古写真・長州藩15代藩主 毛利元徳(定広)

大名
以前、「大名(?)の写真」というタイトルで記事にしてました武士の古写真ですが、
こう様のご指摘を受けて調べましたところ、長州藩最後の藩主である
毛利元徳公の写真であることが分かりました。
Wikipediaでの毛利元徳の項目に当写真と同じ写真が紹介されており、
その元写真を複写したものであると思われます。
明治初期~前期ごろ、明治の元勲や華族の写真をブロマイドのように販売されていたことがあり、
この毛利元徳公の写真もその一つだったのではないかと思われます。
続きを読むで、確定の決め手となった台紙裏の文字を紹介しています。
大名裏
台紙裏に書かれた文字。
どうやら「長州若殿」と読むようです。
毛利元徳は、天保10年に徳山藩主の子として生まれましたが、
嘉永5年に子のなかった長州藩14代藩主毛利敬親の養子となり、15代藩主を継ぎました。
幕末期は定広という名でしたが、禁門の変により定広という名前を取り上げられ、
広封という元の名に戻しています。
元徳という名は、明治維新後に名乗った名前です。
また、跡を継いだのも明治維新後でした。
「長州若殿」と書かれているのはそのためでしょうか。
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コメント

長嘉若殿ではないでしょうか?

名無しさん
そういわれれば確かにそうですね。
そのほうがつじつまが合いますね。
ありがとうございました。

古写真で検索していたらこちらがヒットしたのでお邪魔させていただきます。
「嘉」とおっしゃっている漢字なんですが・・・。刀という漢字が上に一つ、下に二つで「州」と読むので、ひょっとしたら「長州若殿」=長州藩第15代藩主毛利元徳なのかもしれません。
それでは、失礼しました。

こう様
毛利元徳で検索しましたら、
wikipediaにまったく同じ写真がありました。
元徳公に間違いないようですね。
元の写真は福井県の博物館が所蔵しているようです。
改めて記事を書き直して新規のものとしてUPさせていただきます。
おかげで解決いたしました。
ありがとうございました。

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