昭和12年の日記にある重大事件の記述(祖父の日記より)

日記1
実家に私の祖父(2009年1月3日逝去)の遺品である古い日記がありました。
祖父は死ぬ間際まで日記を毎日書き続け、その数は数十冊になります。
年が欠けずに残されているのは昭和30年代からですが、
戦前から戦後すぐの日記もわずかながら残っており、
昭和12年・昭和14年(軍人日記)・昭和22年・昭和23年が遺品としてあります。
戦中の時も付けていたと思いますが、戦中・戦後の混乱期の間に失われたものと思われます。
今回は遺された日記の中で一番古い昭和12年の日記の中で記載された重大事件を
紹介したいと思います。

「続きを読む」からご覧ください
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祖父は郡是塚口青年学校にて過ごした後、陸軍に志願兵として入隊。下士官候補者となり
仙台陸軍教導学校へ入学した後下士官として敦賀の連隊本部に配属され、
終戦まで過ごしたと聞いております。
※祖父の来歴に関してはこちら

この昭和12年の日記は、塚口青年学校時代の日記であります。

昭和12年に起きた出来事はwikipediaの年表を参考に日記の記述を辿りました。
個人が記した日記ですので、wikipediaの年表には有る出来事が日記には書かれていない場合がありました。
ここでは、あくまで日記に記載のある出来事ののみ取り上げて行きます。

※全ての日記の画像はクリックで拡大します。

日記2
1月23日・廣田内閣総辞職。
陸軍大臣・寺内寿一のいざこざにより、首相・廣田弘毅が内閣を総辞職。
日記には「内閣総辞職決定す」の一文のみあります。
日記3
1月25日・宇垣一成陸軍大将に組閣命令。
日記には「宇垣陸軍大将に総理大臣の天命が降りた」とあります。
日記4
1月29日・林銑十郎陸軍大将に組閣命令。
日記の記述に「宇垣大臣大命を拝じす」とあります。
総理大臣の拝命を受けた宇垣陸軍大将は陸軍内部の反発にあい、辞退しています。
日記5
1月30日・林銑十郎陸軍大臣総理大臣拝命。
辞退した宇垣陸軍大将代わって林銑十郎陸軍大将が総理大臣を拝命しました。
日記6
2月2日・林銑十郎内閣発足。
しかし、林内閣はわずか5カ月余りで総辞職。
代わって総理大臣になったのが近衛文麿でした。
(近衛内閣に関しては日記には記述がありません。)
日記7
2月26日・2.26事件1周年。
日本の近代史にも残る重大事件だった2.26事件。
1年後でもやはり衝撃的な事件だっただけに、日記に記載があります。
しかし、「1周年記念」という書き方はどうかとw
日記の本文や欄外似もあるように1年後には「2.26事件」という呼び方されていたんですね。
日記8
3月19日・国産飛行機「神風号」完成。
イギリスのジョージ6世の戴冠式に合わせて亜欧連絡飛行を計画した朝日新聞は、
陸軍の九七式司令部偵察機の試作機の払下げを受けました。
神風号の東京-ロンドン間の所要時間を予想する懸賞があったようで、
祖父は82時間31分か42分と予想して応募しています。
実際は94時間17分。外れてますね。
日記9
神風号、悪天候により帰還。
日記では4月2日付。ロンドンに向けて出発した神風号は途中で悪天候に会い
やむなく引き返しました。
再出発は4月6日。
日記10
4月6日・神風号再出発。
ここでも神風号に関しての懸賞があったようです。
今回は到着時間。祖父は8時42分ロンドン着と予想して応募したようです。
実際は午後3時30分(日本時間0時30分)また外れています。
しかし、東京-ロンドン間を94時間17分で到着した記録は世界初で、
まさに快挙となりました。現地では熱烈な歓迎を受けたようです。
日記11
4月15日・ヘレンケラー来日。
日記には16日に黒人の婦人達が大勢来訪したとの記述があります。
ヘレンケラーが来たとの記述が無いので、関連あるかは分かりませんが、
この日以外外国人の来訪の記述は無いので、もしかしたら、ヘレンケラーの一団かもしれません。
日記12
5月12日・イギリス・ジョージ6世戴冠式
現在のイギリス国王であるエリザベス女王の父親であるジョージ6世の戴冠式。
ジョージ6世の治世は第2次世界大戦のさなかで、戦後もイギリスが覇権国から失墜し、
多くの植民地を失った時期でもあり、不遇の国王であったともいえます。
日記13
7月7日・盧溝橋事件。日中戦争勃発
盧溝橋にて中国兵による日本兵への銃撃事件が起き、それにより日中両軍の間で
戦闘が起こったのが盧溝橋事件です。これ以後、日中戦争へと発展していきます。
日記は7月20日。新聞の号外が日中間の戦闘の様子を知らせているとあります。
日記14
7月30日・天津爆撃
日本軍による天津市街爆撃。8月6日の日記には「天津居留民は続々と引き上げ開始」とあり、
爆撃と戦線拡大により、居留民が引き揚げてきたとのようです。
日記15
12月13日・南京陥落
当時中国の首都であった南京が陥落したのが12月13日。
しかし、日記は何故か11日に書かれています。
南京陥落祝賀会の提灯行列に参加したとあります。

日記による昭和12年内の重大事件の記載はここまでで、他は工場での就業等ま記載がほとんどです。
日記の書かれた当時は日中戦争開始という大きな出来事がありますが、やはり身近な出来事が
一番の関心事なのは今も昔も変わりません。
ただ、阪神防空演習に参加という記載や軍事教練の記載もたびたび出てくるあたりが
時勢をよくあらわしているかと思います。

日記に書かれている重大事件の記載はただ単なる出来事のみで、資料的な意味合いはありませんが、
現在では歴史上の出来事となったこれら事件を祖父が生きていた頃に実際に見聞きしていたかと思うと、
不思議な面持ちがしますね。
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