古絵葉書・福知山衛戍病院

※セットだったと思われる新たな絵葉書が揃いましたので、再編集しました。
福知山衛戍病院ノ遠望
衛戍病院とは陸軍病院のことで、恒久的に配置された陸軍病院です。
この福知山衛戍病院は明治31年に設立、かつての福知山城の曲輪の一つだった
伯耆丸跡に建てられました。
戦後、厚生省の所管となり、場所を変えて国立福知山病院として長らく市民に親しまれましたが、
現在は福知山市民病院として存続しています。
こちらは、伯耆丸跡に建つ衛戍病院の遠景です。

以下に福知山衛戍病院関連の絵葉書を紹介します。
続きを読むからご覧ください。
福知山衛戍病院1010
福知山衛戍病院の営門です。
現在の伯耆丸公園へ上がる道の公園入り口付近と思われ、現在の公園へ至る道も
当時と同じと思われます。
福知山衛戍病院 病室
こちらは、伯耆丸側から見た衛戍病院の病室建物。
遠景の建物とは違う建物だとは思いますが、軍の建物なので、デザインは同じです。
福知山衛戍病院1011
病棟の別アングルの絵葉書です。
植木の位置や垣根等から別の病棟と思われます。
福知山衛戍病院1012
病棟内部。かなり小ざっぱりしてますね。
まぁ、軍の病院らしいといえばらしいです。
写っている傷病兵は絵葉書の時期から日露戦争か第一次大戦時に傷を負った兵士でしょうか。
福知山衛戍病院二の丸台地から
こちらは別セットの絵葉書で、旧福知山城二の丸跡台地から伯耆丸跡の福知山衛戍病院を見た様子です。
かつて二の丸のあった台地は伯耆丸の台地の手前まで伸びており、二の丸台地と伯耆丸は
木橋でつながってました。
福知山城の二の丸があった台地は、山陰線建設に伴い新切通として明治時代から削られ始め、
大正時代の半ばから後半には完全に削平されました。
福知山衛戍軍用水道009
福知山衛戍病院の軍用水道と書かれている絵葉書です。
詳細は分かりませんが、伯耆丸跡内に作られたものでしょうか。

現在衛戍病院のあった伯耆丸は公園となり建物は取り壊されて現存しませんが、
衛戍病院建設の際の石垣の擁壁と石の銘版は現在も残されています。
福知山衛戍病院の石垣
現在も残る福知山衛戍病院時代の石垣。草が生えている一帯が当時の石垣です。
当時の石垣はここだけでなく市役所の裏など伯耆丸台地のほぼ全体に遺されています。
福知山衛戍病院の石垣銘板
※クリックで拡大。
上の石垣部分に残されている石の銘版。

銘板には
石垣には銘板が2枚分嵌めこまれており、

工事設計監督
陸軍校 福井太郎
工事請負人
中村組合資会社
□務執行社司
中村祐七

石工
沖中久藏
今中力松
石材運搬
武藤作兵衛
起工 明治三十五年八月
竣成 同年十一月

(Ever Green Forest -- blogより引用)
の文字が刻まれています。

また、衛戍病院の建物と断定はできませんが
福知山衛戍病院遺構

福知山衛戍病院遺構通風口
陸軍の☆マークのある通風口を持つ煉瓦基礎の明治期と思われる古い木造建築が
伯耆丸の上り口に現存し、衛戍病院時代の何らかの施設ではないかと推測されます。

 ※関連記事
古絵葉書・福知山衛戍病院 
古絵葉書・福知山衛戍病院(旧福知山城二の丸跡台地から望む)
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福知山陸軍衛戍病院関連と思われる建物(別ブログ)
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