古絵葉書・福知山 水害の惨状3枚(明治40年水害か)

福知山水害の惨状001
京都府福知山市は街の中心を流れる由良川の氾濫により古来から水害の被害に悩まされてきました。
それは近代的な土木工事が行われるようになった明治以降も同じで、明治29年・明治40年・大正10年
そして、戦後の昭和28年・昭和34年・昭和36年にも大きな被害を受け、
平成に入っても市街地中心部では無いですが、平成16年の台風23号・平成25年の台風18号による増水で
住宅街が水没する被害を受けました。
この絵葉書はかつての福知山の市街地を襲った水害の惨状を伝えたものです。
年月日の記載がありませんが、絵葉書の様式から明治40年の水害を撮影したものと思われます。

まず1枚目は惇明小学校付近の水害の惨状を撮影したものです。
家屋の部材と思われる木材が散乱し、左には倒壊した家屋が写ります。
奥には惇明小学校の本館と校舎が写っていますが、石垣の上に建てられていたためか
被害を受けつつも建物は倒壊を免れています。
廃材を片づけている女性は近所の人でしょうか。子供も集まってきてますが、惇明小学校の生徒かもしれません。
学校の様子を見に来たのでしょうか。
福知山水害の惨状002
こちらは呉服町の惨状。左側にはひっくり返った家屋らしきものがあり原型を全く留めていません。
その奥には土蔵造の建物がありますが、こちらは建物が丈夫だったのか倒壊はしていません。
右手には「雑貨所 文成堂」と読める街灯が掲げられた商家がありますが、こちらは無事のようです。
やはり石垣の上に建てられていたのが幸いしたのでしょうか。
福知山水害の惨状003
内記町有馬宅の惨状。現在の内記5丁目と思われます。
ここにあった有馬氏の邸宅に流されてきた廃材が引っかかっていますが、屋敷自体は無事なようです。

明治40年の水害の被害は大きく、市街地は2階部分まで浸水し由良川にかかる音無瀬橋も流されましたが、
明治29年の水害を教訓にしていたため人的被害は明治29年ほどでは無かったと言われます。

この明治40年の水害に関してもう一つ所蔵している資料があります。
第20旅団2002
福知山第20旅団司令部の絵葉書の通信欄に書かれた文字ですが、その中に
「実は当地も大洪水にて死傷二百余、流出家屋二百、半壊家三百余惨憺たるものですよ。
僕の内は二階二尺以上も浸水致し教科書も皆濡れました。家族一同は連隊に避難し皆無事です。」
との記載があります。
明治40年の水害は被害は床上浸水1354戸、流失152戸、全壊123戸、半壊42戸に上りましたが、
福知山に駐屯していた歩兵第20連隊・工兵第10大隊の活動により死者は5名に抑えられていますので
この記載の死傷二百余は間違いではありますが、上記の水害の被害を写した絵葉書とともに
明治40年の水害の様子を生々しく伝える貴重な資料となっています。

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