページにて紹介します。
(続きを読む)よりご覧ください。
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古絵葉書・園部城跡(大正時代頃)

園部城跡001
園部城は1619年(元和5年)に小出吉親により築かれた園部陣屋を始まりとし、以後江戸幕府260年間に渡り代々小出氏が園部藩の藩主を務めました。
慶応4年、京都に近く山陰道の守りの要だった園部陣屋は幕末の動乱に対応するため、既存の陣屋をより城郭としての防御力を持たせるための改修を新政府に申し出、許可されると普請を開始。明治2年に櫓門3か所、巽櫓、小麦山の三重櫓が完成。日本における最後の城郭建築となりました。
明治5年、現存する本丸櫓門・付属番所・巽櫓・土塀を除き多くの建物は移築されるか取り壊されました。
その後、本丸敷地は船井郡立高等女学校の敷地として利用。この絵葉書は女学校時代のもので、大正時代に撮影されたものです。
絵葉書には現存する櫓門・番所・土塀・巽櫓が写ってますが、櫓門の奥に屋敷のような建物が写ってます。船井郡立高等女学校の校舎ですが、もしかしたら、旧園部城の本丸御殿を再利用したのかもしれません。
また、現在は失われている多聞櫓風の建物が左手前に写ってます。絵図によると「鐘場」とあり、奥にある剣道場と繋がる建物だったようです。
園部城跡2
現在の園部城跡。現在園部城の本丸跡地は園部高校の敷地となり御殿建物は完全に失われてますが、櫓門は高校の校門として利用され、巽櫓・番所・土塀も当時のまま保存されています。櫓門の手前にあった「鐘場」は残念ながら失われ、現在はテニスコートになっています。

※関連記事
古絵葉書・船井郡立高等女学校

古絵葉書・京都駅前 京都観光案内所

京都観光案内所001
昭和2年に京都駅に観光案内所が設置されました。
昭和5年に京都市は観光課を新設。昭和6年に京都駅の観光案内所を拡充したとあり、この絵葉書の京都観光案内所は昭和6年に拡充した際に建てられたものと思われます。
建物は近代的なデザインですが、左側の塔屋の屋根は和風を感じさせる屋根に釣燈籠のようなものが下げられ、京都らしい和風を意識したデザインになっています。
観光案内所の建物の脇にはベンチを置いた休憩所もあります。
背景のイラストは大文字の送り火と三条大橋の納涼床の夕涼み。いかにも京都らしいイラストです。
京都観光案内所002
こちらもいかにも京都といった舞妓さんのイラストに観光案内所の内部の写真。
観光客を応対するカウンターの横にパンフレットが置かれた棚があり、その様子は現在の各地の駅にある観光案内所と変わらない姿のようです。

古絵葉書・宮津町上水道(現・宮津市滝上浄水場) 

宮津滝上浄水場001
宮津市の西側の山中に滝上浄水場という上水道の施設があります。明治45年建設という一地方都市としてはかなり早く作られた浄水場は当時から町の名所となっていたようです。この絵葉書は昭和初期頃に当時は宮津町浄水場と呼ばれていた浄水場施設を撮影したものです。1枚目は貯水池から宮津市街方面を撮影したもので、貯水池堰堤と通水路が見えます。右端は散策路になっています。
宮津滝上浄水場002
1枚目にも写っている貯水池の堰堤。堰堤の下に導水管が見えます。堰堤は絵葉書から推測すると通水路と同じ石積みのようです。明治期まではコンクリートは高価で石積みの方が安価で一般的でした。
宮津滝上浄水場003
貯水池の上流にある取水口の堰堤。石積みの堰堤の真ん中に取水のアーチが見えます。滝上浄水場の取水は元々流れていた常願寺川をそのまま利用しており、恐らく常願寺川を拡張し堰堤を築いて貯水したものと思われます。
宮津滝上浄水場004
貯水池から下った所に浄水場のろ過池があります。奥に見える建物は管理事務所でしょうか。
宮津市滝上浄水場取水口堰堤2
※現在の取水口堰堤
宮津市滝上浄水場ろ過池
※現在のろ過池。
滝上浄水場の施設は絵葉書が撮影された90年前の昭和初期頃当時のまま現在も使用されています。
貯水池堰堤は石張り外壁の上にコンクリートで覆って補強されており絵葉書の頃とは面影を一新していますが、ろ過池と取水口堰堤は当時のままの姿で残されています。ただし、取水口堰堤は取水口のアーチから左側のほとんどは土砂で埋まり、また昭和初期の頃と比べ深い木々に覆われかつてのような見晴らしは失われ絵葉書と同じアングルでの撮影は不可能となっています。
ともあれ、当時のまま良好に残されている滝山浄水場は、地方都市の最初期の近代上水施設として貴重な近代化遺産であると言えます。

※関連リンク
宮津市にある近代化遺産の浄水場・滝上浄水場レポ ブログ・べーさんの歴史探訪
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