古写真・昭和30年代?の京阪電車の京都沿線 ---2007/11/23/Fri

先日入手した26枚の京阪電車の古い写真で、
恐らく昭和30年代のものではないかと思われます。
当ブログでは、基本的に戦前のもののみを紹介していますが、
今回はまだ地下化する前の沿線を写したものであることや、
今では見られない車両や風景が写っているので、特別に紹介することにします。
とはいえ、この写真のセットはは26枚もあり全て紹介するのが困難で、
いくつかを選んでの紹介であることと、私自身鉄道にそんなに詳しくないので、
間違った情報がある可能性があることをご承知ください。
さて、一枚目ですが、これは間違いなく現在の京阪四条駅付近ですね。
駅に「四○」と書かれていることや、右に建つレストラン菊水から確定できます。
現在は沿線は地下化され、この通は川端通になっています。
続きは、「続きを読む」をクリックして御覧下さい。
*追記・残りの写真17枚をUPしました。 「古写真・昭和30年代の京阪電車沿線②」

京阪の駅ビルのようです。一瞬京都市内かなと思いましたが、
京都なら「京都行」とは書きませんので、京都ではないのかもしれません。

京阪電車の車両基地と思われます。
手前のアーチの窓を持つ車両ですが、これはどうやら16号と呼ばれる車両のようで、
昭和3年に貴賓車として製造された車両のようです。
この16号車両は昭和40年に廃車になるまで寝屋川車庫にあったそうで、
時代を特定する材料の一つになります。

同じく京阪の車両基地と思われる写真。
ヘッドライトが一つの古風な車両です。写真自体は戦後でも、
車両は戦前のものだったのでしょう。奥の黒っぽい車両はさらに古そうです。

京阪電車の沿線ですが、なんか川が氾濫しているようにも見えます。
奥に見える橋は三条大橋ではないでしょうか。

走行中の電車の車中から撮影したと思われる写真です。
右手に写る建物は変電所と思われます。
これに似た建物を伏見区の中書島で見たことあります。
現在も現役の変電所で、大きな建物です。

なにかややこしそうな機械を操作している写真です。
最初は運転席かなと思いましたが、どうも違いますよね。
なんの操作をしているのでしょう。よくわかりません。
とりあえず、26枚の内7枚だけ紹介しました。また機会があれば他のを紹介したいと思います。
あと、最初に述べましたように私自身鉄道には疎いので、この程度の解説しか出来ません。
もし、なにか分かる方がいましたら、情報よろしくお願いします。
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コメント
京阪電車
京阪電車は地下鉄化以前は、三条迄ですから三条大橋はありえませんね。
レールが左に曲がっているので、五条大橋かもしれません、戦後?まだ五条の橋が架け替えられていない頃でしょう。
レールが左に曲がっているので、五条大橋かもしれません、戦後?まだ五条の橋が架け替えられていない頃でしょう。
京都人様
ご指摘ありがとうございます。
地下化までは三条までだったんですね。
橋と川の位置から北から撮影していることは間違いなさそうなので、
やはり五条大橋かもしれませんね。
ご指摘ありがとうございます。
地下化までは三条までだったんですね。
橋と川の位置から北から撮影していることは間違いなさそうなので、
やはり五条大橋かもしれませんね。
京都市南部
左の鴨川運河沿いに船着き場のような倉庫の建物がありますので、橋は「正面橋」の可能性もあります。中州は航空写真で調べると五条大橋より下流にみられるようです。中央の上部に写っている大きな建物が気になります。
はじめまして
こんにちは。楽しく拝見しました。
「京阪電車京都行きのりば」のビルは、天満橋のターミナル、京阪デパートビルですね。この角度は初めて見ました。
やや凡庸なモダニズムですが、設計は白木屋の石本喜久治だったと思います。
「京阪電車京都行きのりば」のビルは、天満橋のターミナル、京阪デパートビルですね。この角度は初めて見ました。
やや凡庸なモダニズムですが、設計は白木屋の石本喜久治だったと思います。
inQue様
はじめまして。コメントありがとうございます。
この建物、戦前のものでしょうか。
確かに平凡なデザインですが、昭和10年代でも見かけるデザインですよね。
情報ありがとうございました。
はじめまして。コメントありがとうございます。
この建物、戦前のものでしょうか。
確かに平凡なデザインですが、昭和10年代でも見かけるデザインですよね。
情報ありがとうございました。
戦前だと思います。
こんばんは
京阪デパートビルは昭和6~7年頃でこの種のモダニズムの中ではかなり早い部類だったと記憶しております。
あと、一連の写真は全体の雰囲気から見て戦前だと思います。
・制服が詰め襟
・踏切に遮断機・警報機なし
・本線に腕木式信号機
・「なにかややこしそうな機械」は信号所
・踏切わきの「たばこ」看板が右書き
・自動車が独立フェンダーのクラシックカー型
・流線型の1000系が最新車両
戦後の写真なら、どこかに戦後型の電車や車が写りこむ可能性が高いです。1700系という戦後の特急車が登場したのが昭和26年になります。
京阪デパートビルは昭和6~7年頃でこの種のモダニズムの中ではかなり早い部類だったと記憶しております。
あと、一連の写真は全体の雰囲気から見て戦前だと思います。
・制服が詰め襟
・踏切に遮断機・警報機なし
・本線に腕木式信号機
・「なにかややこしそうな機械」は信号所
・踏切わきの「たばこ」看板が右書き
・自動車が独立フェンダーのクラシックカー型
・流線型の1000系が最新車両
戦後の写真なら、どこかに戦後型の電車や車が写りこむ可能性が高いです。1700系という戦後の特急車が登場したのが昭和26年になります。
すごいですね
こんばんは、こつまなんきんです。この一連の写真は戦後の写真ですね。貴賓車である16号が無造作に留置していますから、戦前なら16号は白い布をかけて専用車庫に入れていたはずです。また、この車庫は守口車庫ですね現在の京阪百貨店のある場所です。車庫写真の下の鴨川べりの写真は、鴨川と疎水の位置から上りの三条行き列車最後尾から撮影されたものではないかと思われます。あと「なにかややこしそうな機械を操作している写真」は変電所の操作室ではないでしょうか、信号所ならレバーの形状が違いますし、作業者が二人とも正面のメーターらしきものを見ているのは変です。
連スレ失礼
鴨川べりの写真ですが、拡大して見た所、遠くに左曲線が見えます、鴨川べりで左曲線が有ったのは七条だけですからこの写真は七条ー五条間で写っている橋は七条大橋ではないかと思われます。
七条大橋
七条大橋は、電車の通行があるために
コンクリート製の頑丈な立派な橋です、それゆえこの写真の橋はそれではないと思います。
コンクリート製の頑丈な立派な橋です、それゆえこの写真の橋はそれではないと思います。
あの橋は?
この後資料を見て気付きました、形状があからさまに違うので間違いなく七条大橋では無いですね。七条~五条間のいずれかの橋ということになります
正面橋ではないかと思うのですがいかがでしょうか。
正面橋ではないかと思うのですがいかがでしょうか。
正面橋
五条大橋にしては、橋の袂が寂しすぎますから「正面橋」でしょう。
現在でも疎水の溢れた水を流す箇所が、五条~正面橋の間にあるようです。
現在でも疎水の溢れた水を流す箇所が、五条~正面橋の間にあるようです。
ところで
この写真が五条付近で撮られたのは間違いなさそうなんですが、京阪線の右側、鴨川の川原に引かれているナローゲージと思われる軌道は何なんでしょう?河川改修用の簡易軌道なんでしょうか?
おや?
2枚目の守口車庫で撮影された写真の一番手前で解体?されている車両は、ひょっとして3102号貨車ではないでしょうか?全長も短いし、もしかしたら250形への改造中なのかも?
連スレ御免!
この一連の写真を見ていると車両の塗装が1色のものとツートンカラーの2種類が在るのが分りますよね、京阪がツートンカラーになったのは昭和25年に1606~1608の3両が戦後初の新造車として入線した時からだそうです。つまり、この写真は昭和25年以降の撮影と言うことが出来ます。ちなみに戦前の京阪はダークグリーンの1色塗りでした。また、詰襟の制服は昭和30年代まで採用されていたそうです。ついでに言いますと京阪本線では大正4年に色灯式信号機を導入しており腕木式信号機は昭和には存在していません。
偶然 拝見させていただきました。
天満橋の京阪デパートの写真はよく見かけますが、確かにこの角度は初めて見ました。川べりに建ってたわけだから、南北奥行きのない小ぶりな建物だったんですね。旧大阪商科大学や旧市立天王寺図書館のような戦前のモダニズム系にある「直線的で簡潔なコンクリート建物」というのが凡庸さを醸し出してしまうのと似ています。
16号車というのも初めて知りました。
天満橋の京阪デパートの写真はよく見かけますが、確かにこの角度は初めて見ました。川べりに建ってたわけだから、南北奥行きのない小ぶりな建物だったんですね。旧大阪商科大学や旧市立天王寺図書館のような戦前のモダニズム系にある「直線的で簡潔なコンクリート建物」というのが凡庸さを醸し出してしまうのと似ています。
16号車というのも初めて知りました。
すばらしい写真を拝見させていただきました
はじめまして.奈良のシカと申します.どうぞよろしくお願いいたします.
本欄 4 枚目は旧守口工場南側で間違いないと思います.右奥の高い建物は、守口-旧門真間の車窓からよくみえました.
それで、手前の車両は 1926 年登場の初代 500 型ですね.手前から 3 両目車体工事は、1953 年暮からの更新工事ではないでしょうか.台枠 (車体の床部分) と床下機器等のみを再用しています.② 9 枚目も旧 500 型車窓から旧天満橋駅到着時のものですね.
なお、② 1 枚目の車庫内写真で横に留置されていますのは旧 1100 型 (側扉間窓が 8 枚) で、側窓上の幕板部にまだ水切が設置されていないですね.
この水切設置完了が 1953 年だったと思います.ですので、これらは一時点の撮影でなく、1952-53 年ごろに何度か撮影されたものでないかと想像しています.
本欄 4 枚目は旧守口工場南側で間違いないと思います.右奥の高い建物は、守口-旧門真間の車窓からよくみえました.
それで、手前の車両は 1926 年登場の初代 500 型ですね.手前から 3 両目車体工事は、1953 年暮からの更新工事ではないでしょうか.台枠 (車体の床部分) と床下機器等のみを再用しています.② 9 枚目も旧 500 型車窓から旧天満橋駅到着時のものですね.
なお、② 1 枚目の車庫内写真で横に留置されていますのは旧 1100 型 (側扉間窓が 8 枚) で、側窓上の幕板部にまだ水切が設置されていないですね.
この水切設置完了が 1953 年だったと思います.ですので、これらは一時点の撮影でなく、1952-53 年ごろに何度か撮影されたものでないかと想像しています.
はじめまして。
色々な写真、楽しませて頂きました。
「なにかややこしそうな機械を操作している写真」ですが
inQueさんが言ってられるように信号取扱所の写真であると思います。
手元ある京阪五十年史「鉄路五十年」に電空連動装置の写真があり、
それと見た目が一緒です。前の見ているものは、連動図であると思います。
「なにかややこしそうな機械を操作している写真」ですが
inQueさんが言ってられるように信号取扱所の写真であると思います。
手元ある京阪五十年史「鉄路五十年」に電空連動装置の写真があり、
それと見た目が一緒です。前の見ているものは、連動図であると思います。
皆様、多くの情報ありがとうございます。私が知らない部分を皆様のおかげで保管でき助かりました。
いずれまとめて更新したいと思います。
いずれまとめて更新したいと思います。
なるほど
なるほど、あの装置は電空連動装置ですか、ということはこれも守口車庫ですかね。言われれば、たしかに上部に複雑な連動図が見えますね、中央のは分岐作動表示器でしょうか、いちいち現場でダルマを操作するよりは効率は良さそうですが後の電気連動板に比べれば馬鹿でかい機械ですね。
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