古写真・大正11年山陰本線保津川鉄橋上列車脱線転覆事故

山陰本線事故001
大正11年、山陰本線の保津川橋梁上(現・嵯峨野観光トロッコ列車線)にて発生した事故を報じたものです。機関士のミスにより列車は鉄橋上にて脱線。死傷者約50名を出す惨事となりました。
その乗客の中に前貴族院議員の田中源太郎がおり、事故の際に車外へと放り出されて保津川に落下。5日後に遺体が発見されました。田中源太郎は京都における実業家で、京都銀行の前身となる亀岡銀行、京都証券取引所、京都電燈株式会社、そして自身が事故に遭った京都鉄道(当時、省線山陰本線。後の嵯峨野線)の設立。そして衆議院議員や貴族院議員を数回勤めた京都でも随一の実業家・政治家でした。
それだけの人物のため、遺体が発見された際は他殺説等様々な憶測が流れたようです。
事故後、保津川橋梁は修理され使用されましたが昭和3年に架け替えられ、旧橋は名古屋市に移設。向野橋という跨線橋として使用されました。旧保津川橋梁だった向野橋は現存し、今も使用されています。
楽々荘1
楽々荘2
楽々荘3
楽々荘5
楽々荘4
事故で死亡した田中源太郎の贅をつくした洋館付きの邸宅は京都府亀岡市に国登録有形文化財として現存し、「がんこ楽々荘」という飲食店として利用されています。
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