古絵葉書・福知山城跡(大正期)

大正頃の福知山城跡
福知山城は、明治のはじめに天守等の建物が取り壊されたり移築され、跡地には石垣のみ残ってましたが、
廃城後も残されていた広大な二の丸台地も明治中期より行われた鉄道施設工事の影響と再開発で
徐々に削り取られてゆき、大正時代には二の丸台地はほぼ消滅しました。
この絵葉書は、かつて二の丸登城口にあった「銅門番所(続櫓)」が天守台移築されているので、
大正2年以降の撮影ですが、本丸台地から市役所側に続いていた二の丸台地の削り取られた跡が
生々しく残っているので、大正でも初期の頃のものと思われます。

天守台には銅門番所の他に藩祖の父、朽木種綱を祀る朝暉神社が見えます。
これらは天守再建時に再移築されて本丸内に現存してますが、天守台下に見える忠霊塔のようなものは、
現在は失われています。

この絵葉書の写真で注目すべき点は、本丸と二の丸との境となる本丸西側石垣が
一部残存していることです。写真中央に大きく残されている他、分かりづらいですが、
中央の残存石垣の左手先に石垣の石が2つ残されています。

これら石垣はその後崩されたようで、現存はしていません。
削り取られて崖となったこの部分は長らくそのままでしたが、最近この崖面を覆うように
石垣が新たに作られました。
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