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 2017年08月 

古写真・名古屋高等工業学校

名古屋県庁001
名古屋工業高等学校は明治38年に東京・大阪・京都に次いで 4番目に設立された官立の高等工業学校でした。
昭和19年に名古屋工業専門学校と改称。昭和24年に愛知県立工業専門学校との合併により名古屋工業大学が発足。
現在に至ります。古写真の本館は昭和10年に焼失しました。
この古写真は明治末期から大正期の撮影と思われますが、何故か台紙には「名古屋県庁」と書かれています。
勘違いによる誤記でしょうか。
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古写真・大阪裁判所(初代)

初代大阪裁判所001
初代の大阪裁判所は明治23年に現在の大阪市北区西天満の鍋島藩・津軽藩の旧蔵屋敷跡に建てられました。
煉瓦造一部3階建ての大きな洋館は大阪控訴院・大阪始審裁判所との合同庁舎で、大阪府庁・造幣局・砲兵工廠などとともに明治の大阪を象徴する建物でした。
しかし、この初代裁判所は明治29年に焼失。明治33年跡地に再び赤煉瓦の裁判所庁舎が建てられますが、明治42年に再び焼失。
大正5年に跡地建てられた3代目の庁舎は、昭和44年まで使用され続けました。
この古写真は初代大阪裁判所を撮影したもので、明治23年から明治29年までの6年間の間に撮影されたものになります。

古写真・大阪 中之島公園 自由亭ホテル

大阪中之島・自由亭ホテル
自由亭ホテルは大阪市中之島公園にある大阪市立東洋陶磁美術館の場所に存在した外国人向けの西洋料理兼ホテルでした。
自由亭ホテルの起源は幕末に長崎にて草野丈吉が開業した日本初の西洋料理店「良林亭」とされ、明治元年に大阪市の川口居留地の近くに自由亭ホテルとして西洋料理兼ホテルを開業しました。
この中之島公園の自由亭ホテルは明治14年にその支店として建てられたもので、明治初期に流行したコロニアル様式で建てられています。
ベランダの高欄には「JIUTEI HOTEL」の文字が掲げられており、外国人を対象に営業していたことが分かります。
ホテルの前には人力車と車夫が待機し、客の送迎をしていたのでしょう。
奥に見えるお屋敷は精華楼という料亭で、明治17年に自由亭ホテルに購入されました。
明治28年、自由亭ホテルから改称して大阪ホテルが開業。
大阪ホテル013
これは明治中期から後期頃に撮影された大阪ホテルで、明治29年に自由亭ホテル時代の建物を建て替え、煉瓦造りのホテルとなりました。明治32年、大阪倶楽部に売却され、大阪倶楽部ホテルとなりましたが明治34年に全焼。明治36年に再建されましたが大正13年に再び全焼。大阪倶楽部ホテルは廃業しました。
この古写真は明治初期の自由亭ホテルの姿を撮影した貴重なものと思います。

古絵葉書・芦生演習林事務所

芦生演習林事務所001
芦生演習林は現在の京都府南丹市美山町にある京都大学の研究林で、大正10年、当時の京都帝国大学が初めて設けた国内演習林でした。
この建物は大正12年に完成した演習林事務所で、同年の京都帝国大学農学部設置に伴い建てられたものと思われます。
演習林事務所はロッジ風の建物で、昭和6年に建てられた京都大学構内にある国指定登録文化財の農学部演習林事務所は、この芦生演習林事務所と共通の意識をもって建てられたように思われます。
この芦生演習林事務所は現存しており、現在も事務所として使用されています。

古絵葉書・横浜 神風楼

横浜・神風楼001
神風楼は横浜高島町に作られた高島遊郭において1番の規模と格式を誇る遊郭でした。
高島町へ移転前の港崎遊郭時代は伊勢楼と称していましたが、慶応3年に高島遊郭へと移転した際に神風楼と改称したようです。
神風楼は横浜を訪れる外国人にも人気で、絵葉書にも書かれている「NECTARINE No.9」はこの神風楼に外国人が書いた看板を掲げていたことから、外国人からは「ナンバーナイン」と呼ばれていました。
神風楼は明治14年の高島遊郭閉鎖によりさらに移転。七軒町に開業しました。
この絵葉書は七軒町時代の神風楼で、高島遊郭時代から呼ばれてきた「No.9」の看板を正面の三角破風に掲げています。
神風楼は横浜一の遊郭として栄えていましたが、明治33年に再び移転命令が下り、相次ぐ移転で費用がかさみついに廃業。建物はその後ホテル等に転用されたようですが、大正期に焼失したようです。

古絵葉書・堺市 大美野田園都市の洋風住宅

堺市・大美野田田園都市001
堺市にある大美野田園都市は昭和6年にヨーロッパの田園都市をモデルに作られた分譲住宅地でした。
関西土地株式会社によって開発された大美野田園都市は関西における郊外住宅地の先駆けとなった場所で、
以降、各地に郊外型住宅地が生まれていきました。
この古絵葉書は大美野田園都市開発を記念して発行された絵葉書の1枚で、昭和初期流行りの中流家庭用の洋風住宅となっています。大美野田園都市はヨーロッパの田園都市をモデルに作られていますが、和風建築も多く建てられています。
現在の大美野田園都市は当時の住宅は少なくなったものの、今でも何件か残されており、この絵葉書の住宅と思われる建物も調べたところ残されているようです。

古絵葉書・海舞鶴駅(舞鶴港駅)

海舞鶴駅001
海舞鶴駅の前身の舞鶴海岸荷扱所は舞鶴鎮守府の開庁に伴う軍需物資の輸送として、さらには国際貿易港となり発展した舞鶴港への物資輸送を目的として明治37年に設置されました。
大正2年に海舞鶴駅と改称。貨物だけでなく旅客も扱う駅となりましたが大正12年に旅客営業は廃止。
戦後、昭和41年に舞鶴港駅と改称されましたが、昭和60年に駅は廃止。現在は駅の施設は何も残されていません。
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