祖父の遺品である軍装品の記録。

陸軍曹長時代と祖母
昭和14年に志願兵で入営し、終戦までの6年間職業軍人として過ごした祖父ですが、(最終階級・曹長)、その時に使用していた軍服や装備品が今でも残されています。
遺品1
祖父の遺品の軍装品は全部で26点あり比較的まとまって残されていると思われます。
これまで祖父の軍装品を撮影したことはありましたが、1点1点撮影したことは無く、今回記録の意味も含めて撮影しようと考え、当ブログにて記事にすることで、所蔵目録的なものの代わりになればと考えたわけです。
というのも。
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毎年夏に貸し出している(というか、実質貸し出しを強要されている)地元の戦争展で、返還された物の中に別の方の遺品が混じっていたことがあり、今回もそれぞれ別の方の遺品が2点混じっていたため、今のところ祖父の遺品が他所に行ってしまったことは無かったとはいえ、いつかそういう事態に陥るのではという恐れがあり(正直主催者側には不信感があります。自虐史観的な展示内容もですが旧軍人の提供された遺品に対する扱いや誠意が感じられないため。私としては今後貸したくはないのですが…)自衛策も含めた記録となりました。
今回記録した祖父の軍装品の各記録は以下となります。続きを読むからご覧ください。
遺品37
1・軍用行李
行李の蓋に書かれている「護京22653」は護京第22653部隊。歩兵第441連隊のことであり、いわゆる戦争末期の「根こそぎ動員」の部隊として愛知県渥美半島の守備隊でした。祖父は連隊本部付下士官の曹長として終戦まで赴任していました。
遺品38
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行李の蓋の小口面にも部隊番号が書かれています。
遺品2
2・軍帽。
遺品4
裏地には「七號・大正七年製・大支検定」の文字。「大支」とは大阪陸軍被服支廠のこと。
遺品5
3・革製防寒帽。
遺品6
内側は毛皮になってます。ウサギの毛皮でしょうか。
遺品7
4・戦闘略帽。
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5・千人針の帽子。
戦時中に出征した人に家族が送ったお守り。女性が1人1針ずつ縫い付け結び目を作りました。祖父は戦地には行ってませんが、入営時かもしくはどこかの段階で貰ったのでしょう。これは鉄帽の下に被ったものと思います。
遺品9
6・冬用外套。
曹長の肩章がついてます。
遺品10
裏地に「二號 昭和十三年製 大支検定 」の文字があります。
遺品11
7・夏用上衣。
曹長の襟章があります。
遺品12
裏地に「二號 昭和十四年製 大支検定」の文字があります。
遺品13
8・冬用上衣。
右胸に曹長の階級章があります。
遺品14
裏地に「五號 昭和十三年製 大支検定」の文字があります。
遺品15
9・夏用上衣。
曹長の襟章があります。裏地に文字はありません。
遺品16
10・冬用下衣。
かなりつぎはぎが…
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裏地に「三號 昭和十五年製 大支検定」の文字があります。
遺品17
11・ズボン下。
遺品18
12・巻脚絆。
2つそろってます。
遺品19
13・ベルト
遺品21
14・軍用毛布。
毛織物なので、やはり痛みがあります・・・
遺品22
裏側に「昭和十七年製 大支検定」の文字があります。
遺品23
15・雑嚢。
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蓋を開けた状態。
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16・背嚢。
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裏側。行軍等で背負って歩く必要があるためかなり丈夫に出来てます。なので他の遺品と比べて痛みは少ないです。
遺品27
蓋の裏に「昭和十六年製 本廠検定」の文字があります。背嚢だけ東京の陸軍被服本廠で製造されたもののようです。
遺品28
17・革製図嚢。
図嚢とは地図を入れていた鞄。指揮を執ることのある将校や准士官・下士官が使用してました。これは下士官用。
遺品29
裏側。
遺品30
蓋の裏側には「中三六本部 (祖父の名前) 17.12.10」17.12.10の手書き文字があります。祖父が書いたのでしょう。
中部第36部隊は敦賀に駐屯していた連隊。最後に赴任した第441連隊の連隊本部という意味の文字と思います。
遺品31
18・19飯盒と飯盒入れ。
陸軍は海軍と違い1人1つ飯盒を持ち自分でご飯を炊いてました。飯盒入れは厚い綿入れとなっており、保温性を高めています。
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20・21九三式双眼鏡と収容嚢(ケース)。
遺品33
九三式双眼鏡は下士官用に製造された双眼鏡。覗くとメモリがあり右側の覗く側には度の違うレンズが半分ずつの形で入ってます。メーカーは日本光学(現・ニコン)。陸軍技術本部と共同で開発した安価で量産が効きさらに頑丈という製品でした。
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22・23・24入営祝幟3本。
祖父の入営の際に掲げられた幟です。祖父の名前がでかでかと入ってるので一応モザイク。
2入営記念写真
祖父の入営時の記念写真。背後に掲げられているのが写真の幟です。ちなみに1本は祖父の名前が間違ってます(笑)

以上が祖父の遺品の軍装品となります。祖父の軍装品で製造年が書かれているものがいくつかありますが、製造年はバラバラで、一番古いものは軍帽の大正7年(祖父の生まれる前)、一番新しいものは毛布の昭和17年となります。恐らく入営時から使用し続けたもの、途中で交換したもの、また連隊の倉庫に保管されていた物の都合でまちまちなのであろうと思います。下士官の軍装品は官給品なので本来は除隊したら返還しないといけませんが、終戦で軍隊という組織が無くなったため、そのまま持ち帰ったのでしょうね。ともあれ、これだけ軍装品がまとまって残されているのは珍しく、戦争展で毎年貸し出しを要請されるんですが、最初の記述の通り、私としては貸し出したくないんですよねぇ。
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