古写真・米軍撮影による熊本鉄工所田迎航空機製作所への空襲の写真(昭和20年8月10日か)
※サムネイル画像のクリックで拡大します。
「KUMAMOTO」のタグのある米軍撮影の空襲写真です。あらかた空襲が終わったあとなのか、線路の側にある工場がいくつかの建物を残してほぼ焼失し、一部未だにくすぶっています。この工場は熊本鉄工所田迎航空機製作所。熊本市には元々、健軍地区に三菱重工業熊本航空機製作所という大規模な航空機工場がありましたが、空襲により壊滅的な被害を受けたため、熊本の航空機製造はこの田迎航空機製作所に移転したようです(「れいすい」平成22年7月25日号参照)。
昭和20年7月1日に最初の空襲を受け第1工場が焼失。そして8月10日に第2工場が焼失し壊滅しました。この空襲写真は恐らく8月10日の空襲によるものと思われ、炎上ししているのが第2工場で、すでに跡地だけになっている手前側が7月1日の空襲で焼失した第1工場の跡でしょうか。
写真中央、田迎航空機製作所の敷地内に転がる残骸。田迎航空機製作所では航空機の胴体(四式重爆撃機・飛龍か)を製造していたようで、この残骸はその生産していた航空機の胴体と思われます。
田迎航空機製作所の敷地の前には単線の鉄道が走っています。これは熊延鉄道で、工場前には駅標とホームが写っています。熊本鉄工所田迎航空機製作所の工場前には「熊本鉄工所前駅」という駅があったようで、田迎航空機製作所に努める工員向けに設置された駅と思われます。しかし、写真を見ると駅標はあるものの、ホームは草ぼうぼうで手入れをしている余裕が無かったものと思われます。
現在の熊本鉄工所田迎航空機製作所の様子。熊本鉄工所田迎航空機製作所は戦後も数年ほどは生活用品の金属製品を製造していたようです。その後、田迎航空機製作所の跡地は託麻中学校の敷地となり現在に至ります。また、熊延鉄道は昭和39年に廃止。跡地は道路となり面影は失われています。
スポンサーサイト
● COMMENT ●
トラックバック
https://besankosyashin.blog.fc2.com/tb.php/1133-13e388b1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)