古絵葉書・舞鶴海軍共済組合病院 中舞鶴分院

舞鶴海軍共済組合病院中舞鶴分院002
舞鶴海軍工廠職工共済会病院は舞鶴の海軍工廠で働く職工たちとその家族の相互共済を目的とした共済会が運営する病院のことです。
明治40年に開院され、院長には海軍軍医が就任し、海軍の援助のもと共済会の会員とその家族の医療を行いましたが、海軍工廠の職工だけでなく、一般市民も治療を受けることが出来たため、「共済会病院」の名前で市民にも親しまれていました。
絵葉書の右側の門柱には「私立餘部博愛病院」という看板が掲げられています。
餘部博愛病院は明治34年5月に設立した病院のようですが、明治44年に済生会により発行された施療事業一班という資料によれば、この時すでに経営状態が思わしくなく病院の建物も手狭で設備も不完全と書かれています。
この絵葉書の写真が撮られた頃はまだ餘部博愛病院でしたが、絵葉書が発行された際には舞鶴海軍工廠職工共済会病院へ吸収されてしまったのでしょうか。
この中舞鶴分院は舞鶴鎮守府庁舎のある丘の麓にあり、現在でも当時の門と塀、そして分院の宿舎と思われる建物が残っています。
舞鶴海軍共済組合病院中舞鶴分院跡
現在の中舞鶴分院跡地。絵葉書に写る石垣の一部と思われるものが現在の写真にも写っています。
ただ、位置的に中舞鶴分院跡の隣の宿舎と思われる建物の位置になります。
舞鶴海軍工廠職工共済会病院中舞鶴分院跡2
舞鶴海軍工廠職工共済会病院中舞鶴分院跡の正門。絵葉書の餘部博愛病院の正門と位置が違うため、後に分院の建て替えと敷地の整理が行われたのでしょうか。

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