番外編・新聞記事に見る「坂の上の雲」(第二次旅順港閉塞作戦と広瀬中佐戦死)

NHKで放送中の「坂の上の雲」明治という時代を駆け抜け、日清・日露戦争と言う戦いを潜り抜けた
名将・秋山好古と智謀・秋山真之兄弟。そして、俳人・正岡子規の3人を描いたスペシャルドラマは
明治後期の日本人が欧米列強に肩を並べようと必死にもがき、また当時の生き生きとした人々を
上手く描いており中々面白く見ております。

ところで、私の手元にはまさに日露戦争真っ最中の頃の明治37年3月~5月末までの
大阪朝日新聞を所有しています。そこには当時の日露戦争の戦況報告やその当時の世相、
そして便乗した商品広告など中々興味深い内容が多く記されています。
今回、その3ヶ月の間に起こった出来事で有名且つ秋山真之と大きく関わりのある
盟友・広瀬武夫中佐の第二次旅順港閉塞作戦時の戦死の記事を紹介します。

続きを読むからご覧ください。
広瀬武夫中佐
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第二次旅順港閉塞作戦は、明治37年3月27日に行われました。
その時に閉塞用として参加した艦船は、千代丸・福井丸・弥彦丸・米山丸の4隻で、
広瀬武夫少佐は福井丸で指揮をしていました。

福井丸からの撤退時、姿の見えない杉野兵曹長を探すため、沈みつつある福井丸に3度捜索した後、
救命ボート上で敵の砲弾を受け戦死しました。
その時の状況を記した記事が、明治37年3月30日付の大阪朝日新聞に掲載されています。
第二次旅順港閉塞作戦
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広瀬少佐の遺体は一片の肉片のみを残す状態だったと記されています。
広瀬少佐は部下を思い3度捜索して戦死したということで、軍神と称えられ、
戦後は中佐に昇進。明治41年には東京の万世橋駅前に杉野兵曹長とともに銅像が建てられました。
(戦後撤去)
また、地元には広瀬神社が建立され、文部省唱歌にもなりました。

海軍兵学校時代、秋山真之と盟友だった広瀬武夫。ドラマではどう描かれるのか楽しみです。
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