祖父の軍人日記(昭和14年1月12日から5月30日まで)

軍人日記表紙001
祖父は青年学校を中退後、志願兵として陸軍歩兵第20連隊に入営し、一等兵に昇進後、下士官候補者として中隊から教育隊に編入。上等兵から伍長勤務上等兵を経て下士官教育を受けるために仙台陸軍教導学校に入校。卒業後下士官として敦賀の連隊に配属され、曹長として終戦を迎えるまで6年間の軍隊生活を送りました。
4伍長勤務上等兵時代
伍長勤務上等兵時代の祖父。祖父の来歴の記事はこちら
現在、昭和12年の青年学校時代の1冊、昭和14年1月12日の入営から昭和15年7月13日の仙台陸軍教導学校入校前日までの4冊の計5冊の戦前の日記が残されています。

※関連記事
祖父の軍人日記(昭和14年5月31日から10月1日まで)
祖父の軍人日記(昭和14年10月3日から昭和15年1月1日まで)
祖父の軍人日記(昭和15年1月1日から昭和15年7月13日まで)

今回は祖父の入営の昭和14年1月12日から一等兵への進級と下士官候補者としての教育隊編入後の昭和14年5月30日までの日記を紹介します。毎日日記はつけてますが全てを紹介しきることは出来ませんので、いくつか抜粋して紹介します。
続きを読むからご覧ください。
日記001
昭和14年1月12日。祖父が入営した日。最初の記述は兵器の授与式について簡単に書いてます。祖父の6年間に及ぶ軍隊生活はここから始まりました。
日記003
昭和14年1月16日。いきなり教官殿から赤ペン入ってます。
日記004
昭和14年1月17日。記述の通り、青年学校時代とは訳が違う軍隊生活。心意気とともに緊張している様子がうかがえます。
昭和14年1月18日。手の痛み。元々なのか訓練中に手を痛めたのか、今後しばしば手の痛みに悩まされていたようでした。
日記007
昭和14年1月23日。整理整頓のことで古兵殿より注意。・・・そろそろでしょうかね。鬼の古兵殿からのいびりが始まるのは。
ただ、祖父の日記を読んでいると、祖父の周りの古兵殿に関しては割と親切だったように見えます。
日記013
昭和14年2月4日。非常呼集。非常呼集とは抜き打ちで兵に召集をかけ、その際は完全軍装で整列をしないといけない大変なもの。祖父はその時便所に行っていて、戻ったらみんな軍装をしていて慌てて着替えたと書いてます。
昭和14年2月5日。陸軍墓地(現・平和墓地)へ参拝し帰還したら手箱に菓子が入っていて嬉しかったとあります。
隣の古兵殿が入れたのでしょうか。良い人だ。
日記014
昭和14年2月7日。銃の掃除不良で古兵殿にひどく叱られている中、誰かが笑っていたようでビンタを食らったとあります。そりゃ怒られているときに笑ってたらねぇ。これは仕方がない。
日記016行軍・紀元節
昭和14年2月11日。紀元節。祝祭日のためか昼食時に酒が出たようで、入営後初めての酒ということもあり嬉しかったようです。あと、田中古兵殿からお菓子も貰っていたようで。良い人です。
日記017
昭和14年2月12日。当番兵だった祖父は下士官室に行き食器を探していたら後で叱られて悔しかったとあります。
下士官達の食事の用意に手間取ったのでしょうか。
日記018長田野にて娯楽会
昭和14年2月14日。長田野陸軍演習廠舎にて演習後に娯楽会が開催され、流行歌・浪花節・軍歌・謡曲などいろいろな歌を歌ったりしていたようで楽しかったみたいですね。軍隊内では何も辛いことばかりではなく、こういった楽しいことも多々あったわけで、今後の祖父の日記にもそういった記述がいくつも出てきます。
日記020初酒保で食いすぎ
昭和14年2月19日。初めての酒保。酒保とは軍隊内の売店で、日用品や嗜好品などが販売されていましたが、初年兵は自由に酒保には行けませんでした。この日は恐らく古兵殿と思われる引率(恐らく初年兵に酒保の使い方を教えるため)で酒保に行ったようですが、嬉しさのあまり餅・豆・寿司・果物と食いまくって腹が一杯になったようです。しかし、これが後に災いとなることに…・
日記021腹を壊す
昭和14年2月20日。昨日行った酒保での食いすぎで腹痛。翌日、昭和14年2月21日。腹痛は続き便所に通い詰め。そのくせまた酒保に行きたがる有様。これには孫の私も読んでいていささか呆れ(笑)
日記025陸軍記念日
昭和14年3月10日。陸軍記念日ですが特に式典らしき記述はありません。古兵殿に使役を手伝ってもらってます。良い人だ。朝食はパン。酒保で買ったものでしょうか。午後は引率による外出で映画を見たようです。初年兵は外出も自由には出来ませんでした。
日記029古兵に殴られる
昭和14年3月17日。古兵殿に竹で頭を殴られる。痛そう…
日記030教育中隊編入
昭和14年4月6日。中隊から教育隊に編入。下士官志願者として頑張っていくことになります。
日記032一等兵進級
昭和14年4月9日。一等兵に進級。入営した初年兵はだいたい半年で一等兵に進級しました。ただ、多くは一等兵のまま満期除隊し、上等兵に進級するものは同期でも1/4程度だったそうです。一等兵になったら初年兵の頃よりも多少はマシになりますが、階級が同じでも先輩の古兵殿がいる限り油断はできない・・・
日記035
昭和14年4月16日。出征兵士を見送り。昭和14年当時は日中戦争の真っ最中で、歩兵第20連隊も中国戦線で戦闘していました。日記には自分も戦地で活躍したいと書いてますが、幸いと言っていいか祖父はずっと内地勤務で一度も戦地に行くことはなく終戦を迎えました。
日記038軍旗拝受記念日
昭和14年4月21日。軍旗拝受記念日。連隊の記念日なので昼食も白米に酒に果物。軍隊内では麦飯が常ですので白米はさぞ嬉しかったことでしょう。
日記042天長節
昭和14年4月29日。天長節。現在の昭和の日ですね。教官殿からまた字を丁寧に書けと赤ペン先生されています。
日記043
昭和14年5月1日。以前中隊内で盗難事件があったようですね。そのことについて訓話中に触れています。同日召集兵の入隊日で混雑していたとあります。
日記044出征将校見送り・告別式・下士候への注意
昭和14年5月3日。出征将校の見送り。同日教官殿より今度の下士官候補者は怠けていてこんなことが続くなら中隊に返すと厳しく怒られたようです。やはり下士官候補者となると一般兵と違いより厳しさが求められるんですね。
昭和14年5月4日。戦地より帰還した英霊69柱の告別式。内地の連隊内以上に出征された兵士は過酷だったわけです。
日記045学科の居眠りで殴られる者
昭和14年5月5日。射撃教範の学科中に居眠りしているものがいて、上等兵殿にぶん殴られたものがいたようで。疲労の蓄積は相当なものだったとはいえ、居眠りはさすがにまずいでしょう。しかも2日前に教官殿から厳しく叱責されたばかりなのに。
日記046初年兵逃亡
昭和14年5月8日。第1機関銃中隊の初年兵が逃亡。まぁ逃亡したくなる気も分かりますなぁ。

こんな毎日が続けば。ただ、逃亡兵は厳罰に処されますからね・・・
日記047ビンタされる
昭和14年5月10日。態度が悪いということでビンタを食らう。ただ祖父は自分は悪くないと書いており、悔しかったようです。
日記049数学試験
昭和14年5月13日。数学の試験。全然できなかったようです。私の数学嫌いは祖父譲りか…
日記051軍馬献納式
昭和14年5月18日。借用したLG(軽機関銃)の掃除がされていなかったため、下士官室にて上等兵殿よりひどく叱られたとあります。掃除してなかったという結構な落ち度だと思うのですが、きつく叱責したから今回は許すと軍隊内にしては割と温情な気も…。
日記053帰還兵出迎え
昭和14年5月21日。帰還兵の出迎え。みんな日焼けをして顔が土色をしていたようで、やはり過酷な戦地から帰還した兵は面構えが違っていたことでしょう。
日記054教育隊内に伝染病発生
昭和14年5月23日。教育隊内にて2名の伝染病患者が発生。寝具・食器、ありとあらゆるものが消毒されるという大騒ぎだったようです。
日記056
昭和14年5月27日。間稽古。間稽古とは上等兵候補者特別教育を受けている下士官候補者の兵が一般の兵の演習や稽古に加えて早朝や夕食後に訓練することで、一般の兵よりより過酷なものでした。それらを無事こなし適任とされた兵のみが上等兵へと進級しさらにゆくゆくは下士官となるわけです。祖父も上等兵候補者、そして下士官候補者としてより厳しい訓練ををしていたわけです。
特に昭和10年代は上等兵候補者のうち6割程度しか実際には上等兵に進級できなかったらしく、中々過酷なものでした。
日記057
昭和14年5月30日。1冊目最後の記述。2冊目の日記、昭和14年5月31日から昭和14年10月2日までは祖父は一等兵として、そして上等兵候補者・下士官候補者として日々頑張ってますが、初年兵の頃より余裕が出来たのかやや自由度が増えてます。2冊目の日記の紹介はまた後日にいたします。
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